若い人たちと話したとき、
仕事をしていない人、いまひとつ自分の仕事が「違う」と思っている人が言う。
自分のしたいことが「見つからない」
おばさんたちは、いろいろと慰める。
「そうよねえ。したいことが見つからないとねえ」
「まあ、資格でも取ってみるとか」
「お父さん、お母さんがいて、住むところがあって食べられるんだから・・・」
「こんな時代だから、なかなか大変かもね」
「健康なことは、感謝かしらね」
「仕事になるかどうかはとにかく、何かしたい事ってないの」
「・・・・」
「楽器はなにかできるの」
「ギター・・・」
「本は好き?」
「あんまりぃ。すぐ疲れて」
「大学では何の勉強したの」
「経●でした」
「・・・・」
今度はおばさんたちが沈黙。
◎ ● 〇 ●
そりゃ、トップアスリートとか、歌手とか学者とか、難しい資格の必要なスペシャリストとか。
早いうちに、あるレールに乗らなければいけない仕事も多いから、
とにかく、そのレールに取り付いている人もいるけれど、
早くから人生を賭ける、かっこいい仕事は、楽なレールに乗ってアイスクリーム食べながら
外の景色を眺めているんじゃなさそう。
ジェットコースター並みのアップダウンの揺れの中で必死に息を詰めて頑張っていたりする。
今度、会ったら言って上げよう。
おばさんも、あなたの年ごろには、なにをしたいのかわからなかったよ。
いいえ。ほんというとね。
今だって、何をしたいのかよくわからないのよ。
さあ、立って。まず、歩いてみて。
ペタペタと足跡が残っていって、
それが、ちょっと変だったり、そろっていなかったりしても、気にすることはないじゃない。
それが、あなたなのよ。あなたが生きた証しになる。
大事なことは、神様の前に真実だったかということかな。
おばさん。そう思うんだ。
教会の猫・がんちゃん