
今年最初の「早天アガペ」(早朝礼拝後の交わりと祈りの会)。
いつも、リーダーのTサンが朝食を用意してくださる。
このアガペの仲間が、昨年後半に、二人の方と
ひとりの方のご主人が、脳関係の病に襲われた。
突然だったのでびっくりはしたけど
アガペの仲間は無論のこと、教会全体で祈り続けている。
祈られ、祈っていると
癒されるのはみんなの願いで、大切だけれど
それ以上に、与えられた試練を不幸とはおもわないようになれる。
時間はかかるけど
決してマイナスではなくこの状況は必要だったと
祈りの中で理解でき、
試練を感謝できるようになれるのは凄い事だと思う。
(私は証します。なれるのです)
アガペの仲間たちの信仰の強さと心こもる暖かい祈りは
励ましを与えてもらえる。
今朝も、仲間たちと共に、自分以外の方々のために
一生懸命に祈る喜びをいっぱい受け取らせてもらった。
本当に嬉しかった

イエスキリストを救い主と信じて洗礼を受けて、今年で14年。

やっと頭部分がちょっと出てきたかな?!って感じです。
娘が召されてからはっきりと分かったのは
頭のてっぺんから足の先まで、神様が入る余地のないほど
彼女のことで詰まっていた私だったってことだ。
(それは、ヒトにはわかっていたけど、自分は分かっていなかった)
まるで支柱を失ってしまったつる植物のように
どこに絡まり、どこに捕まったらいいのかおかしくなっていた。
真のクリスチャンではなかったってことだ。

娘は、まだ地上で生き続けるだろう私に
『一番大切なもの』を置いていってくれた気がしています。


やはり彼女の最期は祝福されていた・・・・のです。
感謝します。

デモ今朝は、さっちゃんに会いたくて会いたくて
サッチャンの思い出に浸りたいです。
泣きたいです。


『感謝』と『祝福』と『愛』と『寂しさ』が交差してます。
