私が母のもとに生まれたことは運命なのだ。
ある意味宿命なのだ。
今更それを変えることは出来ないのだ。
母はこのところことあるごとに32年間も育ててやったと言ってくる。
育ててはくれたが育て方は間違っていた。
自分の育て方が正しと思って育てていたのだ。
一つも間違っていないと思って育てていたのだ。
母の考えや意見はどこかの国の独裁政権のごとく家にはびこっていた。
逆らっても無理なのだ。
酒とたばことギャンブルが好きな父と結婚し、常にパートで働いてきた。
子育てをし、家事をし、働いていた。
ましてやそこには母が幼くして実母を亡くし、義母に育てられた経緯がそこにあるのだ。
女学校を出るとすぐに母は働いた。
妹や弟が出来ると母は仕事を辞め実家に帰されるのだ。
そしてまた働く。
働いた金は仕送りもするのだ。
次から次へと生まれる妹や弟を背負って幼いながらも家事をする。
遊びにも行かれない。
そんな育った境遇にもあるのだと思う。
実母の愛情を知らない。
娘の私に対する愛情の注ぎ方をある意味はき違えているのだと思う。
私は母の言いなりになって育った。
逆らえど逆らえど無理だったのだ。
母好みの女の子に仕立て上げられ育てられ、すべてを管理されて生きてきたのだ。
ここにその例をあげたら枚挙にいとまがない。
最近だって夫婦は一緒に寝るものだと言って来た利、一緒に風呂に入れと言って来たりする。
たとえ旦那のいびきがうるさくても妻の歯ぎしりがひどくても一緒に寝るものらしい?
風呂がどんなに狭くても夫婦は一緒に入るものらしい?
すべてにおいて矛盾している。
私の主人の給料の額を聞いてきたり、ボーナスが出たかと聞いて来たりもする。
果ては給料の使い方にも文句は言ってくる。
貯金がいくらあるかも聞いてくる。
買ってきたものには決まって文句を言う。
作った食事にも文句を言う。
嫌いな食べ物には文句を言う。
入れ歯なので噛めないものにも文句は言う。
私が出掛けると言葉では言わないが、上から下まで眺めてファッションチェックまでされるのだ。
美容院に行く。
帰ってくると私の髪形に文句を言う。
どこへ行く?
誰と行く?
何しに行く?
何時に帰る?
は、定番です。
帰ってきたら何を食べたか?
何を買ったまで聞いてきます。
若いころ彼氏が出来れば勝手にデートの約束をしてきたことに怒り、帰ってきたらデートの内容まで聞かれる始末でした。
母が認知症になったら言われたことは女性の門限は5時です。
そうです。17時です。
その後、私の消灯時間を19時と決められました。
もう、夕食を5分で食べる始末です。
いつまでも食べていると目で合図をするのです。
私は5分で夕食を済ませ、5分で片づけ、明日のお米を研いで風呂を沸かして、自分は入らずに寝ると言うことに!
そのうち「なんで風呂に入らないんだい?」ですからね。
夜中にこっそり10分の入浴です。
そのうち消灯時間が21時になりました。
もう、母のことを上げれば本当に枚挙にいとまがないのは事実です。
家事の仕方にも文句は言われます。
掃除に洗濯その他いろいろ母なりのやり方があるようで、文系の利器は嫌がります。
私たち夫婦は家の中で息を殺して暮らしています。
そもそも私は子供の頃から芸能人がすきでした。
その芸能人の追っかけをすることはいまだに母は嫌がります。
後援会に入ること。ファンクラブに入ること。
嫌がります。
ライブに行くこと。
コンサートに行くこと。
劇場に行くことも嫌がります。
したがってうそをついて行く。
3回行っても1回だと言い張る。
お金は貯めるものだと思っているのです。
私がこうしてブログをしていることもSNSをしていることも母には内緒です。
スマホを持っていること。
パソコンを使うことも反対されています。
延々と通っているパソコン教室もやめてほしいようです。
せっかく入った地元の高齢者大学もやめてほしいようです。
私がkindleで本を2冊も作ったこともLINEのスタンプを作ったことも内緒です。
言えば反対されることは目に見えています。
今、私がシャンソンが好きでシャンソン歌手のライブに行っていることも内緒です。
浪曲が好きで木馬亭に行っていることも内緒です。
断りもなく師匠の後援会に入れてもらいました。
すべて内緒です。
そんなわけで私は結婚して10年目に母と同居し、その後、更年期と母との同居からくるうつ病になり、心療内科に通っています。
今は症状は落ち着いていますがいまだに病院には通っています。
そんな母に育てられた娘はこんなおばちゃんになりました。
ある意味宿命なのだ。
今更それを変えることは出来ないのだ。
母はこのところことあるごとに32年間も育ててやったと言ってくる。
育ててはくれたが育て方は間違っていた。
自分の育て方が正しと思って育てていたのだ。
一つも間違っていないと思って育てていたのだ。
母の考えや意見はどこかの国の独裁政権のごとく家にはびこっていた。
逆らっても無理なのだ。
酒とたばことギャンブルが好きな父と結婚し、常にパートで働いてきた。
子育てをし、家事をし、働いていた。
ましてやそこには母が幼くして実母を亡くし、義母に育てられた経緯がそこにあるのだ。
女学校を出るとすぐに母は働いた。
妹や弟が出来ると母は仕事を辞め実家に帰されるのだ。
そしてまた働く。
働いた金は仕送りもするのだ。
次から次へと生まれる妹や弟を背負って幼いながらも家事をする。
遊びにも行かれない。
そんな育った境遇にもあるのだと思う。
実母の愛情を知らない。
娘の私に対する愛情の注ぎ方をある意味はき違えているのだと思う。
私は母の言いなりになって育った。
逆らえど逆らえど無理だったのだ。
母好みの女の子に仕立て上げられ育てられ、すべてを管理されて生きてきたのだ。
ここにその例をあげたら枚挙にいとまがない。
最近だって夫婦は一緒に寝るものだと言って来た利、一緒に風呂に入れと言って来たりする。
たとえ旦那のいびきがうるさくても妻の歯ぎしりがひどくても一緒に寝るものらしい?
風呂がどんなに狭くても夫婦は一緒に入るものらしい?
すべてにおいて矛盾している。
私の主人の給料の額を聞いてきたり、ボーナスが出たかと聞いて来たりもする。
果ては給料の使い方にも文句は言ってくる。
貯金がいくらあるかも聞いてくる。
買ってきたものには決まって文句を言う。
作った食事にも文句を言う。
嫌いな食べ物には文句を言う。
入れ歯なので噛めないものにも文句は言う。
私が出掛けると言葉では言わないが、上から下まで眺めてファッションチェックまでされるのだ。
美容院に行く。
帰ってくると私の髪形に文句を言う。
どこへ行く?
誰と行く?
何しに行く?
何時に帰る?
は、定番です。
帰ってきたら何を食べたか?
何を買ったまで聞いてきます。
若いころ彼氏が出来れば勝手にデートの約束をしてきたことに怒り、帰ってきたらデートの内容まで聞かれる始末でした。
母が認知症になったら言われたことは女性の門限は5時です。
そうです。17時です。
その後、私の消灯時間を19時と決められました。
もう、夕食を5分で食べる始末です。
いつまでも食べていると目で合図をするのです。
私は5分で夕食を済ませ、5分で片づけ、明日のお米を研いで風呂を沸かして、自分は入らずに寝ると言うことに!
そのうち「なんで風呂に入らないんだい?」ですからね。
夜中にこっそり10分の入浴です。
そのうち消灯時間が21時になりました。
もう、母のことを上げれば本当に枚挙にいとまがないのは事実です。
家事の仕方にも文句は言われます。
掃除に洗濯その他いろいろ母なりのやり方があるようで、文系の利器は嫌がります。
私たち夫婦は家の中で息を殺して暮らしています。
そもそも私は子供の頃から芸能人がすきでした。
その芸能人の追っかけをすることはいまだに母は嫌がります。
後援会に入ること。ファンクラブに入ること。
嫌がります。
ライブに行くこと。
コンサートに行くこと。
劇場に行くことも嫌がります。
したがってうそをついて行く。
3回行っても1回だと言い張る。
お金は貯めるものだと思っているのです。
私がこうしてブログをしていることもSNSをしていることも母には内緒です。
スマホを持っていること。
パソコンを使うことも反対されています。
延々と通っているパソコン教室もやめてほしいようです。
せっかく入った地元の高齢者大学もやめてほしいようです。
私がkindleで本を2冊も作ったこともLINEのスタンプを作ったことも内緒です。
言えば反対されることは目に見えています。
今、私がシャンソンが好きでシャンソン歌手のライブに行っていることも内緒です。
浪曲が好きで木馬亭に行っていることも内緒です。
断りもなく師匠の後援会に入れてもらいました。
すべて内緒です。
そんなわけで私は結婚して10年目に母と同居し、その後、更年期と母との同居からくるうつ病になり、心療内科に通っています。
今は症状は落ち着いていますがいまだに病院には通っています。
そんな母に育てられた娘はこんなおばちゃんになりました。