まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1242 馬見丘陵公園・10月、12月

2019-12-17 11:27:04 | 
おはようございます。





馬見丘陵公園の風景、今回は秋編、10月と12月をお送りしていきます、あれ、11月は?行けなかったんだよなあ↓↓↓

【10月】




















と言うことでまずは10月、秋は花が赤や紫に色づいてくる頃、でもそれは短い命の最後の輝きと言った感じ、初夏に視る緑が命の始まりを感じるのとは対照的に、少し感傷的な気持ちになってしまう時期でもあります。園内を歩いているとチラホラとコスモスが咲き始めている、まだ満開には程遠い頃、今年は見頃をちょっと誤ってしまったかも知れない。と思っていると今度は『秋桜』の曲が聞こえてきた、この季節のスタンダードナンバーがハープの演奏で切なく聞こえてくる、その次は『川の流れのように』か、そう言えば女子十二楽坊もこの曲演奏していたなあ・・・、今年は美空ひばりのロボットが紅白に出てくるのかな~、何の話をしてるんや・・・。


【12月】

















11月は行けなかったので12月に入ってすぐの日曜日に公園へと出向きました、前回からは1ヶ月半ほど、それでも風景は一気に変わってしまいました。所々に色づいていた風景はその色を失い土の色が目立つようになっていた、冬の間は花も咲かないのでこんな風景が続くことだろう。園内を歩いているとチラホラと色のついた花を見かけるがそれも寂しいもの、歩いている人の姿も少なく、園内は完全にオフシーズンに入ってしまった感じだった・・・。


20019年走りの備忘録・7月~9月







7月 6日 都巡り・桜井市、橿原市
7月 7日 馬見丘陵公園
7月14日 お地蔵様巡り・奈良坂、加茂・・・雨で途中断念
7月15日 お地蔵様巡り、万葉歌碑巡り・北山の辺の道 
7月20日 お地蔵様巡り・京都市、大津市
7月28日 加茂恭仁京、西大寺
8月 3日 万葉歌碑巡り・五條市、橋本市
8月 4日 馬見丘陵公園
8月10日 古墳巡り・河合町、香芝市
8月11日 万葉歌碑巡り・明石市、稲美町
8月13日 古墳巡り・佐紀盾列古墳
8月17日 万葉歌碑巡り・宇陀市、桜井市
8月18日 二上山
8月25日 大和郡山十三町
9月 1日 本薬師寺・ホテイアオイ
9月 7日 古墳巡り・御所市、明日香村
9月 8日 平城京率川
9月14日 古墳巡り・天理市、桜井市
9月15日 ならやまバス停巡り
9月16日 馬見丘陵公園
9月22日 明日香村、二上山 
9月28日 長岡京
9月29日 稗田環濠集落

今年の夏は不調でした、上に並べた写真はどれも白飛びしたもの、カメラに不調を感じたのは二上山を望遠で撮ろうとしたとき、何度とっても画像が白くなって何も写らなくなってしまった。故障したのかなと思い走りを中断していろいろと試し撮りして見たが、標準ではちゃんと写るのでそのまま使うことにした、白飛びもまあまあいいだろうと思いながら・・・。でもやはりそうは行かなかった、ついには標準でも白飛びするようになって、結局買い替える羽目になってしまった。同時に相棒君にも不調が、ギアの5段目が飛ぶようになってしまった、まあこれだけ毎週のように走っていると消耗が激しくなるのも仕方のないこと。行きつけの自転車屋さんで治してもらったもののカメラと合わせて痛い出費をしてしまうこととなった、本当に現実は厳しいものです・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1241 滋賀の旅2019年秋編(2)・・・中主の小寺院と条里の町

2019-12-16 11:00:11 | みち
おはようございます。





















滋賀の旅秋編、JR大津駅から出発して近江大橋を渡り浜街道を草津市、守山市と経由して国道477号線へ、真っ直ぐに伸びる道に長閑な田園風景、左手側にははっきりとした姿の志賀の山脈、右手側には近江富士がぼんやりと見えている。国道は交通量も少なく走りやすい、しばらく進むと幸津川の町並へと差し掛かる、いつもはサラッと通り過ぎる町だが今回はちょっと寄り道してこの町並にある小寺院を巡っている。まずは国道沿いに見える東光寺、山門は道を左へと入った所にありなかなか由緒ありそうな大きなお寺、重厚そうな本堂に優しい笑みをたたえるお地蔵様、まだそれほど高くない位置からの朝の陽射しが眩しく寺院を照らしている。この付近には寺院や神社が多く、この日も祭か何かのイベントがあるようで、町の人の声もあちらこちらから聞こえてきた、あまり旅人に邪魔をされたくない雰囲気を感じてしまったのでここは静かな足取りで離れることにする。国道へと戻るとすぐに町並を抜けて左折右折を繰り返して野洲川に架かる橋を渡る、ここから先はしばらく田園風景が広がり正面からだと朝の陽射しが眩しく突き刺してきて寒さも忘れさせてくれる。










国道477号線は六条中央交差点で左へと曲がり、兵主大社付近へと差し掛かる、神社前の道へと入ると写真1枚目にある看板が目に付いた、そこには「条里の郷」とある。そう言えばさっき通り過ぎた国道477号線にあった交差点は「六条」、この辺りは五条とある、その成り行きについては看板の説明にある通り。そう言えば奈良盆地も条里制をとっていて、国道24号線を通っていると大和郡山IC付近で六条や七条と言う地名を見ることがある。「口分田」と言う言葉は歴史の授業で聞いたことがあるが、現代では当たり前のように国民の義務である納税が、こんな古代からあった政策だったと言うことを歴史から感じ取ることができる様だ。それでは条里の町並とはどんな所なのか、走ってみることに・・・って思ったら小さな寺院があるだけですぐに集落を通り過ぎてしまった。国道477号線へと戻りしばらくは退屈な風景の中を進んで行く、さっき野洲川を渡った時に伊吹山が見えてるな~、と思っていた山がだんだん近づいてきた、伊吹山がこんな近くで大きく見えることはないなあ~、どうやらしょ~もない勘違いをしていたようだ











国道はやがて近江八幡市へと入り、日野川に架かる橋を渡って90度右折する、しばらく進むと近江八幡の市街地へと通じる道が左へと分かれて行くが、国道477号線はそのまま真っ直ぐ進んで行く。前にも書いたがこの国道477号線はちょっと変わっていて、大津市で琵琶湖大橋を渡って守山市に入ってからは、右折左折を何度と繰り返す、地図で見るとちょうど漢字の「乃」の字の様。その字の最後の部分がちょうど今走っている所に当たる感じ、道は国道とは思えないくらいのどこにあるような町中の道で、緩やかなカーブを繰り返しながら近江八幡市の郊外の町並をすり抜けて行く。少し退屈さを感じる風景の中を通り過ぎて県道2号線の十王町交差点・・・そのほんの手前を交差する細い道が朝鮮人街道・・・へとたどり着く、左へと曲がると近江八幡の中心地へ、久しぶりに行ってみたい気持ちもあったが今回はそちらが目的ではないので、相棒君を真っ直ぐ進めて行く。このまま進んで行くとJR篠原駅、次回はここを通り過ぎて更に南へ、今まで行ったことのなかった竜王町へと向かいます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち


No.1240 お地蔵様で町巡り・榛原、大宇陀編

2019-12-15 19:16:58 | まち
おはようございます。






















近鉄榛原駅に降り立ちました、やあ~、暑いなあ~、それもそのはず、この日は真夏の真っ最中、甲子園ではベスト8を賭けた試合が行われている頃でした。そう言えばこの日の第2試合は星稜vs智辯和歌山と言うことで、いつもは決勝しか録画しないのですが、この試合は何かが起こると思って録画タイマーをセットして家を出ました。まあ結果はご存知の通り、凄い試合になりましたねえ、奥川投手の好投、延長戦、タイブレイク、しかも最後はサヨナラ本塁打・・・いやいや、走りの記録をお送りしなければ。と言うことで近鉄榛原駅、映画『フォルトゥナの瞳』のロケ地にもなった駅です。榛原は宇陀市の中心部にある町だが、駅の近くには初瀬街道=伊勢本街道が通っていて旧街道の雰囲気が漂う町並を至る所で見ることができる。この日の目的は万葉歌碑巡りだが、せっかく久しぶりに来たのだから榛原の町並をいろいろとたどってみることにしよう、写真は見慣れたような風景ばかりで退屈なものですがもし良かったら見てやってください。
















榛原の町並を抜けて大宇陀へと向かう、今となって思うのはこの地が宇陀市になってもう10年以上になるが、榛原の人は市名が宇陀になることに抵抗なかったんかな~?「宇陀」が着く大宇陀は古い町並と歴史もあって確かにこの地の代表となるべき場所ではあるが、やはり市の玄関口となるのは電車が通っている榛原だし町も栄えている、榛原の人にとっては「榛原市」にしてほしかったのではなかったのかな・・・。だいたい市町村合併となるとこう言った名前論争が起きて、変な市名を名乗ることになってしまった所も多いんだよなあ、そう考えると宇陀市は何かすんなりと言った感じ、市政開始から最初の5年は前の町村名が宇陀市○○区と名乗っていたからスムーズに受け入れられたんでしょうかねえ。









大宇陀の町並も以前にフォトチャンネルや本文でもお伝えしたことがありました、なので今回はサラッと流します。今回この地を訪れたのは万葉歌碑巡り、お地蔵様巡りを兼ねていくつかある歌碑を巡りました、その模様についてはまたの機会でのお伝えとしておきます、真夏の暑い時の走りを寒い時期にお伝えするのも変な話なのですが、ここでは季節感なんて関係ないですからね・・・と言うことで年末恒例のこのコーナーをお送りします↓↓↓


2019年走りの備忘録・4月~6月






4月 7日 天理市、山の辺の道
4月14日 万葉歌碑巡り・奈良市
4月20日 万葉歌碑巡り・山の辺の道、桜井市
4月21日 万葉歌碑巡り・奈良市 
4月27日 万葉歌碑巡り・桜井市、明日香村
4月28日 万葉歌碑巡り・京都府南部、京都競馬場・天皇賞
4月29日 万葉歌碑巡り・三郷町、馬見丘陵公園
4月30日 万葉歌碑巡り・万葉植物園
5月 2日 万葉歌碑巡り・宇治、大津市、近江神宮
5月 3日 名鉄名古屋本線、西尾線各駅巡り
5月 4日 浜名湖の旅
5月 5日 万葉歌碑巡り・橿原市、二上山
5月25日 万葉歌碑巡り・堺、住吉
6月 2日 馬見丘陵公園
6月 8日 藤原京資料室
6月 9日 大和民族公園
6月16日 藤原京廃寺巡り
6月22日 百舌鳥古墳群
6月23日 お地蔵様巡り・奈良町
6月30日 お地蔵様巡り・平城京

万葉歌碑巡りがズラリと並びました、GWの10連休はほとんどがそれに費やした感じでした。期間の後半は藤原京、お地蔵様巡りなど、今のこのブログの主幹となっている部分の巡りを始めた頃・・・と言えば聞こえはいいのですが、実際は金欠で近場しか回れない状況、チョイ走りの連続、この流れは結局この後も続いてしまうこととなりました。今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち




No.1239 中将姫と当麻寺

2019-12-12 10:30:40 | ふうけい
おはようございます。








今回もまたまた映画『かぞくわり』関連のお話です。この映画のモチーフとなったのは『死者の書』と言う物語、主人公のどうしたかなさんが廃品回収の青年・・・大津皇子の生まれ変わり・・・の魂を救うために絵を描くわけですが、その絵のモデルとなったのが写真1枚目にある「当麻曼荼羅」、写真2枚目の説明では中将姫が絹の糸で織りあげた作品とあります。中将姫はこの作品を為し上げた後、行方知れず・・・生きたまま極楽浄土へと旅立った・・・とあるが、映画でもかなさんは絵を描き上げた後行方不明になってしまいます。最後のシーンでは亡くなってしまった描写もありましたが、その辺りは見ている人に委ねると言う感じでのエンドとなりました、自分(一人称)はやっぱりバッドエンドかな、と言う気がしました。さて、この物語の主人公のモチーフとなった中将姫とはどんな人だったのでしょう、ちょっと辿って行ってみることとしましょう。









奈良町には中将姫の所縁の寺院がいくつかあります、写真1枚目~4枚目にあるのは姫が生まれたとされる誕生寺、5枚目、6枚目にあるのは高林寺、ここは姫の父親である藤原豊成の菩提寺となっています。中将姫は5歳の時に実母を失い、その後継母に育てられることになりますが、孝謙天皇の前で琴の演奏をしたことがきっかけで継母から憎まれることになり、折檻などの虐待を受けるようになってしまいます。中将姫14歳の頃、ついに継母は家臣に姫を殺すように命じるとのことですが、死を恐れることのない姫を見て、家臣は殺すことはできないと姫を山のお寺に隠してしまいます。











当麻寺


中将姫はその後、当麻寺に入って尼となります・・・と言うことでこれまでは何度も前を通りかかってはいるもののずっとスルーしていた当麻寺へと行ってきました。大きな寺院となると拝観料を取られるかなとずっと思っていたのですが、それは有料の場所だけで境内は自由に見て回れるんですね、やあ、思い込みはいけませんねえ。山門を入ると広い境内の先に金堂、本堂がありたくさんの人が参拝に訪れている、法要の日にはこの本堂から渡り廊下が造られ、そこを仏様の面をかぶった人たちが練り歩く様子はニュースでも取り上げられ、映画でも要所要所でそのシーンがありました。





















「聖衆来迎練供養会式」と呼ばれる法要は中将姫にちなんで行われているもの、ここからはwiki引用で↓↓↓

「仏行に励んで、徳によって仏の助力を得て、一夜で蓮糸で『当麻曼荼羅』(『観無量寿経』の曼荼羅)を織ったとされている。 宝亀6年(775年)春、29歳で入滅。阿弥陀如来を始めとする二十五菩薩が来迎され、生きたまま西方極楽浄土へ向かったとされる。」

『死者の書』ではこの中将姫の行いを大津皇子の無念の魂を鎮めるためとして、それが映画ではクライマックスのかなさんの行動へと連なっていく。当麻寺で行われる法要では、渡り廊下を歩いているのは二十五菩薩で、現世に里帰りした中将姫を迎えて阿弥陀さまの待つ極楽へ導いていく様子を再現していると言うことです。映画『かぞくわり』ではラストではどうしたかなさんは姿を現すことがありませんでした、彼女も生きたままあの世へと、大津皇子といっしょに行ってしまったのでしょうか、その辺りをはっきりさせないまま映画は終わってしまったので、あとは自分で考えるしかありません。当麻寺周辺には中将姫に関するいろいろな見所があります、そのどこからも見ることができる二上山、そこに眠っている大津皇子、史実は元より伝説でも絡み合うことがない二人ですが、魂はどこかでつながっているのかも知れません、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち



No.1238 奈良の古墳巡り(7)・・・夕暮れ時の佐紀盾列古墳群

2019-12-10 10:09:14 | ふうけい
おはようございます。


















前回に引き続き奈良の古墳巡りシリーズですが、今回は以前に2回お送りした佐紀盾列古墳群の取りこぼし分をお送りしていきたいと思います。まずは近鉄平城駅近くにある山陵町にある古墳群、写真1枚目、2枚目にあるのが佐紀陵山古墳、垂仁天皇の皇后の陵に治定されている古墳、3枚目が佐紀高塚古墳、孝謙(称徳)天皇の陵に治定されている古墳、4枚目の道を挟んで左側が成務天皇陵となっている。この道を先へと進んで行くと平城駅へとたどり着けるが、そこに行くまで、成務天皇陵の北側になる所にその天皇陵の陪塚が3つ、天皇陵に弧を為すように並んでいる。もう何度も走っている所なのにこれまでほとんど気づかなかった、古墳巡りをしていても不覚にも気が付くことができなかった、う~ん、まだまだ甘いですねえ・・・。






















今回の走りはつい先日の土曜日の夕方のこと、急いでの更新となったのは、紅葉の風景は旬なものなので早くお送りしておかなければならないと思って・・・とか言いながらいまだに真夏の走りの記録が終わってないものもありますが、浜名湖の旅の登録有形文化財巡りもまだだった・・・のこと、写真1枚目~6枚目にあるのは古墳群の中を通る自転車道で撮った風景です。この自転車道を進んで行くと森の中へと差し掛かりコナベ古墳へと出るが、その周辺にもその古墳の陪塚がいくつか点在している、ただどれが古墳なのかは分からなかったのでとりあえずそれらしいものを片っ端から写真に撮りました。多分柵がしているのがそうだろうと思ったが、ここは航空自衛隊に隣接しているのでそこの柵かなとも思った。しかしコナベ古墳の沿いを走っていると自衛隊の敷地にも柵があったのでまず間違いなくそこが古墳だったのだろう。コナベ古墳からウワナベ古墳へと抜けて西の方を見ると、もう陽が沈んで生駒山の稜線には残照が輝いている、冬の夕暮れは早い、「黄昏」とは暗くなって「彼は誰ぞ」と言うところから来ていると言うがまさにそんな情景が広がっている、ちょっと寂しい気持ちになってきますね・・・


2019年走りの備忘録・1月~3月












2018年
12月30日 愛媛の旅
12月31日 芸予諸島
2019年
1月 2日 京都、大津
1月 3日 橋本・真田の里
1月 4日 桜井、明日香村
1月 6日 馬見丘陵公園、部分日食
2月10日 阪急電車乗り鉄の旅
2月11日 馬見丘陵公園
2月23日 甲子園歴史館
3月 3日 大和郡山
3月10日 馬見丘陵公園 
3月16日 各駅巡り・近鉄名古屋線
3月21日 近鉄大和朝倉駅、藤原宮跡
3月24日 平城京廃寺巡り
3月30日 生駒
3月31日 奈良町、奈良坂

1月から2月にかけて空白の時間があるのは風邪で倒れてしまったため、これが今年の躓きの始まりになってしまいました。週末の悪天候、金欠、カメラの不具合、相棒君が度重なる不調・・・まるで呪われたかのような1年でしたが、この時はまだそんなことになるとは露知らず。ただこの時は走りに目的も見当たらない頃、行き詰まっている頃だったんですよね~、その流れが変わってくるのが4月に入ってから始めた・・・この辺りは次回にしておきましょうか、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち