ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

グループが苦手?

2018年08月30日 | 介護
自分から誰かに話しかけるのが苦手です。
そういえば最近は大丈夫になりましたがお使いに行ったスーパーで知り合いに会うのが苦手だった。
知り合いの姿を見つけるとスーパーの中を知り合いに気づかれないように歩く。
なぜなら挨拶が苦手なのだ。
自ら「こんにちは!」が言えないのだ。
相手が「こんにちは!」と、言ってくれれば何とかなるが、こちらからは声がかけられないのだ。
それが最近は出来るようになった。
大きな進歩だと思う。
初対面の人と話が出来ない。
まあ、隣近所でも挨拶くらいしかしませんから!
よほど相手が話しかけて来たら話はします。
ひどい人見知りでした。
自ら近所の人と世間話が出来ませんでした。
旦那に至ってはもっとひどいんですよ。
向かいの家のご主人が同級生なのに、挨拶しかしませんから!
その点、母は誰とでも話をします。
バス停でバスを待っている人に話しかけたりするんです。
後で「さっきの人知り合い?」と、聞くと「知らない」と!
「バスまだ来ませんね?」「どこまで行くんですか?」「雨ですね」とか話をします。
知り合いでもないのに!
整形外科でも知らない人と話をします。
それで知らない人から飴などもらって来るのです。
ある時などは駅前でランチを!
何年も整形外科に通っていると名前を知らなくても知り合いらしいのです。
それ!私は無理ですね。
だいたい主人と居酒屋に行っても知らない人とは話はしませんから!
カウンターの隣の人とも隣の人が話しかけてこなければ話はしませんから!
最近は少しはマシになりましたが、基本的に人見知りです。
最近不思議に思うのはFacebookで友達申請たくさん来るんです。
私の実態を知らないからですね?
それから時々行く日曜日の午前中の朝カフェ、いいですね。
私のようなものでも素直に受け入れてくれるんです。
最近は夫婦で参加しています。
皆さんいい人ばかりですね。人見知りの主人も会話に参加しています。
本当にマジで友達少なかったのに!
いえいえ、主人はいまだにいませんから!
朝カフェにもたまに何かは持参します。
独身の男性も何人か参加していますので!
で!友達は待ってても来ないんですね。自ら作るんですね。
子供の頃には考えられなかったことですね。
本当の友達でなくても、その場だけの友達でも楽しいですね。
そこには子供の頃には無かった優しさや労りや思いやりもあるんですよ。
昔のようないじめは無いんです。
誰でも受け入れてくれるんです。
ただ最低限の決まりはあります。
例えば宗教の勧誘はしない。
物品の販売はしない。等々あります。
喫茶店でコーヒー飲んで世間話を!
私たち夫婦を煙たがったりしませんから!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優しくされると辛いんです。

2018年08月30日 | 介護
2018.8.30
優しくされると辛いんです。
優しくされた経験が少ないからです。
優しくされたらどう受け止めていいのかわからないんです。
優しくされたことが本当に少ないんです。
突き放されても悲しいので普通にしてくださいね。
大体恋愛でも愛された経験は少ないですから!
子供の頃は何かに誘われても数合わせのようなことありましたから!
気を使って後から疲れるんです。
勉強も出来ず、他人との距離感もわからずに生きてきました。
夢や希望は全部両親にかき消され、就職した先でも辛いことはあったんですよ。
休憩から帰って来て「ただいま帰りました!」って店長に行ったら、目の前に私がいるのに「あの子、帰って来ないわね!」でしたから!
もうそんなことはどうでもいいんです。
配置転換してもらった職場では連日近所のおばさんがお昼休みと休憩に新興宗教の話でしたから!
数人で新興宗教の話で、一緒に働いていた若い子、会社辞めました。
私も上司に何度も配置転換言ったんですが!
その後、私の代わりの人が来たら、その人日曜日のたびに休むんです。
デパートは日曜日が忙しいのに!
保険会社の彼氏とデートだったんです。
嘘ついて日曜日に保険会社の彼氏とデートでした。
もうすべて過去の話ですね。
恨んでいないと言ったらうそになると思うけど、今あるささやかな幸せで良いのですよ。
地位も名誉もお金も望みません。
あなたの幸せを自分の幸せと思えるような人生を送りたいんです。
私が今、主人を捨てたら主人は本当に一人になるんですよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつの世もいじめは無くならないのだ!

2018年08月30日 | 介護
いつの世もいじめは無くならないのだ!
いじめは社会にはびこり延々と続くのだ!
子供は登校拒否になり、社会人はうつ病や五月病になるのだ。
行き場を失った子供は登校拒否をし、悶々とした生活を送るのだ。
1日2日休んだところで解決はしないのだ。
教師はそのことをひた隠しするのだ。
見て見ぬふりをした教師はひた隠しする。
それは自分がかわいいからに他ならない。
無かったことにし、穏便にことを運ぶのだ。
果ては教師からのいじめもあるのだ。
弟はある時教師に叩かれて帰って来た。
話を弟から聞いた母は弟が悪くないことを察する。
教師の捌け口は弟に向けられたのだ。
学年が代わり、担任が代わるとそんなことはなかった。
母も一時のことだろうと訴えもしなかった。私などは同級生に抵抗しても無理だった。
次々と繰り広げられる卑劣ないじめは後を立たなかった。
同級生はたまには遊んでくれるが、数合わせでしかないのだ。
結局私は軽い人間不信になり、相手の言葉の裏を読むのだ。
日々繰り返される卑劣ないじめに対して私は泣くことしか出来なかった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見返りは求めない。

2018年08月30日 | 介護
他人様からの見返りを期待はしていない。
すなわち見返りは求めない。
母はめんどくさがっている。
例えば田舎に住む母の妹が何かを送って来ると、必ず何かしらお返しを送る。
これは私にとってはめんどくさいのだ。
人に勝手に何かは送るが、相手からのお返しは一切求めてはいない。
なぜなら相手は気を使い、私に何かを送ってくるからだ。
出来れば私からの贈り物は宅急便ならきちんと届いただけの連絡でいいのだ。
届けばそれだけでいいのだ。
物をとったりやったりはしたくないのだ。
ましてやいただいた物が高価な物だと困るのだ。
相手に送ったものも届けさえすればいいのでその後相手がどうしようと構わないのだ。
母は毎回妹が送ってくれた野菜や米などをもらうと、お返しのことを考える。
私はだれかに何かを送っても見返りは求めてはいない。
期待もしていない。
相手の喜ぶ物を選ぶのが苦手なのだ。
3000円の品物をもらったとしてもそれ以上のお返しをしなければならないと思うと嫌なのだ。
毎年お中元とお歳暮を送っているが、いまだかって会社の先生からはお返しをもらったためしがない。
結婚したてのころ仲人さんに3年間お中元とお歳暮を送っていたが
何のお返しもなかった。
3年経ったら仲人さんから送らないでいいから!と、言われた。
本当に人に物をあげるのは好きだが、お返しで相手が苦労し、選んだ品が私の好みで無かったら嫌なので、出来れば丁寧にお断りはしたい。
昔々私の誕生日に会社の人がスタンドライトのようなものをプレゼントしてくれたが、どう使っていいのか困ったこともあった。
それ以前に勤めた会社では職場の人がピンクレディと石川さゆりのアルバムをプレゼントしてくれたが、どちらも好みではなかった。
その後そのアルバム2枚は小遣いに困って中古のレコード店に売りにいってしまった。
物をあげて相手が喜ぶだけでいいのだ。
私の自己満足でしかないのだ。
嫌なら要らないとはっきり言ってくれた方がいいのだ!
あのクミコさんからは散々「ちいちゃん!手ぶらでいいから!」と、言われすっかり手ぶらでコンサートなどに行く。
それ以前の島倉千代子さんに至っては私が何か差し入れしても、ファンは山ほどいるので、一度地元に来たときにいなり寿司の差し入れをしたときにお礼のハガキが来ただけなのだ。
私はありがとう!の一言が聞きたいだけなのだ。
勝手な自己満足で物をあげてしまうのだ。
その証拠に近所の作業所にも忘れた頃に何か差し入れはする。
決して見返りは求めていないのだ。
と、言うわけで私から何かをもらった人!お返しは要りません。
喜んでいただければ私は幸せです。
嫌ならさっさとお断りはください!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達の作り方がわからず、親友という名の定義がわからない!

2018年08月30日 | 介護
はっきり言って友達の作り方がわからない。
自ら友達になってほしいと言えない。
ましてや親友という名の定義がわからない!
ある時SNSで知り合った友人が「親友だから!」と、言ってきた。
それは私がFacebookを乗っ取られたことに始まる。
私はさんざん彼女に攻められた。
私のFacebookが乗っ取られ、メッセンジャーになりすましが現れ、彼女はうっかりラインのIDを教えてしまったのだ。
彼女のラインは乗っ取られ大変な目にあったのだ。
私は攻められた。
私も被害者なのにさんざん謝罪した。
しかし、彼女が言った一言は「親友だから!親友だと思ってたのに!」でした。
それは何にもまして嬉しい言葉だった。私のことを親友だと思ってくれていたのだ。
親友の定義がわからず、友達は出来ても親友だと思ったことがなかった。
生まれて初めて親友が出来たのだ。
しかし、その親友にも他に友達がいて、親友がいるのは確かなのだ!
私は結婚した。
結婚した相手がほぼ同じ境遇だった。
過去を語らない主人の心の奥はわからない。
ただその昔、偶然にも電車の中で主人も私は主人の同級生に声をかけられた。
その時主人は軽く会釈はしたと思うが、おそらく嫌な気分だったのだ。
あとから私が「あの人誰?」と、聞いたら「◯◯!いじめっ子だったから!」見たいなことを言った。
全く普通のおじさんは子供の頃の主人をいじめた張本人なのだ!
主人の脳裏に昔の悲しい思い出がよみがえったかも知れない。
私も悲しかった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする