ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

認知症の母は再三私の昔の話をしてきた

2023年10月04日 | 日記
母は認知症がひどくなったら再三私の過去の話をしてきた。
それも主人の前で言うのだ。
誰にも言わなかったことを言うのだ。
そういうことは覚えているのだ。
過去の失態だった。
些細な出来事を言うのだ。
他のことは忘れていてもそのことは覚えていたようです。
とんちんかんなわけのわからない話と一緒に突然その話をして来るのだ。
そのたびに私は嫌な気持ちになる。
誰にも話したことのない過去の失態を主人の前で言うのだ。
脳の病気をした主人は右から左で聴いてはいない。
誰にだって他人に言えないことはあるのだ。
触れて欲しくないことはあるのだ。
そもそも楽しいことはほぼなかった。
望み通りのことでは無かった。
希望通りのことでも無かった。
まるで重箱の隅をつつく他人のようだ。
その母もまもなく入院して1か月になるのだ。
次なる行き先を決めなければならない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が芸能人を好きなのは心のよりどころです

2023年10月04日 | 日記
子供のころからいじめに会い、友達と呼べる他人がほぼいなかった。
テレビで見る芸能人は憧れでした。
いわゆる心の友のような存在でした。
雲の上の他人です。
私は何十年も同じテレビで見た芸能人に憧れを抱いていました。
そして子供の頃の夢は歌手になることでした。
ところが自分がブスだとわかると歌手の夢はあきらめてバスガイドになることです。
そんなある日同級生の家でそのころリール式のテープに自分の声を吹き込んで音痴だと判明したのです。
もはや歌手になる夢もバスガイドの夢も私の中からは消えてゆきました。
高校を卒業するときに和裁の専門学校に行こうと思っていました。
手に職を就ける。
もしも結婚できなくても生活していけると思ったからです。
そこにはささやかな夢もあったのです。
その夢も親の反対に逢い、泣く泣く就職をしました。
32歳でお見合い結婚をし、2年後に不妊治療を行うことになったのです。
4年間大学病院に通い、子供を産む、持つ夢を夫婦であきらめました。
私が42歳の時に70歳になった母が働けないと我が家に着ました。
そしたら生活は元の木阿弥です。
母に管理され監視された生活は楽しいものでは無かったのです。
私は40代の終わりに更年期になりました。
近所の婦人科に通いました。
最初はホットフラッシュが続きました。
そのうちどうもこれはおかしいぞ?という症状が現れてきたのです。
妊娠したことも無いのにまるでつわりのように毎日辛いのです。
市内の別の婦人科にも行きました。
他所の市の婦人科にも行きました。
原因は母の同居にあったのです。
友達に相談し、保健センターにも相談に行き、心療内科に通うことにしたのです。
極端な意欲低下にも陥りました。
ちょうどそのころたまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんに「この人だわ!」と思い、それからネットであれこれ検索し、クミコさんのコンサートやライブに行くようになったのです。
病院の薬の力も借り、クミコさんの歌を聴くうちに私のつらい症状も徐々に改善されて行ったのです。
私の心にクミコさんの歌がスーッと入って行ったのです。
少々体調が悪くてもクミコさんの歌を聴きに行くと元気をもらえるのです。
あれから数年、たまたまTwitterでクミコさんのお友達のラジオで玉川奈々福師匠が出ると知りました。
「浪曲?」
昔はお年寄りの楽しみだった浪曲です。
ちょっと興味を持ったので、浅草の木馬亭の定席を聴きに行くことにしたのです。
たまたま行った日はNHKの取材があり、お客さんはガラガラでした。
これではわからないと次の年にまた行こうと思った矢先です。
年の暮れに私は神経性胃炎に襲われたのです。
病院は年末年始でやっていません。
泣く泣く1月の定席はあきらめました。
そして2月の定席に行ったのです。
その日はたまたま玉川奈々福師匠と五代目天中軒雲月師匠が出ていました。
聞き比べては悪いと思いましたが、私は雲月師匠の声にピンと来たのです。
まさに私好みの声でした。
それからことあるごとに浪曲を聴きに行っています。
友達のほぼいなかった私はテレビや舞台で見た芸能人に憧れを抱いていたのです。
多くを望みません。
芸能人は憧れで心のよりどころです。
結婚して私は何とか地元で友達を作ろうと思いました。
市の広報を見て無料や材料費だけの講習会にいくつも申し込みました。
友達と言うものは待っていても出来ないのです。
何とか友達も地元で出来ましたが、孫が出来て疎遠になった他人や、施設に入った他人や、亡くなった他人もいます。
辛い時や苦しい時に私の心にはいつも芸能人がいたのです。
それは心のよりどころでした。
元々芸能人は雲の上の存在です。
最初に好きになった島倉千代子さんはファンが山ほどいました。
私は一ファンに過ぎないのです。
芸能人はいつまでも憧れです。
心のよりどころです。
自分がなりたいとも思いません。
好きになった芸能人からは元気をもらっています。
現在私がこんなに元気になれたのも芸能人のおかげです。
どうぞいつまでも活躍してくださいね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんなに意欲低下だったのにね。

2023年10月04日 | 日記
コロナに感染して寛解してから腰痛が悪化して整形外科にリハビリに通っています。
ひどく意欲低下でした。
今日はあいにくの雨模様です。
ひどかった意欲低下も徐々に回復して来ました。
牛スジの煮込みいわゆる名古屋飯を作ろうとしたら冷凍した牛スジしか売っていませんでした。
冷蔵庫で解凍して湯がいて灰汁抜きをしないと使えません。
あれこれ入れようと鳥手羽先も買いました。
大根も加えます。
こんにゃくも加えます。
焼き豆腐も加えます。
ゆで玉子も加えます。
出汁は昆布とかつお節で取りました。八丁味噌とザラメとお酒で味付けをします。
これで煮込みます。
これから大根は切って面取りをして隠し包丁を入れて下茹でします。
ゆで玉子も作ります。
お酒のあてに美味しい一品ですが、我が家はご飯で食べます。
食べるときは和がらしか七味唐辛子をかけて食べます。
八丁味噌美味しいですよ。
皆さんもお試しくださいね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の頃から楽しいことなど無かった!

2023年10月04日 | 日記
子供の頃から楽しいことなど無かった。
学校では連日いじめに会い、自宅では親の管理下の下で暮らさなければならなかった。
心の拠り所はテレビで見る芸能人だった。
東京オリンピックの年に父が白黒のテレビを買った。
そのテレビではじめて見たのは歌手の島倉千代子さんだった。
なぜか彼女の歌声にひかれた。
テレビで見る彼女はキラキラと輝いていた。
学校に行けば連日いじめにあうのだ。
その陰湿ないじめは時にエスカレートすることも?
親にも教師にも言えず、日々泣いて過ごした。
まともに遊んでくれる友達もいない。
誘われるのはまれだった。
夏祭りも一人で行った。
学校へ行っても勉強が出来なかった。
授業が始まって15分で睡魔に襲われるのだ。
ばい菌呼ばわりされて楽しいことなど無かった。
単に勉強が出来ない。
容姿が悪い。
性格が陰気でねくらなだけでいじめの対象だった。
登校拒否も引きこもりもない時代である。
学校をサボることは許されなかった。
嫌でも学校に行く。
嘘をついて休むことも許されなかった。
常にどこかで怯えていたのかも知れない?
友達の作り方を知らない。
何とか誘われれば相手の機嫌を取る。
相手に良く見られようとする。
もはや学校に私の居場所は無かった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする