不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

統合失調症の母の病前性格

2019-01-15 08:06:16 | 日記
母がビョーキらしいと聞いて、仙台から祖母と叔父が駆けつけてきてくれました。

祖母は麻布の裕福な医者の末娘でしたが、京都の大きな呉服屋の次男と見合い結婚しました。
細菌の研究をしていた夫が軍医に志願して出征し、戦死。
戦火を避けて夫の実家に身を寄せていましたが、終戦とともに東京に戻り、死に物狂いで3人の子を大学までやりました。

祖母は10人兄弟の最後に生まれた唯一人の女の子で、とにかく甘やかされて育ちました。
おしゃべりで、底抜けに明るく、こうと思ったことはとことんやりぬく。口の悪い兄たちがつけたあだ名が「ライオン」。
体形も気性も、母とは正反対ですが、気の強さだけは親子でそっくりでした。

母と祖母は、昔からしょっちゅう電話で長話をしていましたが、最後はたいてい喧嘩になって、
母が一方的に切ってしまうのでした。
それでも二人は仲が良い、というか、結びつきの強さは人一倍でした。

 母の非常識ささえも、祖母にかかると武勇伝になります。

「R子(母のこと)から、麻布のおじちゃんのとこに急に電話がかかってきたんだって。
今銀座のワシントンて靴屋にいるからお金持ってすぐ来てって。
おじちゃんたち、わけもわからず、『本日休診』の札出して、とるものもとりあえず夫婦で駆け付けたらば……」

 ここで腕組みをして、ふんぞり返る真似をして
「R子が店の真ん中に椅子を出させてこうやって座って、『あれ見せて』『今度はこれ取って』って
店員をあごで使ってるんだって。
おじちゃんたち、どうなることかとおろおろして成り行きを見守ってたけど、とうとう小一時間もたってR子が
『今日は気に入ったのがないわね』って立ち上がったときには、二人とも腰が抜けたように座り込んじゃったって」

何度も聞いた話なのですが、祖母のたくみな話術でつい笑ってしまいます。

 隣で、母が、
「おばあちゃんたら、大げさなんだから」
と肩をすくめます。

 久しぶりに祖母に会って、母は喜んでいるようでした。
お茶を出したり、世間話をする様子は、とても頭が変な人には見えませんでした。

「あんた、少し具合が悪いんだって?」
 切り出した祖母の口調は、自信がなさそうでした。

祖母にとって母は、超難関と言われた東京芸大に一発合格した自慢の娘です。
少しくらい非常識なことをしても、
「この人は、芸術家だから……」
と、むしろ感服したように、笑って片付けてきた祖母でした。

「どこも悪くないわよ」
 母は取りつく島もなく、
「なんで?」
 急に疑い深そうな顔で叔父と祖母を眺めました。