ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

差別と偏見のない社会

2021年07月30日 | 介護
日本はまだまだ差別と偏見があると思われる。
例えば身体的に何らかの障害を持っていると他人によっては差別を受け、偏見を受ける。
差別用語はいまだに他人によって使われている。
公の書類や何かの書類を書く時には男か女か選択しなければならない。
身体は男でも心が女やその逆であってもどちらかを選択しなければならないとすると、そこには矛盾が生じると思う。
男女差別を失くし、誰もが生きやすい社会を作ることはこれからの世の中に求められるものだ。
障がい者であろうと性的マイノリティであろうと誰もが生きやすい世の中を作ることは大切だと思う。
障害があろうが無かろうが世の中にはいまだに差別と言うものが広がっている。
目が見えない、耳が聞こえない、身体的に何かの欠損があるなどは他人によっては「かわいそうな他人だ」と、奇異の目で見られる。
もしも自分がそのような立場でそのような目で他人から見られたらどんな気持ちになるだろうか?
どんな人もこの世に生を受けたなら一人の人間なのだと思う。
私は勉強が出来ないということとブスだということだけでさんざん辛い思いを強いられてきた。
何らかの病気で精神科に通っていると言うだけで、その他人は発狂したり刃物を振り回すのではないかと思う他人がいまだに居ることは事実です。
それはごく一部の他人だけで、多くの他人はきちんと病院に通い、または入院して先生の指示通り服薬すればそんなことは無いのだ。
なぜ?差別は生まれるのか?
私は子供の頃から周りに障害者がいたので、気にも留めなかった。
母方の祖父は子供の頃の火傷がもとで左手の指が親指と人差し指しか無かった。
また母の下宿先のおばあさんは盲人だった。
その他にも親戚中いろいろな障害者がいたので、気にも留めていなかった。
子供の頃に住んでいた雑居ビルのマンションの1階におなべの店があったが、おなべの店だと知ったのは中学生になってからだった。
おなべと言っても鍋料理の店ではない。
女性が男性のかっこうで接客する店である。
高校の同級生に自閉症の子がいたが、気にも留めていなかった。
20年近く前に友達が近所に精神障がい者の小規模作業所を作った。
私の家が近所だとわかると、ボランティアをしないかと言われて、ボランティアをするようになったらそのうちボランティアをでは悪いからとパートで働くことになった。
パートで働いているうちに母との同居もあり、更年期から病気になったのだ。
仕事に支障をきたすようになり、私は仕事をやめた。
病気が快復するとバザーのボランティアに加わるようになった。
友達はそれ以前にご主人の病気や娘さんのこともあり、そこを別の他人に任せて退いた。
友達はご主人の介護から解放されると息子さんのところへたびたび行くようになった。
たびたび孫の顔見たさに行ったら息子さんに来ないように言われて病気になったのだ。
その後、高齢出産をした娘さんが病気になり、娘さんのところに行き、家事や孫の世話をするようになったら、今度は婿さんも病気になったらしい?
老いた身体を押し、娘さんのところに行き、高齢出産の娘さんの子供の世話をし、家事をし帰ってくる。
その後、どうしたかはわからないが、年に1~2度駅などで見かける彼女は別人のように老けていた。
日本における有償ボランティアはまだまだ少なく、いまだに無償のボランティアを求められるのが現状です。
この無償のボランティアが嫌だと言う他人もいると思うが、現状ではお金を些少でも払ってのボランティアは少ないのが現実です。
また日本では専業主婦はボランティア扱いされ無償で働くのが当たり前のように見られがちです。
女性が社会に進出しても既婚者であれば家事も強いられ、子育ても強いられ、職場では残業もせずにたびたび学校の行事や子供の病気で休むので、煙たがられているのも事実です。
理解ある男性や職場の上司も少なく、家庭での家事分担や役割もはるかに女性の方が多いのも事実だと思います。
またその逆で男性の主夫も地位も低く見られがちです。
なぜ差別は生まれるのでしょう?
そこには根底に差別用語があることに他ならないのです。
差別用語を排除し、誰もが理解ある住みやすい世の中を作ることはこれからの時代に必要だと思います。
言葉が違っても肌の色が違っても宗教が違っても何らかの障害があろうともみんな同じ人間です。
理解しあいましょう。
差別のないお互いに助け合える世の中にすることが必要だと思われます。
そこには争いも戦争もない平和な世界を作る必要があるんですね。

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