猫さん達のニャン生もいろいろあるものだ
―と猫の面倒を見るようになって以来、つくづく思います。
猫に限らず、犬などでも、純血か雑かという事は、幸福にはあまり関係がなくて、
むしろ誰を飼い主や保護者にできたかが、重要なのだと思えて来ました。
飼い主が飽きたり、人にケガをさせてしまったりして、
処分されてしまうという最期を迎える高価な大型犬がいる一方で、
たとえ雑種でも、皇居に迷い込んだために、最上流の世界で暮らせるようになった、わんこさま達も
いるのです。
3匹の猫が家を出て以来、残った子達は決して路頭に迷わせないと誓いました。
ごはんもできる限りおいしい物を食べさせて、冬は暖かく過ごせるようにしてあげたいと思っています。
キイラには、一日家に閉じ込めてお留守番させてしまっているので、
せめて夜は、彼女の好きなおもちゃを使って、できる限り遊んであげたいし、
土日は、家と外を出入り自由にしてあげたいと思っています。
今日会社の帰りに、ひじきさんに会いました。
寒くて暗い道のすみっこで、柔らかいごはんをあげましたが、食べてくれません。
顔を見ると、片目がぐちゃぐちゃになり開けていませんでした。
口もただれているようでした。
体から悪臭を発していて、毛もなでたらゴワゴワしていました。
具合が悪くて、もう食事もできないのでしょうか?
「私に付いて来る?病院に行く?」と聞きましたが、
私から離れて植木の中へと消えて行きました。
20代でお金があった頃の自分が憎いです。
お金があるのなら、自分の心が満たされていないなんて嘆いていないで、
そんな暇があったら、不幸な猫たちを助ける習慣を始めていれば良かったのに。
今は助けたくても、思う存分に助けられるほどのお金の余裕はないのです。
ラブカンやキイラをどんなに可愛がっても、ひじきさん自体は幸せになりません。
ひじきさん、もしかしたら猫エイズかもしれないです。
ボーナスが入っても、ひじきさんの治療代が莫大な物になってしまったら、私とラブカンとキイラが冬を越せません。
かと言って、ひじきさんを放っておいて、野垂れ死にさせてしまったら、一生思い出しては泣き暮らしてしまいそうです。
そうやって無力感に暮れている時、年を取った意味が一番分らなくなります。