ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

私のブログを信じているのか?

2018年08月29日 | 介護
私のブログを信じているのかこのところの訪問者数と閲覧者数が1000を越えている。
言っておきます!
最近書いているのは事実です!
事実です!
ずーっといじめられっ子でした!
仲間はずれはしょっちゅうでした。
結婚してもあるんですよ!
公民館のあるグループに入ったら私をどかして旅行の話!同じ部屋の中で私をどかして旅行の話!
その話に私は誘われませんでしたから!
私抜きでみんなでツアーに!
私に話は無いんです。
誘われないんです。
日帰りのバス旅行も泊まりのツアーも!
私に聞こえるように話はして、誘われないんです。
しばらくしてそのサークルやめました。
楽しくないんですから!
楽しくなければやめます。
どこにでもいますよね。
まあ、入ったサークル嫌な人がいたらやめます。
でもやめ時がわかりません。
地元の入っていた手話サークルは母との同居、サークルが夜の活動と言うことと、代表に選ばれそうになったのでやめました。
母は女性の夜の外出いやがります。
したがって手話はあまり出来ないんですよ!
地元の知っているろうあ者と世間話程度ですがね。

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シャンソンは心の琴線に触れるのだ。

2018年08月29日 | 介護
2018.8.29
シャンソンは人々の心の琴線に触れると思う。
病気になってクミコさんを知り、シャンソンを知った。
それ以前もシャンソンはなんとなく知っていた。
岸洋子さんが好きだった。
酒田の大火で多大なる寄付をした人だ。
もちろん山形県酒田市の生まれである。
それこそ数名のシャンソン歌手しか知らなかった。
それがクミコさんからシャンソン歌手を知った。
女性はほぼ美人が多いのだ。
クミコさんつながりで日野美子さんを知り、美人だった。
えくぼがあった。
私も両えくぼなので!
とにかくたまに見るYouTubeの女性のシャンソン歌手は美人が多い。
おまけに歌が上手いのだ。
昨日の井上千鶴さんしかり、依然見た久住由美さんもきれいだった。
こうやってシャンソン歌手はいいなと思ってしまう。
鰻祭の時の樋口亜弓も美人でしたね。
今じゃあ素敵なお母さんに!
本当にシャンソンはいいですね。
心に響いて沁みるんです。
どの歌も好きなんですよ。
美子さんにはリクエストしました。
「群衆」
すぐに歌ってくれました。
「コメディアン」もお願いしていあります。
これから秋はシャンソンの似合う季節ですね。
絵画館前などで枯葉を踏みしめてシャンソンなんていいですね。

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自分の死に方

2018年08月29日 | 介護
2018.8.29
自分の死に方を以前より模索していた。
葬式も模索していた。
いわゆる祭壇を作っての葬式と言うものが好きではない。
あの祭壇だけでかなりのお金を有する。
たかが1泊2日である。
祭壇は要らない。
お義理で来る人も要らない。
ましてや主人の葬式など友達がいないので友人の類は来ないのだ。
私とて来るのは義理なのだ。
心から悲しんでくる人はいないのだ。
お清めの席で個人はしのばない。
世間話をするのだ。
冷めた天ぷらをほおばり生ぬるい茶碗蒸しを食べながら個人とは関係のない話をするのだ。
どうせ子供がいないのだから樹木葬か散骨をするのだ。
それともどこかのお寺の永代供養をしてもらうのだ。
以前より疑問に思っていたお葬式の在り方に。
冷めた天ぷらを食べながら生ぬるい茶碗蒸しをほおばり、個人の写真を前にして世間話をするのだ。
連絡を受けてその日がたまたま暇だから来るのだ。
親戚だから来るのだ。
一人も参列しないと悪いから来るのだ。
この間の従姉妹の1周忌でお坊さんがお経をあげている途中で「お経、もう少し読みますか?どうしますか?暑いですからね」と、言ったので、途中でやめても最後までやっても料金は一緒なのだ。
従姉妹の旦那さんが途中でいいと言ったのでお経は途中で終わった。
この適当な坊さんは嫌だと思った。
私の場合はひっそりとしようと思う。
こっそりひっそりしようと思う。
誰にも知らせずこっそりするのだ。
その前に入院しても義理でのお見舞いは要らない。
現に一昨年母が左手首を粉砕骨折して入院した時にお見舞いに弟も弟の嫁も来なかった。
忙しいいを理由に来なかった。
身内でもそうなのだ。
ましてや他人は来ないのだ。
来ても義理なのだ。

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なぜこんなことを書くのか?

2018年08月29日 | 介護
私が最近なせこんなことを書くのか?
それは他ならないことからなのだ。
未だに社会ではいじめがあらゆる意味で横行している。
いじめによる自殺者はあとをたたない。
新聞やマスメディアで取り上げられるのはほんの一部でしかないのだ。
子供は学校でいじめにあい、大人は社会に出て会社でいじめにあうのだ。
上昇からのパワハラしかり、セクハラしかりなのだ。
結婚すればDVなるものさえあるのだ。
どこへも行き場のない子供や大人は自殺の道を選ぶのだ。
ご多分に漏れず私も中学2年の時に自殺を試みた。
しかし、寸でのところで食い止められた。
それは何あろう、私の自殺で学校に警察が来て新聞沙汰になることを同級生が阻止したのだ。
あの時の私は学校の校舎の2階から飛び降りる勇気を持っていた。
残念ながら今はその勇気さえないのだ。
どこかへ訴えても明快な対策などないに等しい。
学校もその子がいじめられていることをひた隠しするのだ。
それは自分の学校がマスメディアに取り上げられて新聞やテレビで取り上げられることを嫌っているに他ならない。
そういう子供はどこかにトラウマを持っている。
社会に出ても社会に適応は難しいのかも知れない。
かくなる私も社会人になってもいじめはあったのだ。
職場における仲間はずれや数々のいじめはあったのだ。
時として私は他人の顔色を伺い、楽しくなくても楽しいふりをしてしまうのだ。
職場で自分が品だしし、陳列したものを目の前ではなから直されるのだ。
嫌みのように直されるのだ。
床に落とした少量の佃煮を拾いゴミ箱に捨てても、同僚は嫌みのように私が落とした佃煮の床を大げさにモップで拭くのだ。
10円玉のサイズに落とした佃煮の後をオーバーに拭くのだ。
そんなことはしょっちゅうだったのだ。
影で平気に同僚は私の悪口を言うのだ。
上司にそれらのことを話すも相手も相手である。
上司に自分の都合のいいように話すのだ。
人見知りでどこか内気な私はよく分からないまま大人になったのだ。
絶えず顔色を伺い、楽しくなくても楽しいふりもするのだ。
そのくせ相手がしくじると心の中で「ざまあみろ!」と思うのだ。
陰湿ないじめは後をたたない。
今もどこかで繰り広げられているのだ。
そして私は延々とひとつしかないトランプゲームを一人でするのだ。
誘ってくれても相手はいやがり、私が加わっただけでも嫌な顔をするのだ。
小学1年生の時に学校にきつねの襟巻きをしてきた女の子がいた。
その子はそのきつねの襟巻きの顔の部分を持って私に迫って来たのだ。
私は教室中を逃げ回り泣くのだ。
怖かった。
きつねの襟巻きが怖かった。
果てはバイ菌ゲームのターゲットにもされるのだ。
フォークダンスで手をつないでくれない。
先生に言われてやっと男子は人差し指を出すのだ。
高校ではいたずらの手紙も自宅に届いた。私をバスの中で見かけたという手紙が届いた。
バスの中で私を見かけ、私が好きだと言う手紙が来たのだ。
見ず知らずの男名前の手紙が届き、両親はびっくりしたのだ。
しかし、それは同級生の仕業だったのだ。同じ手紙が同級生のもう一人の私のように嫌われている子にも届いた。
両親は学校に手紙のことをいい、それでもう一人の嫌われている子にもその手紙が届いたことを知るのだ。
その件は先生によるホームルームで犯人が突き止められ、謝罪はされたが、
もう一人の被害者の同級生は学校を転校していった。
病気を持っている子もいじめの対象になった。
私はブスと言うだけでいじめの対象になったのだ。
前歯の2本出た大きな歯を気持ち悪いと言われた。
それらはいじめのごく一部でしかないのだ。
もう些細なことでもいじめの対象になったのだ。
いつの時代もいじめは無くならず、どこかで繰り広げられているのだ。
主人は自分の過去を語らない。
口を閉ざしている。
しかし、結婚してほぼ28年、私は主人の友達を知らない。
また、主人も友達と出かけると言うことは無いのだ。
なぜなら子供の頃からいじめの対象になっていたのだ。
二人の共通点はきちんと挨拶が出来ない。
初対面の人に挨拶が出来ない。
主人に至っては話が続かないのだ。
無くならないいじめは今もどこかで誰かに行われているのだ。

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一緒に遊んだ子にいじめられるのだ!

2018年08月29日 | 介護
小学生の頃、クラスの女の子と遊んだ。
遊んだはいいが、その子はやがて私をいじめるのだ。
公園でその子と遊んだ。
その時の私はカバンを手に持っていた。
いつも学校にもって行くカバンをだった。
いまでいうトートバッグのようなものだった。
そのバックをその子に取り上げられ、そのバックはそばにいた少し知恵遅れの男の子のおしっこをかけられることになるのだ。
同級生が知恵遅れの男の子におしっこをさせ、そこに私のバックをかざしたのだ。
同級生に取り上げらたバックはおしっこをかけられたのだ。
ショックだった。
おしっこをかけられたバックはその後私に突き返されたのだ!
私はたぶん泣いたと思う。
遠い記憶だった。
おしっこをからけられたバックを私は家にもって帰り、洗ったと思う。
母にわからぬように洗ったと思う。
ショックだった。
これは私が受けたいじめのほんの一部にしかすぎないのだ。
私は常に学校ではバイキング呼ばわりされ、果ては私の配った給食にはバイ菌が入っているとまで言われた。
給食当番の時に、私が立っているところに来るとバイ菌が入るからと同級生は各々器によそるのだ。
結局当番の私は給食当番の割烹着だか白衣を着て三角巾を被って立っているだけなのだ。
そんないじめはごく一部でしかない。
フォークダンスでは男子から手をつないでもらえず、遠足のバスの座席では私の隣の席になった同級生はまるではずれくじを引いたような態度をするのだ。
修学旅行の部屋割りも私が入った部屋ははずれくじなのだ。
ここに書いたことは私に対するいじめのごく一部でしかない。
私に対するいじめや嫌がらせは後々まで続くのだ。
私は両親にそのことは言えず、その結果いじめは続くのだ。
学校へ行けば絶えず何らかのいじめは繰り広げられ、そのいじめは教師の見ていないところで繰り広げられるのだ。
私は担任の先生に言うことも出来ずにすごすのだ。
父が怖かった。
何よりも怖かった。
私は父や母が怖かったので何も言わずに毎日学校に行った。
さしずめ今なら登校拒否や引きこもりになるところを、私はならずに過ごしたのだ。
なぜなら両親が怖かった。
何よりも怖かった。
病気にならない限り学校は休ませてもらえなかったのだ。
教室の2階の窓から同級生の男の子が窓の外を歩く私めがけて唾を飛ばすのだ。
しかし、その唾は運良く私の頭にはかからなかった。
リンチに2度ほどあった。
勉強が出来なかった私はリンチにあったのだ。
国語の漢字のテストが行われる度にその時の担任の教師が漢字テストの成績順位を教室の壁に貼り出していた。
私はいつもビリだった。
いつもビリの私をクラスの女の子の数名がせめた。
初めは校舎の裏だった。
数人の女子が私の前に並び、私が国語の漢字テストができないことを責めた。
そして平手打ちが私の頬に!数人の女子が一人づつ私の頬を平手打ちしたのだ。
校舎の裏なら先生には見つからないのだ。
また、別な日には校舎の屋上で行われた。
私の前に数人の女子が並び次々に頬を平手打ちするのだ。
漢字のテストが出来ない私を責めるのだ。
私は泣いた。
泣いてもそのことを担任の教師に言うことも、両親に言うことも出来なかった。
それは私に対するいじめのごく一部でしかない。
※このブログに書かれたことは事実ですが、信じるか信じないかは読者におまかせします。

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