今日は、父の月命日で
必ず大好きだったコーヒーを淹れて
御仏壇にお供えしている。
朝の一通りの家事を済ませ、スマホをタップ、、、
ふと、WEBの記事に目が止まる。
最期を迎える人がアイスを欲しがるって記事。
ガリガリくんのアイスを作っている会社には、最期の一口を食べさせてあげられて、良かったとの手紙が多いんだとか。
そういえば
もう40年前に亡くなった兄が
危篤を繰り返し、家族が病院に寝泊まりしながら、看病を代わる代わるしていた時、秋に入り、
街には『かき氷』のメニューが消えたころ、
兄は、『かき氷が食べたい』と言った。
売店のかき氷ではなく、
喫茶店とかにある、かき氷だ。
父は、病院の厨房から、小さな鍋を借りて、喫茶店や甘味処を街中、
一日かけて、『かき氷』があるか、尋ね回った。
飛び込み営業もいいとこだ。
一軒だけ、まだ、かき氷をやっている店があったらしく、フワフワのかき氷を鍋にいれて、病院に戻ってきた。
兄は、一口、二口、、、
結局は、それほど食べなかったけれど、笑顔で、それはそれは、美味しそうに、かき氷を食べた。
『ありがとう、美味しかった』と
息絶え絶えに、声の出なくなったか細い声で言っていた。
とんでもなく、家族に迷惑をかけたことがある父ではあるが、
この時の、我が息子を思う気持ちと
父の優しさと、なりふり構わぬ行動には、涙が溢れた。
その父も、
肺ガンの病床について
何も食べられなくなったとき
水も飲めなくなり
欲しがったのは、『氷』だった
冷凍庫の製氷器から
氷を取り出し、ビニール袋にいれて
ドレッシングの瓶でたたく
クラッシュアイスが出来上がる。
小皿にいれて
指の先ほどの、食べやすそうな氷を選んで、唇の脇から入れてやると
口の中で溶けて、喉にすこしづつ流れるようだ。
冷たくて、一瞬の間だけ、
口の中もスッキリするのだろう
それも、数回のことで、
沢山になると、むせて咳き込んだ。
兄も、父も
最期に何を食べたかーと
今、考えると、かき氷と氷と言うことになるなぁ〜なんて
そう思いながら、この記事を読んだ。
そう言えば、在宅に来てくださっていた看護師さんから、
トロミのあるジュースのような栄養流動食をどうしても、食べさせたいと、それを凍らせて、食べさせているお宅もあると聞いたことがある。
ゴクンっと
普通に行えてる行為。
それこそ、小さい時は当たり前に
オッパイや離乳食を『ゴックン』
誰かに食べさせると言う行為は
行為そのものと共に、
ただ見ているだけでも幸せな気分になるものだ。
それはどうしてなんだろうと思う。
きっと、それは願いであり、
喜びになるんでしょうね
生きてるからこそ、感じられるもの
普段は、当たり前のように過ぎていくけれど、
『食べられる』
『食べてくれる』
とても、とても幸せな時間になる。
それがかなわなくなってしまった時、
最期の最後は、アイス類が容易くなるのだろうね。
私は、ガリガリ君になるかどうかは分からないけれど、自分がそうなった時に
何を口に入れて欲しいかー。
最後の笑顔との遭遇ができるか否か。
私も、家族に伝えておいたほうがいいかなー。
まずは、アイス探しから(笑)
いいお話をありがとうございました
心に染みます
人生最後の場面では
氷、なんですね…
コメント、ありがとうございます。
ガリガリくんの会社の記事を読んでなかったら、自分の兄や父の『氷の話』をあらためて、こうして、思い出すやら、胸を熱くするやら(笑)
つたない文章ではありますが、
何か感じて頂いたことがあれば、幸いです。