ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

生きていることは罪ですか?

2023年10月06日 | 日記
私が生きていることは罪ですか?
こんなに生きちゃいました。
想定外です。
その間知らないうちに多くの他人迷惑をかけたかも知れませんね。
今更誰に何をしたかは覚えていませんが、おそらく私は罪深い人間だと思います。
この場を借りて謝罪はしたいと思います。
その前にどこで誰に何をしたのかという記憶がありません。
思ってもいない人生を歩んでいます。

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続きも希望しますか?

2023年10月06日 | 日記
続きも希望しますか?
嫌な話を思い出し思い出し書いています。
私の人生に楽しいことはほんの一握りもありません。
出来れば過去の嫌なことを払拭したいくらいです。
唯一心の支えは憧れの芸能人でした。
その芸能人はしょせん雲の上の他人なのです。
あんなにピーピー泣いていた私は涙を封印し、予定より52年も長く生きてしまいました。
そのことがいいとか悪いとかは言いません。
思い通りにならなかった人生を悔やんでいます。
どこかで他人の目を気にしていました。
残りの人生は母の介護と主人の介護でおまけの人生です。
出会いには感謝します。
去っていった他人は追いません。

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番外編

2023年10月06日 | 日記
父は主の内縁の夫のことを調べていた。
その筋では有名な人物だった。
父は反対したが私は父の反対を押し切って行ったのである。
ところがふたを開けたらタトゥーこそあれど普通のおじさんだった。
それよりそのころから主は手相や占いなどをしていた。
ある日マンションに来た着物関係の女性を占っていた。
当たっていたかは定かではない。

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自宅に戻った私は?

2023年10月06日 | 日記
紙袋一つで家を出た私は紙袋3つで実家に帰ってきた。
わずか1か月と1週間で挫折して帰ってきた。
その間本人は私の名前を呼んだのは3度ほどしかなかった。
床山さんで「Kちゃん」と言う他人がいたので、私の呼び名は「千恵ちゃん」になった。
本人は早朝から夜中まで働かされ、休みなど皆無に近かった。
支度をして前乗りで次の巡業先に行くのだ。
唯一風邪を引いた日だけが休みだったように記憶している。
夜は嫌なキャバレーなどでも仕事をした。
どこでも働かされていた。
ディスコのママだと言う触れ込みもあった。
実際のオーナーとママは主なのだ。
いわゆる客寄せパンダのように扱われていた。
自宅に戻った私は遊んでいるなら家事をするように親から言われた。
しばらくして家事は嫌なので以前働いていた会社に話して再就職をするのである。
その後、例の本人は私のことは忘れたようで、他のファンと同じ扱いになったのだ。
再就職をしたが職場では楽しいことは皆無だった。
いじめに会う。
そんな矢先に弟が22歳で結婚をした。

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たった一人の友達

2023年10月06日 | 日記
私はその頃のことはたった一人のファンの友達にしか話してはいなかった。
ところが私が本人のところにたった1ヶ月と1週間いたことはたちまちファンの間に知れ渡ってしまっていた。
どこから誰から聞いたのか?
私が辞めてすぐに主のもとには新しい家政婦が来るも、主のわがままで家政婦は何人も代わったと風の噂で聞いた。
家政婦の作った食事が気に入らないと主は食卓をひっくり返すと言う。
主が欲しかったのは付き人ではなく体のいい家政婦だったのだ。
自分好みの家政婦だったのだ。
辞めてすぐに本人から私の自宅に電話があった。
たまたま私が電話に出た。
出たのはいいが、驚いた。
私はNHKののど自慢に出るべく応募していたのだ。
その時本人は浅草の劇場に出ていた。
本人からは「明日は浅草の劇場に来ないか?」と言うお誘いだった。
私は明日は府中でのど自慢の予選があることを告げた。
予選が終わり次第行くことを告げた。
明日になった。
私は府中ののど自慢の予選会場に行った。
ところがのど自慢の予選は最後までいないと結果はわからないとのこと。
考えた末に私はのど自慢の予選をあきらめて浅草の劇場に行ったのだ。
運良く楽屋口で運転手のSさんに会った。
私は説明して楽屋口からSさんと一緒に楽屋に案内してもらった。
後にも先にも本人の楽屋に行ったのはそれっきりだった。
ドキドキしていた。
おそるおそる挨拶をして会話をした。
のど自慢の予選をあきらめてここへ来たことも話した。
本人の計らいでその後自由席で彼女の舞台を見せてもらい自宅に帰った。
本人とはそれっきりだった。
本人はいたって私を他のファンと同じ扱いにした。
いや、同じ扱いだった。
やがて私がたった1ヶ月と1週間しか本人のところにいなかったことは誰からも忘れ去られていた。
本人もすっかり私のことは忘れていた。

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