ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

主人も昔は元気でした

2022年09月01日 | 介護
主人も昔は元気でした。
その昔、宮城県の石巻に行ったとき。
その後、大阪と京都に行ったとき。
この時は元気でした。
3回も行った石巻です。
日帰り1回、1泊2日は2回でした。
自宅に母を残していくので少々強行軍です。
観光らしい観光もなく、目的を果たして帰るだけです。
大阪と京都は目的は大阪のクミコさんのコンサートでした。
京都はそのころ知り合いだった京都の人が来るように言われて行きました。
京都は余計でしたね。
行かなきゃあ良かったです。
えらい目にあいました。
往復夜行バスです。
疲れましたね。
そのあとからでしょうか?
健康診断で糖尿病や高血圧や高脂血症などが判明しました。
そして頸部脊柱管狭窄症です。
入院し、手術した病院で100人手術しても2人ぐらいは上手くいかない人もいるようです。
そして今年の5月の髄膜種です。
その後、おしっこから菌が入り高熱が出て入院する羽目になりました。
数日で熱が下がり退院してきました。
そして今度は今回の左慢性硬膜下血腫です。
あっ、若いころには痛風発作も2度ありました。
痛風発作は独身の頃に1度あったそうです。

左慢性硬膜下血腫

2022年09月01日 | 介護
入院した主人の病名は「左慢性硬膜下血腫」でした。
先生の説明を聞いて、局所麻酔で穿頭血種ドレナジー術というのをしました。
手術時間は15分から30分だそうです。
担当医の説明を聞き、その後11時半に主人は手術室に入つて行きました。
15分から30分だと言うのになかなか手術室から出てきません。
待つこと1時間半やっと出てきました。
麻酔の効いた主人はストレッチャーの上で寝ていました。
午後には自宅に戻り、母とパンを食べて昼食を済ませ、疲れているのかそのまま母の部屋で転寝をしてしまいました。
まだまだ退院までには数日かかると思いますが、退院してきたら杖を突いても歩けるようになるといいですね。
とにかく主人は40歳の後半あたりからあっちこっち病気になるようになりました。
そもそも初めから病気があるとわかっていて結婚するのもどうかと思われます。
お互いに病気は後からわかったことです。
病気があっても人生前向きに、残された人生を病気とともに歩んでいきたいと思います。
皆さんもご自愛くださいね。
パーキンソン病やてんかん発作を抑える薬の副作用かと心配していました。
「左慢性硬膜下血腫」診断されて無事手術もスンである意味良かったです。
病気と言うものは早期発見、早期治療ですね。

主人は「硬膜下血腫」でした

2022年09月01日 | 介護
このところ主人が普通に立てないことや、歩けないことや、座れば身体が傾くことに違和感を覚え、ましてや良く転ぶことに体中あざを作り何度も病院に行くことをすすめるも、やっと昨日病院に行きました。
髄膜種で入院した地元の総合病院に行きました。
この病院髄膜種で入院し、その後おしっこから菌が入り高熱が出て入院した病院です。
母も手首の骨折とペースメーカーの埋め込みで入院した病院です。
あれこれ検査をし、その結果硬膜下血腫ということがわかり、その日のうちに入院しました。
度重なりる病気です。
まるで病気のデパートのようになった主人です。
結婚する前や結婚したての頃はまさか主人がこんなに病気のデパートのようになるとは思ってもいませんでした。
本当にあれよあれよと病気ばかりするようになりました。
痛風、糖尿病、高血圧、高脂血症、逆流性食道炎の痕が見つかったり、その後、頸部脊柱管狭窄症で入院もし、手術もしましたが、その病院で100人手術しても2人ぐらいは上手くいかない例もあるようです。
なんと主人はその2人の中の一人になったのです。首が上下に動かないのです。
首は下を向いたままです。
それから数年今度は髄膜種で入院し、手術をしました。
そのあとには突然の高熱が出て、病院に行くも即入院でした。
原因はおしっこからばい菌が入って高熱が出たそうです。
そして今度は「硬膜下血腫」です。
脳に血が溜まる病気です。
検査をして即入院となりました。
タクシーを呼び、病院に行くも、車椅子に乗ればいいものを。杖を突いて自分で歩くと言い張ります。
仕方なく主人の手を取り一緒に歩くも、病院内をあっちこっち検査に行くことになり、看護師さんが見るに見かねて車椅子を持ってきて乗るように言いました。
観念したのか車椅子に乗り、あっちこっちで検査をし、入院しました。
日付変わって今日ですが朝一で先生の説明を聞き、頭の血を抜く手術をするそうです。
たとえ杖を突いても自分の足で歩けるようになることを望みます。
自宅はバリアフリーで無いので、車椅子での生活は無理ですね。
ましてや本人は車椅子を望んでいません。
その証拠に車椅子で看護師さんの説明を聞いている間に、ギアーを入れてあった車椅子のギアーを自分で上げてうろうろする始末です。
理由は待っている間退屈だからだそうです。
じっとしていない。
まるで子供のようですね。
入院が決まったら、病院でパソコンを使いたいと言い出しました。
その理由が退屈だからです。
テレビだけでは嫌なようです。
無理です。
自宅のはきちんと使えるパソコンは1台しかありません。
ましてやWi-Fi環境もあるかどうかわからない病院の病室では無理ですね。
そもそもパソコンがおかしくなっても自分でどうすることも出来ないんですよ。
いつも私を頼ってきます。
病院でのパソコン使用はあきらめてもらいました。
寂しそうにしていたけど、個室じゃあないし、無理ですね。
本当にあっちこっち病気になったらわがままになりましたね。
結婚したての頃はこんなでは無かったのにね。
さすがに結婚する前に本人がこんなに病気になるとは思ってもいませんでした。
こんな体になり、主人は後何年生きるのでしょう?
普通の生活は送れるようになるのでしょうか?
夜中にあれこれ書いてすいません。