不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

アスペルガーの子は殺しても罪が軽いのか

2019-12-22 07:27:36 | 日記
先週このブログのタイトルを「不登校の息子の大学受験」としましたが、間違いです。
正しくは「ヒキコモリの息子」ですね。息子はもう高校を卒業したので……。

しかしこうして文字化してみますと、「不登校」より「ヒキコモリ」のほうが圧倒的に深刻味が増しますね。
大人になっても立ち直れないで、もう手のつけようがない感じがするのでしょうか。

元農水次官がヒキコモリの長男を刺殺した事件の判決が出ました。懲役6年に異例の保釈。
これで、アスペルガーの子は殺しても罪が軽いという判例ができたわけですかね。

池袋暴走事故で母子を死亡させた元官僚の事件が思い出されます。
あの時は「上級国民」とか言って叩かれたのに、このお父さんには世論の同情が多く集まったとの報道も聞きました。
官僚や元官僚が事件を起こすと、世間の目は冷たいのが普通なのに、これも異例と言っていいでしょう。

「ヒキコモリの子供を持って、かわいそう!」
というわけでしょうか。

妻はうつ病で娘は自殺、と言えば、『悲劇の主人公』みたいに聞こえますが、
それが全部アスペルガーの息子のせいみたいに聞こえちゃうのも気になります。

実は私も、自分はアスペルガーなんじゃないかと思っています。
そして私みたいな人間が、世間の人にどれほど気も狂いそうな思いをさせるか、体験してきました。
そのうえ小児性欲まであるときては、これほど恥ずかしい子はめったにいないでしょう。
よく親に殺されなかったなと不思議です。

集団に上手に溶け込める人は、『集団は素晴らしい』と信じて疑いません。
そういう人は私を集団に組み込もうとして躍起になります。

それがいいことだと信じているのです。善意のつもりなのです。
そっちが多数派でこっちは孤立無援ですから、およそ勝ち目がないわけです。

アスペならではの魅力とか才能とかを認めてもらえない環境にいると、
「自分はダメなんだ」と思うしかありません。
私はおかげで今でも苦しい自己否定の地獄の中にいるのです。

ただ、正直、家族ならともかく他人までなんでそんなに私のことで発狂するのか分かりませんけどね。
私みたいな人を肯定しちゃうと、自分の価値観が崩れ去ってしまうんでしょうかね。

たとえば私がこの事件の主人公で、夫がうつ病で娘が自殺して、息子を殺したりしたら、
それまでどんなに献身的に息子に尽くしていても、『鬼のような母親』と呼ばれるんじゃないかと思います。

夫のうつ病も娘の自殺も、私に原因があると思われるんじゃないでしょうか。
私が官僚OBじゃないから、とかじゃなくて、母親だから。
子供に起こることはすべて受容して献身するのが、母親の当然の姿だと思われているから……。

さしずめ夫は『異常な妻に人生を狂わされた悲劇の夫』くらいな扱いでしょうかね。