ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

うっかり曜日と時間を間違えて行ったライブハウス!

2018年08月28日 | 介護
このところの過去のことを思い出しては落ち込んでいたのでしばらくぶりに日野美子さんの歌が聴きたくなり荻窪のライブハウスに!
そしたらうっかり曜日と時間を間違えてしまいました。
お昼のライブだと思っていたら夜のライブでした。
それでも何度か母に断りライブハウスに!
何の予定もしていなかったのに、いきなり歌う羽目に!
譜面も何も持参しなかったのに、美子さんの譜面をお借りして「サンジェルマンにおいでよ」を歌うことに!
まあ、あやふやな歌詞で歌い、その後歌ったお客さんの荻野目洋子さんのダンシングヒーローで踊ることに!
アルコールも多少入って適当に踊り楽しみました。
2部でも歌う羽目に!
島倉千代子さんの「からたち日記」を歌うことに!
偶然にもピアノの砂原嘉博さんがその昔島倉千代子のピアノ伴奏をしていたそうです。
これも縁ですね。
私は緊張しながらからたち日記を歌いました。
音程外れてセリフ間違えて!
でも楽しかったですよ!
日野美子さんと井上千鶴さんの素敵な歌声聴けて、嗣のママさんも歌ってくれて!
美子さんはわざわざ私のリクエストの「群衆」を!
井上千鶴さんも「パリの屋根の下」と「小さな靴屋さん 」を!
やっぱりシャンソンはいいですね。
素敵な歌声で元気になりました。
でも門限が!
シンデレラなので!
途中で帰りました!
最後にママに差し入れした大きなメロンの写真を!
このメロン980円です!

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電車に乗った!

2018年08月28日 | 介護
美子さんのライブが夜からなので家にいたら整形外科に行っていた母が帰って来た。
帰って来て一番に言った言葉が「あんた!まだ居たのかい!」だった。
居ては悪いかの如くです。
夕食用に作ったシチューが味がないと言う。
母はシチューに塩を振っていた。
その後こっそり鍋のシチューに塩と胡椒を入れてかき混ぜてごまかしたのは言うまでもない。
ぎっくり腰がぶり返すといけないので長時間のキッチンは立てないのだ。
このところのブログに私の不幸話のようなことを書いたら読者が増えた。
他人の不幸話に興味をそそられるのか?
おそらく絶対に口を割らない主人の不幸話の方がはるかにすごいと思う。
66年間ほぼ友達がいないのだ。
職場でパワハラもあったのだ。
腕に出来たアザに私は悲しかった。
仕事から帰って来た旦那の腕に明らかにつねられた後が!
問いただすと完全なるパワハラでした。
そんなことが何度かありました。
残業してもお給料にはほとんど付かないんですよ。
早出も残業も!
サービス残業ばかりでした。
おまけに有給休暇もなかったのです。
新婚旅行から帰って来て次の日から時差ぼけなのにいきなり会社!
そう言えば独身の頃にお腹の病気で旦那が入院したら会社の先生は「まだ入院してるんですか?」と、言ってきたらしい?
2年前に頸部脊柱管競作症で入院したときにはさすがにそれはありませんでした。
いじめにもあい、パワハラにもあった主人の方がはるかにすごい人生かも知れない。
私たち夫婦は不幸を背負って生きるのだ。
しかし、私たち夫婦は世界中に私たちよりも不幸な 人々がいることを知っている。
悲しんではいけないのだ。
些細なことでくよくよし、悲しむよりも前を見て残された人生を歩むのだ。
そう言えば島倉千代子さんの歌で「悲しみなんかに負けないで手を取ってどこまでも駆けて行きましょう!」と、言うのがあったのを思い出した。
お互いに病気があるので駆けることは無理だが手を取って歩くことは出来るのだ!

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いつくに戻りたいか?

2018年08月28日 | 介護
2018.8.28
たまにネットなどの質問に「いくつに戻りたいか?」と言う質問がある。
今更戻りたい年齢などないのだ。
過去に戻ることは再び辛さや不幸を味わうことになるのだ。
戻りたい年齢などあるわけもない。
大人になっても嫌なことは繰り返されるのだ。
私に幸せは似合わないのだ。
本当の意味での幸せとは何なのか?
富を得て名声を得ることなのか?
ささやかな幸せの裏には大きな不幸もひかえているのだ。
これは一つの試練だと思う。
この試練を乗り越えた向こうには何があるのか?
不幸をばねにと言うことが出来ない。
心の奥底にある過去の出来事に悔しさと哀しみが入り混じっている。
あの時自殺も出来ずに今日まで生きてきたことに何らかの意味はあるのか?
母の目をかいくぐり行った芸能人の追っかけにひと時の幸せを求めていたのだ。
明日も何か起こりうるであろう自分に、ひと時の幸せを見つけていたのだ。
挨拶が出来ない。
自分から話せない。
他人の目を見て話が出来ない。
どこかでおどおどしているのだ。
おどおどしていじけているのだ。
素直ではない自分がいるのだ。
本音で話が出来ないのかも知れない。
京都人の「ぶぶづけどうどすか?」の意味が分からない。
「そうですか?」と、言うとかげで嫌な顔をされるのだ。
そのくせ丁寧に断っても嫌な顔はするのだ。
私のことなど正直に話しても信じてはもらえないのだ。
信じてもらったりそこで同調を求めてはいない。
ただいじめられて育った子供は大人になるとこんなになるのだ。
こんな大人に!

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人間関係の形成が出来ずに甘え方を知らない。

2018年08月28日 | 介護
2018.8.28
そもそも人間関係の形成が出来ずに人に対しての甘え方を知らない。
どのように人間関係を構築してゆけば良いのかさえも分からずにいる。
そういうことを習った記憶さえないのだ。
両親は学校は私に何を教えたのだろう?
学校での過ごし方も良くわからぬままに高校までの過程を終え、社会人になるもその後の人間関係の形成の仕方も構築の仕方もわからぬままに結婚と言う過程を踏んだ。
他人との付き合い方も良くわからぬまま友達を作り、自分が心から楽しめることを度外視して生きてきたような気がする。
甘え方がわからない。
そのくせ一旦思い込んだら周りが見えなくなるのだ。
気持ちの切り替えができない。
つまらないことでも後々までも尾を引くのだ。
些細な優しさに思いやりにこのところすぐに泣いてしまう。
そんなことな無かったような人生を歩んできたので他人の優しさや思いやりやいたわりが身に沁みるのだ。
出来ればどこかで突き放してくれることを望んでいるのだ。
愛情と言うものが苦手。
元々涙腺が弱いので良く泣く。
私に対しての愛情は要らない!
思いやりも労りも優しさも要らない。
そんな経験を受けた記憶が少ない。
私に対しての施しなど要らない。
突き放された方が良いのかもしれない。
優しくされればされるほど辛いのだ。
優しくされた記憶が少ないのでその後の対応が出来ないのです。
どこにいても気を使い、仲間外れの環境にいたので、他人との接し方も良く良くわからないでいるのです。
だから同居の母にも冷たく当たるのです。
老人を虐待しているつもりはないのに、傍から見たらそう見えるかも知れませんね。
このところあらゆる意味で懺悔の日々を送っています。
友達を作ったことがそもそもの間違いの始まりだったような?
死ぬまで誰かに嫌われて孤独に死んでゆくことを望めば良かったですね。
勝手な想像ばかりを巡らせ生きてきました。
私の苦しみなど世の中から見たらたいしたことではないのです。
過去に受けた苦しみや辛さを出来るものならすべて消し去りたいと思います。
生きていたことが大きな間違いだったと思います。
子供の頃に受けた心の傷は治すことは出来ません。
卑劣ないじめの数々を受けて来たので、優しくされることになれていません。
他人に愛された経験がほぼないのです。
したがって愛情のとらえ方と受け方がわかりません。
冷たくされ突き放された時代が長くありました。
トラウマですね。
学校に行くのが嫌だった。
心の奥底で辛かったんですね。
それでも無理して笑顔を作ってしまうのです。
自宅で泣けば怒られるのですから、学校で泣いて、夜中に頭から布団を被って泣きました。
もう忘れかけていたいじめの数々がよみがえりました。
優しくされるのが辛いのです。
どうぞ、突き放して見捨ててください。
愛情は要らない!
思いやりも優しさも労りも要りません。
怖いのです。
怖いんです。
他人様からの施しを受けることが!
卑劣ないじめの数々を受けて育った私は怖いのです。
あなたはいじめを受けて育った苦しみは分かりますか?
遠足で行った多摩テックで先生が一人一人に配った乗り物券で、私と一緒に乗り物に乗ってくれる人はいなくて何も乗らずにバスに一人帰ったことがありました。
こんなことはざらです。
家まで持って帰った乗り物券は捨てました。
何を言いたいのかわからなくなりましたが、とにかく夜は美子さんの歌声で癒されてきますね。

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もう。ええのじゃ!

2018年08月28日 | 介護
2018.8.28
もう、ええのじゃあ!
私の良かれと思ってとった行いが尾を引いている。
私は深く反省をし、謝罪をした。
しかし謝罪だけでいいものかと思う。
まったく余計なことをしてしまい多くの方々に多大なるご迷惑をおかけしたことは言うまでもない。
合わす顔さえない。
出来れば静かに身を引きたい気持ちになった。
携帯の待ち受けをブルーのドレスの美子さんに変えた。
変えたはいいが時計の時刻表示で顔の上に時刻が!
パソコンの最初の画面を変えた。
隣町の幸手の権現堂の彼岸花の自分で撮った写真に変えた。
SNSの写真を変えた。
弟の家の犬の写真にした。
ブログの写真も犬の写真にした。
全面的に私が悪いのだ。
あらゆるものを出来るだけ削除した。
わかる限りは削除した。
他人様にご迷惑をおかけしたことに対して謝罪だけで済むのか?
かくなる上は一年以内に静かに身を引こうと思う。
そうだ!静に身を引くのだ。
同居の母からは気ちがい呼ばわりをされて、昨日はそのことを書いた。
私の良かれと思ってやったことは大きな波紋を産むのだ。
このことに関しても、その他のあらゆることに関して静かに身を引こうと思う。
新しいものを見つけてそちらに目を向けようと思う。
そもそも昔からこの世に生を受けたことを悔やんでいた。
私は本来なら中学2年でこの世から消えていたのだ。
それをのうのうと60歳まで生きて来た。
もう、いいのではないかとさえ思う。
しかし、今の私には死ぬ勇気は残念ながら持ち合わせていない。
この地球と言う星の日本と言う国の片隅でひっそりと生きてゆくのだ。
他人様に迷惑のかからない生き方をしたいと思う。
それがどんな生き方なのかわからないが、そんな生き方を模索し生きてゆこうと思う。
あらゆる物事から静に身を引こうと思う。
せっかくつながったご縁もあらゆるご縁も断ち切るのだ。
1年以内に断ち切るのだ。
行けなかったのだ。
友人を持ちたいと思ったことさえも行けなかったのだ。
そもそも、友達と呼べる人が結婚するまでほぼいなかったのだ。
それが曲がりなりにも結婚をし、友達が数人出来たことさえ行けなかったのだ。
どこまでもあくまでも孤独を貫けば良かったのだ。
私と言う存在を消したいと思う。
しかし今私がこの世から姿を消したら主人が困るのだ。
まったくの一人になるのだ。
ソーっと静かにあらゆることから身を引こうと思う。
思い付きだけでしていたことはしないようにしたいと思う。
さあ、気持ちを切り替えて美子さんの歌でも聴きに行こうと思う。
少しでも歌を聴いて癒されればそれでいい。
自分勝手でいかに私がわがままな人間だと言うことを知った。
人間と言う形に生まれたことさえも悔いている。

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