ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

楽しいことなど皆無に等しい

2020年06月21日 | 介護
自宅にいると楽しいことなど皆無に等しい。
母の部屋のテレビが壊れかけて来たので、新しいテレビを購入する。
家電量販店で我が家の他のテレビと同じメーカーの小さなテレビを探す。
多少の下調べをして、なるべく安くと思う。
見つけた小さなテレビが土曜日の午後にしか配達出来ないと言う。
土曜日の午後の配達をお願いして帰ってきた。
帰ってきて母にテレビの話をしたら激怒された。
新しいテレビを買うことはダメらしい?
母曰くまだ見れるのだから、完全に見れなくなったら買えばいいと!
完全に見れなくなったら買うと言うのはいいが、配達に日数がかかるのだ。
我が家は車が無い。
持って帰るならタクシーを頼まなければならない。
家電リサイクル法のこともあり、古いテレビを引き取ってもらうことも考えたら、テレビは今買うべきだと思う。
母には説明しても説明しても文句を言われるばかりだ。
おまけに新しいテレビを買うと言うことは「死ねと言っている!」と、言う。
早く死ねと言っているようなものだと言うのだ。
長い目で見たら新しいテレビの方がいいと思う。
テレビの右端に赤い線の入ったテレビでは全く見れなくなるのも時間の問題だ。
とにかく母はたとえテレビ屋と言えども、自分の部屋に他人が入ること事態が嫌なのだ。
ホコリだらけの汚れた部屋だと言う。
片付けてきれいにしなければと言う。テレビ屋が来ても、新しいテレビは自分の部屋に置かないでくれとも言う。
他の部屋に置いてくれと言う。
我が家ではテレビを設置する他の部屋は無いのだ。
なぜならテレビのアンテナが通っていないのだ。
キッチンも旦那の2階の部屋もテレビのアンテナが通っていないのだ。何とか母を説き伏せて、午前中に母の部屋を掃除して片付けて、午後には電器店の人が来てテレビを設置してもらう。
新しいテレビはさすがに小さくても良く映る。
リモコンの使い方を説明するも、今まで地デジは1と4と5と6と7と8しか見れないと思い込んでいたようだ。
我が家に来て20年間そのチャンネルしか映らないと思い込んでいたようだ。
2番と3番と9番と11番も映ることを伝え、尚且BSとCSも見れることを伝えると、わからないからいいと言う。
1と4と5と6と7と8だけでいいと言う。
その後、壊したら悪いとテレビを少しの間母は見ないでいた。
しかし、夕方になり、夜になり、母は新しいテレビを見ていた。
私は私で、電器店がテレビを設置して帰ったあとに、パンクした自転車を引いて遠くの自転車屋に旦那と行き、新しい自転車を買う。
自転車はパンクの修理だけでは済まないのだ。
タイヤごとダメなのだ。
タイヤを交換となると最近は一つ6000円近くかかるので、新しい自転車を買うことにした。
新しい自転車を買い、古い自転車を引き取ってもらい、その後あっちこっちで体温計の電池を探すも、体温計の電池はどこにも無かった。
体温計すら無かったのだ。
その後、駅のマツキヨでやっと新しい体温計を見つけた。
電池は無かったが、体温計を見つけた。
この店では何度か体温計を見かけてはいるが、いつも見かけるのは10分計だ。さすがに10分計では誰も買わない。
見つけたのは15秒で計れると言う。
7月から地元の公民館の歌声サークルが再開するのだが、毎回自宅で体温を計ってから来るように言われているので、少々高くても体温計を買う。
体温計を買って家に帰る。
その日は私は朝から何も食べていなかったのでお腹が空きすぎていた。
いゃあ、前の晩から食べてはいなかった。
自転車を買い行く途中のコンビニでおにぎりを一つ買い、みっともないと思いながらも、歩きながらおにぎりを頬張った。
たった一つのコンビニのおにぎりは美味しかった。
自転車を買ったあとに回転寿司に寄った。
私は寿司を2貫と小さな味噌ラーメンを半分食べた。
このところきちんとまともに食事をしていないので、それだけ食べたらお腹いっぱいだった。
自宅に帰っても何も食べる気にはならなかった。
このところ私が自宅で何も食べないことを母は心配していた。
食べては行けないように仕向けたのは母なのだ。
母はその事をわかってはいない。
もはや、私の身体はここ数日で一人前は食べられない身体になっていた。
旦那と母は残り物で夕食を済ませた。
私も夜中にお腹が空いたが、牛乳寒天等で、お腹を満たした。
栄養が足りていないのか?
上唇の上にはぷっくらと何かが出来ている。
そりゃあそうだと思う。
適当こっそりと少しだけ胃袋に入れる。
水分もあまり取らない。
まともに1日3食は食べていない。
こっそりとお菓子等をつまむ。
美味しそうなメロンもあったが、母と旦那に食べてもらう。
私が食べない分ご飯を少なめに炊く。
食卓に私の姿はあっても食事はしないのだ。
配膳をしたり、後片付けをするのだ。
片寄った食事と足りない栄養でも痩せはしない。
まあ、何とか母の部屋に新しいテレビが付いたことは良かったと思う。
今度はエアコンと思ってはいるが、エアコンを新しくすると母はまた早く死ねと言われていると勘違いすると思う。
エアコンも壁から飛び出たエアコンは嫌なのだ。
一年中使えないダイソンの扇風機を望んでいる。
エアコンが壁から飛び出ないとなれば、壁をぶち抜くしか無いのだ。
それともお店のように天井にエアコンを取り付けるか?
そもそも写真館の娘だ。
昭和生まれの母と言えども、写真を撮ったら命を取られる式に、エアコンを買い換えたら命を取られるとでも思ってはいないか?
その部屋は母が無くなったら旦那の部屋になるのだ。
あれもこれも処分して旦那の部屋になるのだ。
しかし、私に取っては母の物など必要は無いのだ。
そもそも洋服は趣味に合わない。
着物は趣味に合わないし、サイズも合わない。
わざわざ洗い張りして縫い直すほどの着物も無いのだ。
母は着物を売りたいと言っているが、母の着物はほとんどが安物で誰も買う人はいないと思う。
売っても二束三文なのだ。さてさて、今日はまともな食事が出来るでしようか?