義母の入院した病院のスタッフの声音には、明らかな敵意が含まれていました。
「18日に手術の予定なんですが、同意書を書きに来ていただけますか」
「はい、わかりました」
「その前にも、一度来ていただきたいんですけど」
「もう一度ですか……」
私は困りました。当時は本当に仕事が忙しく、できれば夫に頼みたかったのですが、二回となるとどちらかは私が行かざるを得ません。
病院で悪口を言いふらされているなら尚更、一人で乗り込んでいくのは勇気が要ります。
私が困っていると、病院スタッフの口調がふと和らいで、
「もし無理なら同意書を書く時だけで結構です」
と言いました。
「そうですか、すみません。では夫と相談して都合をつけますので……」
私はホッとして電話を切りました。義母から事前に吹き込まれていたほど私が非常識な人間ではないことが、
短い会話の中でも分かったのでしょう。
入院してほんの数日のうちに、義母は一体どんな悪口を病院で言いふらしたのでしょうか。
義母は私が入院の日に来なかったため、「嫁と仲の悪い姑=鬼姑」というイメージを持たれるのを恐れて、
不仲の原因がすべて私にあるかのように大げさに吹聴したのでしょう。
私は用事があって行かなかっただけで、病院の人は誰も義母が嫁と不仲だなどと思っていないのに。
些細なことで怒鳴りちらしたという後ろめたさで、義母は過度に防衛的になっていたのです。
もし私が手術の同意書を書きに来た場合、自分がヒステリーを起こしたことが私の口から洩れるかもしれない。
場合によっては、自分が詐欺に遭ったことまでも……。
詐欺にあったことも、義母には到底認めがたい屈辱でしょうし、自分の『いい人』イメージも守らなければなりません。
私が何を言っても病院の人たちが信じないくらい、私のイメージを『話の通じない、頭のおかしい人』レベルにまで
下げておく必要があったのです。
たった2週間を共に過ごす病院の人々に与えるイメージを守るためだけに、あることないこと悪口を言いふらす神経には驚きました。
仲良くしておけば一生面倒を見てくれる嫁よりも、他人がそんなに大切だとは。
いいえ、義母にとって大切なのは他人ではなく、他人の目に映る自分のイメージなのです。
私は小中学生の頃、どのクラスにもいたリーダー格の女子を思い出しました。
彼女たちは、自分のイメージを築き上げるのが巧みで、常に取り巻きを従え、自分に一目置かない者を許しませんでした。
学校の教室では今も、義母のような『いい人』たちが、幅を利かせていることでしょう。
病院のスタッフが電話をかけてくる前に、義母がわざわざケンカ腰で私に電話してきたのはなぜでしょうか。
あらかじめ私をカンカンに怒らせておき、病院のスタッフに対して
少しでも感じの悪い態度を取るように仕向けようとしたのではないでしょうか。
それとも、大げさに悪口を言いふらしたことを知らせておけば、
義母の立場を守ってやるために私が口裏を合わせてあげるとでも思ったのでしょうか。
常に義母の機嫌を取ることに汲々としている伯母なら、あるいはそのくらいのことはするのかもしれません。
さすがに私は、そこまで義母にゴマをすることはできないし、そんな必要も感じません。
ここは中学校の教室ではありません。
義母が味方につけている「集団」からほんの少し距離を取るだけで、「悪口」という武器はほぼ効力を失うのです。
私は義母と同居しているわけでもなく、家を買ってもらったわけでもなく、子供の面倒を見てもらって働きに出たわけでもありません。
理不尽な目に遭わされてまでご機嫌を取る必要はないのです。
その時ふと、義父のことが思い浮かびました。
「18日に手術の予定なんですが、同意書を書きに来ていただけますか」
「はい、わかりました」
「その前にも、一度来ていただきたいんですけど」
「もう一度ですか……」
私は困りました。当時は本当に仕事が忙しく、できれば夫に頼みたかったのですが、二回となるとどちらかは私が行かざるを得ません。
病院で悪口を言いふらされているなら尚更、一人で乗り込んでいくのは勇気が要ります。
私が困っていると、病院スタッフの口調がふと和らいで、
「もし無理なら同意書を書く時だけで結構です」
と言いました。
「そうですか、すみません。では夫と相談して都合をつけますので……」
私はホッとして電話を切りました。義母から事前に吹き込まれていたほど私が非常識な人間ではないことが、
短い会話の中でも分かったのでしょう。
入院してほんの数日のうちに、義母は一体どんな悪口を病院で言いふらしたのでしょうか。
義母は私が入院の日に来なかったため、「嫁と仲の悪い姑=鬼姑」というイメージを持たれるのを恐れて、
不仲の原因がすべて私にあるかのように大げさに吹聴したのでしょう。
私は用事があって行かなかっただけで、病院の人は誰も義母が嫁と不仲だなどと思っていないのに。
些細なことで怒鳴りちらしたという後ろめたさで、義母は過度に防衛的になっていたのです。
もし私が手術の同意書を書きに来た場合、自分がヒステリーを起こしたことが私の口から洩れるかもしれない。
場合によっては、自分が詐欺に遭ったことまでも……。
詐欺にあったことも、義母には到底認めがたい屈辱でしょうし、自分の『いい人』イメージも守らなければなりません。
私が何を言っても病院の人たちが信じないくらい、私のイメージを『話の通じない、頭のおかしい人』レベルにまで
下げておく必要があったのです。
たった2週間を共に過ごす病院の人々に与えるイメージを守るためだけに、あることないこと悪口を言いふらす神経には驚きました。
仲良くしておけば一生面倒を見てくれる嫁よりも、他人がそんなに大切だとは。
いいえ、義母にとって大切なのは他人ではなく、他人の目に映る自分のイメージなのです。
私は小中学生の頃、どのクラスにもいたリーダー格の女子を思い出しました。
彼女たちは、自分のイメージを築き上げるのが巧みで、常に取り巻きを従え、自分に一目置かない者を許しませんでした。
学校の教室では今も、義母のような『いい人』たちが、幅を利かせていることでしょう。
病院のスタッフが電話をかけてくる前に、義母がわざわざケンカ腰で私に電話してきたのはなぜでしょうか。
あらかじめ私をカンカンに怒らせておき、病院のスタッフに対して
少しでも感じの悪い態度を取るように仕向けようとしたのではないでしょうか。
それとも、大げさに悪口を言いふらしたことを知らせておけば、
義母の立場を守ってやるために私が口裏を合わせてあげるとでも思ったのでしょうか。
常に義母の機嫌を取ることに汲々としている伯母なら、あるいはそのくらいのことはするのかもしれません。
さすがに私は、そこまで義母にゴマをすることはできないし、そんな必要も感じません。
ここは中学校の教室ではありません。
義母が味方につけている「集団」からほんの少し距離を取るだけで、「悪口」という武器はほぼ効力を失うのです。
私は義母と同居しているわけでもなく、家を買ってもらったわけでもなく、子供の面倒を見てもらって働きに出たわけでもありません。
理不尽な目に遭わされてまでご機嫌を取る必要はないのです。
その時ふと、義父のことが思い浮かびました。