まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

宇宙に漂う旋律〜佐治晴夫さん講演会〜

2019-06-17 22:46:15 | 日記
赤ん坊の頃の音の記憶があるなんて
そんなこと有り得るんだろうか。

84年前、佐治家に勤めていた
15歳の子守りのお菊さんは
生まれたばかりの晴夫ちゃんに
よく歌を歌っていた。

ねむれ ねむれ
母の胸に
ねむれ ねむれ
母の手に

お菊さんは本を読むのが好きだったので
おそらく、新美南吉の「手ぶくろを買いに」が
歌を知るきっかけだったのだろうと
佐治さんは想像する。
当時、三浦環さん
(女学生時代、袴で自転車三角乗りして、
ハイカラさんのモデルになった人ですね)
がレコーディングをしていた
シューベルトの子守歌。

「何という優しい、何という美しい、
何というおっとりとした声でしょう」
そんなふうに書かれちゃ、聴かないわけにいくまい。

子守りの仕事を終え、一人自由を楽しむ時間に
本を読んだりラジオを聞いたりしていた
15歳の少女のことを思い描いてみる。
彼女はその時、まさか自分の話が
理学博士となった晴夫ちゃんから
プラネタリウムを埋め尽くす観衆に
披露されるだなんて思いもしなかったことだろう。

佐治さんはその歌を聴くと
何やら表現し難い感情が湧き上がることに
高校生の時に気づいたのだそうだ。

もし、お菊さんの歌ってたのが
五木の子守唄などだったら
宇宙探査機ボイジャーには
バッハの旋律が同乗することも
なかったかも知れない。

音の記憶。

人間は生まれてくる前にも
母親のお腹の中で外界の音を聴いている。
胎児が聴いている音がどのようなものかを
自らの子宮に小型マイクを仕掛けて
確認した研究者がいるのだという。
静脈の打つ音、消化器官の音、
そして親が話している言葉もちゃんと聞こえた。
産声の周波数はだいたい全世界共通の440ヘルツ(A)
でもアクセントは、親の話す言語に
寄せられるのだそうだ。

目が見てるものは、
網膜に受けた光の信号を
脳が勝手に見たいと思う映像に
構築したものだけど
耳から聞こえるものは、
発信したものが届ける
「生」のままのもの。
佐治さんの話を聞くことは
佐治さんの声がそのまま
わたしの耳に入り込んで
脳まで達すること。

確かに、わたしが
話を聞きたい人、話をしたい人は
声が心地よく響く人。
もちろん好みの問題。
歌の恩師が、声がどうしても嫌いで振った男性がいると話してたけど
音楽を生業とする人ならなおさら、そこは譲れまい。

子供の頃から苦手な音がある。
さおだけ売りの呼び込みの、
たーけやーーさおーーだけーーっていう低音の薄暗いテープの音。
聞こえてくると母親に飛び付いて震えてた。
そもそも、さおだけっていうものがなんなのかもわからず、
不気味さだけを感じていた。
石焼き芋やチャルメラのメロディなら
そこまで恐ろしくもなかったろうに。

こどもを持ってから、歌を習ってて良かったと思ったのは
様々な国の様々な子守唄が
歌えたこと。
歌による寝付きの良さの
傾向と対策、みたいのは
残念ながら追求しなかったけど
抱っこして背中とんとんしながら
モーツァルトをよく歌ってた。
シューベルトじゃなかったのは
たぶん、さっさと寝かしたい気分には
あまりにたっぷりしたスローテンポが
まだるっこしかったんだとおもう。

そんなわけでムスメは
モーツァルトの子守唄を聴くと
なにやら郷愁が掻き立てられ
、たりはしない。
シューベルトとの識別さえ
怪しい。でも凡人はそんなもん。
佐治さんがとびきり非凡なのだ。

なにしろ、戦時中防空壕のなかに
蓄音機を持ち込んでバッハ聴いてたくらいだし。
なんなら、金属針没収されたら竹針で、
竹も没収されたら、ハガキを口に咥えて
紙の角を溝に落とし、骨伝導で聴いてたというのだから。

宇宙で録ったという、不思議な音のうねりを聴かせてもらった。
かなり低く、ちいさな音が継続して唸ってるのは、ブラックホールの残響。どこかで星が生まれたときの爆発や、燃え尽きた星のさいごのゆらぎが、こんな音を奏でてるんだ、とおもったら
なんだか見上げた夜空が賑やかに感じられた。

いつか美瑛の佐治さんの天文台から星を見上げたい。
どんな旋律が聴こえてくるだろうか。

ローズマリー苦し

2019-06-11 23:52:15 | 日記
車を停めてドアを開くと
雨の中に立ち込める
青々としたローズマリーの香りに
むせ返った。
ぐったりしたカラダを
運転席から引きずり出す。
なんて長い日曜日だったんだろう。

母から、私と娘にゆっくり会いたいと
連絡が来たのは先月の終わりで
そこから二週間後に設定できたのは
週末遊んでばかりの私と
もっと遊んでばかりの娘にしたら
上出来だったと思う。

娘が小中学生の頃は、毎週日曜日に
合唱団の練習帰りに実家で
おいしいお昼とおやつたんまり
もらって喋るのが常だった。
比べるとこの現状、不義理なものだ。

お昼作ってそちらへ行く、と言われたとき
目的がすぐに推測できた。
一週間前だったか、急に
届け物するから今夜行くとメールが来て
猛ダッシュで帰宅したのだが間に合わず
玄関とリビングとキッチンの惨状を
目撃されてしまった。

家事をさぼっていることを母は特に責めなかったが
これはまずい、なんとかせねば、
と顔に書いてあった。

来訪日が決まってから、私は
時間を見つけては片付けと清掃に励んだ。
励みながらつくづく、
片付ける能力が乏しいと思い知った。

きれいになると気持ちいいでしょ、と
おっしゃる方はきっと
日々継続的に片付けをしていて
きれいになるまでの苦労が
気持ちよさより少ない方なんだろう。

必要に迫られ今まで目をつぶってきたところへ
対応しなきゃならない私の場合
片付いた時には疲労困憊。
ストレスで眉間に皺が深々と。
気持ちいいっていうより、天に召されそうな消耗具合。
家族もなんとなく話しかけるのに気を使ってる。

そして当日、案の定母の鞄には
「適度に使い込んでもうあと一回使ったら捨てる用の雑巾」が何枚も入ってた。
剪定ばさみはあるかというので
ずっと前に生け花を習ってたときの
錆びた花鋏を掘り出してきた。
母はそれで玄関前の雑木林と化した
ローズマリーを盛大に刈りはじめた。

後ろで私はそれを大きなゴミ袋に
詰めていく。
若い芽は少し持って帰るというので
それは小さい袋に取り分ける。
雨が降りだしたので、あとは私が後日やるからといっても止めない。
植え込みの雑草を抜き、傘立てからもう使用に耐えない傘を取り出し、玄関ポーチやドアを拭きあげる。

ずっと動きながら、悪いわね、自己満足なの、と母が言う。
そしてほんとは私がそこに一緒にいるのは本意じゃないと言う。
あなたは疲れてるから、休ませてあげたいんだけど、と。
なんて返事していいかわからず、ちょっと泣きたくなる。

本降りになってきたので、車で実家まで送り届け、そのまま靴を脱ぐこともなく家に戻った。
大声でわぁわぁ歌いながら走って来たら、なんだか具合悪くなってきた。

少し前、母は血圧がなぜか急上昇し
慌てて病院へかけこんだそうだ。
友達が何人か、おんなじような状況で
即入院、身動きもとれずになっていて

今回は大事に至らなかったが
「明日が必ずあるとは限らない
やりたいことはやって、
会いたいひとには会っておかないと」
との思いが強く棲み着いた。
結果この日合わせて四日間出ずっぱり
たぶん翌日はベッドから起き上がるのが
大変だったに違いない。

玄関が荒れていると良い気が入ってこないのだと母は言う。
確かに、すっきり片付いた玄関には
素敵な気がさらりと流れ込んでくれそうに思う。
でも私はそこに、服の裾を濡らしながら
がさがさと働く母の残像を見つけて
息が苦しいようだった。
どんだけ怠け者なんだか。

そこいくと娘なんかお気楽で
談笑してるだけで「かわいいわね」なんていわれて
「おおー。孫って最強。」とか有頂天。
目ぇ醒ませ。。。

母がほんとにやりたかったのは
玄関の清掃じゃなくて
私や娘と一緒の時間を過ごして
これまで言いたくても言わないできたことを吐き出して
まともな暮らしをしなさいよと態度で伝えることだったんだろう。
それが私にとってこんなに痛いのは
これまで母に甘え倒してたことを
まざまざ思い知らされるからだけど
こんなもんじゃ全然足りなくて
粛々と受け止めなきゃならない。

アタマでは理解したから、あとは
このぐったりしたカラダとココロを
説得していこう。

そのまえに

ちょっと寝かせて。