まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

教室撮影 幼児の皮を被った猿

2018-12-04 08:17:44 | 日記
某園児保護者向けのフリーペーパーに
掲載するための写真を撮りに
A区の端の方へ
単線2両の可愛い電車は
乗るときは改札もなく
降りるときは切符を回収箱に入れてくださいシステム
ラッシュ時で1時間3本ね

ご協力くださったのは20年のベテラン先生と
そのお孫様
こんにちは、と玄関のドアを開けると
飛びついてきて
「みてみて、このえんぴつアリエルだよ」という

撮影のためにピンクの美しいスーツをお召しの先生
お利口さんに見える園服に編み込みおさげのお孫様
なんだか楽勝なんじゃないか今日の撮影は
と思ったら

妙なハイテンションで教材に書き込むお孫様
しかし気に入らないページはスルーで
ひたすら「線結び」のみ
時折金切り声をあげたり
2分くらいするとすぐ私の膝に乗ってきて
「しゃしんとれた?みせて?」
とカメラをいじろうとする

先生は、あーだめだめ、とか言いながら
目尻下がりっぱなし
指導してるっていうか、ただ愛でてる感じ

20分くらい撮って帰ろうとすると
私の足に絡みついてよじ登ってくる
なかなかの重さでしかも片手にバッグ持ってるので
落とさないように必死

帰り道、電車を待ちながら
彼女の、全世界の人が自分を愛してると
信じて疑わない心について考える

こないだお菓子教室に行った時
3歳までに十分な愛情を得られないと、
その後どんなに補填しようとしても、
他者との信頼関係をうまく作れないんだという話を聞いた

おそらく同じリソースで
30年前学生の頃、バイトの男友達が
『だから子供が3歳になるまでは
母親は育児に専念して、
働きにでちゃだめだ』
とかいうのでボコってやったのを
思い出す

あれほどまでにおサルなお子様にも
なかなかお目にかからないから
ちょっと驚いたは驚いたけど
彼女はちゃんとひとを信じられる人間になるだろう
ナマイキな中学生とかになった頃、
今日のおサル写真を見せてあげてほしいなぁ

12月のフランス菓子研究所 チーズのビッシュ

2018-12-04 07:58:41 | お菓子作り


ワンパターンの美学からの脱却

ビッシュって言ったらもう
ビスキュイ焼いて
トヨ型に敷き込んで
ムースかババロア詰めて
蓋して引っくり返して
2センチ幅のビスキュイで
わざわざ切り株作って
シャンティショコラ
っていうのがお決まり
だったのに

18センチキャドルで
スフレチーズ焼いて
長方形に切って
シャンティショコラだって

フォルムを薪っぽくするために
シャンティを積み上げて
パレットナイフで曲線を作る

間に塗ったいちじくのジャムが
個性的で
単調になっちゃう
スフレチーズケーキに
強烈なアクセントを足してる

生地の混ぜはいつも
慎重にゆっくりやることがほとんどだけど
チーズはじわじわやってても
拡散して行かないから
え?こんな速度でやっちゃっていいんすか?
というビーターの動き
その勢いでムラング混ぜようとして
ちょっと緩くなったみたい
ただでさえ隙間スカスカのビスキュイに
流したら横の敷紙通り抜けて漏れちゃった

1時間の蒸し焼き
途中ローテしたりお湯足したり
普段なら一緒にオーブンに入れる人の分も
まとめてやってる作業だけど
傾けてお湯が生地にかかったりしたら怖いから
自分のは自分でね



ビスキュイもジャムも仕込んでいただいてるので
のんびりとしたレッスン
12月にしては珍しいことで
なんとなくビッシュ作ってる気がしない
仕上げにフォークで模様書いて
チョコプレート載せたらやっと
おお、クリスマス〜



だけど試食の時
これ、キャドルの形のまんま
上にシャンティ乗せて四角くカットでいいんじゃない?
という意見にみんなでうなづく

クリスマスかんけーなくなっちゃうけどな

神よ自由を〜フォーレクとボヘミアンラプソディー

2018-12-02 09:09:07 | 日記
あっちを彷徨いこっちに漂い、どん底に落ちたりして
最後はふわっと天に昇っていくんだねえ、タマシイって。

一緒にママの演奏会を聴きに行った
我が妹ちゃんの感想である。
演目は「フォーレのレクイエム」
合唱かじったことある人は
大抵は歌ったことがあるはずの超有名作。
歌詞はラテン語、妹ちゃんのように
初めて聴いた人には
ちんぷんかんぷんは当たり前だけど
フォーレさんの意図するところは
ばっちり彼女に伝わっているところが
恐ろしい。
本物だ、という証拠。

組曲の中で好きな歌は、合唱現役時代は断然
ソプラノ独唱が美しい
pie jesu domineだったけど
今回聴いて一番心に響いたのは
libera me だった。
私を苦しみから自由にしてください、と
悶えるように祈る歌。
重厚な低音ソロにそっと重なり
途中激しさを見せたかと思うと
最後はまた静かに切なく終わっていく。
歌うことを教えてくださった恩師の思い出や
そこで出会った素敵な先輩のママが
亡くなる時にフォーレクの楽譜を抱いてたことや
記憶の奥にしまってあったものが次々出てきて
涙が出てしまった。

70年代後半から90年始めにかけて
合唱が、というより恩師の作る音楽が
最高だと思っていた私にとって
フレディー・マーキュリーの存在は
「怖いから近寄らんとこ」という位置付けだった。
でもどこで何をしてても彼らの曲が聞こえてくる。
やだなあもう。バンド野郎め。
耳に残る歌、好きじゃないはずなのに気づいたらハモってたり。
そんな彼らの「ボヘミアンラプソディー」
聞いて鳥肌が。感動の方じゃなくて怖くて寒いやつ。
見たことも聞いたこともない生き物が
突然闇の中から飛び出してきたような。

先月から公開の映画は誰も彼もが大絶賛、
流行り物には乗ってみましょうというミーハー心と
そうはいっても「あの時代」に戻れるワクワク感とを抱いて
レイトショーに。

移民であることや見た目やセクシャルマイノリティであることが
原動力になって才能を爆発させたのだ、というのは今更だけど
その持ってるものの凄まじさがここまでだったのかと驚いた。
歌声の素晴らしさ(ほとんどが本人の音源を使っている)
パフォーマーとしての矜持
愛情の豊かさ、もちろん歌を作る才能も。
20年ほど遅いけど心を鷲掴みにされた。
様々なことから解放されたい、その叫びが
聴いている人たちの心を解放していく。
息子を心配し、言動に憤り、不安がっていた父が
最後にやっと全身で息子を抱きしめられたシーンが素敵。

ライブエイドでステージに乗ってる人も見てる人も
そこにいる全ての人が一つになった歌声は
フレディーの予告通り空に穴を開けて
まっすぐ神さまに届く。
それは私がずっと理想と思っていた音楽だし
サイズや強さは違うけどママの演奏会に存在した音楽。

どうしてこの映画がこんなにたくさんの人に
見られているのか。みんなクイーンのファンってことでもなかろうに。
そんな話を周りの人としたんだけど
クイーンが好きじゃなくても音楽が好きなら絶対楽しめる映画。
どんなジャンルの音楽であれ、それによって得たい思いは
共通なんだと思う。