シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

感謝の気持ち

2016-01-19 12:04:44 | 祈り
いったん霊性を悟れば、その時から神からの遺産として宿されている神性の種子が芽を出して生長を開始します。その時こそ全大宇宙を経綸する無限の創造力のささやかな一翼を担うことになります。
こうして霊力の道具として役立つだけの資格を身につけるまでは、それなりのトレーニングが要ります。それは大変なことです。なんとなれば、その結果としてある種の鍛錬、ある種の確信を身につけねばならず、それは苦難の体験以外には方法がないからです。霊力の道具として歩む道は厳しいものです。決して楽ではありません。容易に得られた霊能では仕事に耐え切れないでしょう。魂の最奥・最高の可能性までさせられる深刻な体験に耐えるだけの霊性を試されて初めて許されることです。そうして身につけたものこそ本物であり、それこそ霊の武器と言えます。
その試練に耐え切れないようでは自分以外の魂を導く資格はありません。
『シルバーバーチの霊訓1』


最近山で瞑想すると、自分でもおかしいほど、大霊と霊界への感謝の気持ちしか湧いてきません。

「霊的真理を悟らせてくれるまで、この世にいさせてくれてありがとう・・・」

もし私が自分を苦にして自殺していたら、地上で生きている本当の意味をわからないまま終わっていたし・・・

もし私が憑依で転落死していたら、そのまま訳わからず地縛って彷徨っているし・・・

もし私が占い師として大成していたら、苦しみから逃げることばかりのイジけた魂を作り続けていたし・・・

ちょっと前まで早くお迎え来ないかなあって、指折り数えて待っていたのですが、今は、それよりも死ぬ直前まで人のお役に立ちたいなあ。

もし、私の寿命が思いのほか長くて体が不自由になっても、パソコンで霊的真理を発信できるし、祈ることもできるし、寄付することもできる。
最悪、世話してもらうことで、他人の善行を引き出したり、自分のカルマを消化することもできる。

ここまで、私の命を支えてくれた全てに、私の魂、総力上げての大感謝。

私でもこうだから・・・
全ての人は 自己の魂の真の目的を知るまで、死んじゃ駄目です。

いつかは、こう祈りたい

2015-06-29 20:52:23 | 祈り
次の読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。
「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、および物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思うとき、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るできでしょうか」

「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表れです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるできです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意思と調和させることであり、神とのつながりをより緊密にすることです。そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立てくださいという祈りの気持ちで包んであげることです。ですが、それを自分が愛着を覚える人のみにかぎることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色合いを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」『シルバーバーチの霊訓2』



最近の私は、どうか早く病気が治りますようにと、2人+動物一匹のために日々祈っていました。

一人は近所の子で、最近脳腫瘍が肺のあたりに転移したみたい。
おばあちゃん曰く、元気で痛みと戦っているそう。

もう一人は、紫斑病で入院している、近所のお嬢さん。

あと、偶然見かけた、見るも痛々しい団地の皮膚病ちっくな野良猫ちゃん。

祈ることで、なんか少し役に立ったような気がしてたのですが、
私の好きな対象物で固めているので、これも一種の利己主義かなあ。
冷静に考えてみると、祈るだけでは何のお役にたちそうにない・・・。

知っている人のために祈ることはそれはそれで、真摯な魂の表れだそうですが、シルバーバーチは更に上を、高みを目指す指針を示してくれています。

全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです。


シルバーバーチの霊訓は、どこを読んでも崇高だなぁ、と恐れ入りますが、これもその一つです。

自分のための祈り

2014-06-17 18:50:03 | 祈り
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください。」
 人が短い人生のうちに十字架を負わされなければならないときは、その苦痛の底からこのことばをあげるがよい。何度も何度も繰り返しせよ。必ず無傷の勝利者となることであろう。

『F・W・H・マイヤーズによる霊界通信』


私は未熟なゆえ、どうしても自分のために祈りたい時があります。
心の重荷を少しでも取り除いてほしい。少しでも救ってほしい。
何より神さまに自分の苦しみを吐露したい。

そんな時は自分のために上記の内容で祈ります。
イエスの苦悩を思い描きながら祈ります。
祈って祈って祈り倒します。

随分と心が落ち着きますのでおすすめです。

祈り

2013-11-14 19:04:52 | 祈り
祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるからです。わずかな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることができ、かくしてわれわれに“本当に必要なものが”授けられる通路を用意したことになります。
『シルバーバーチの霊訓7』 

「あなたにとって今何が必要か神は先刻ご存じです。それを祈りによって表現することは結構なことです。なぜなら、その時点におけるその人の霊的ならびに精神的発達程度に応じて、可能なかぎりの援助が得やすくなるからです。なるべくなら言葉に出して祈った方がよろしい。その波動によってあなたが何を動機に祈っているか、その意図が鮮明になるからです」

(質問)祈るということをしない人、あるいは絶望のどん底にあって神なんかいるものかと思っている人はどうなりますか。救いようがないのでしょうか。

「大霊の存在を信じる信じないは関係ありません。・・・」
「・・・援助を受けるか受けないかは、大霊の存在を信じるか信じないかによって決まるのではありません。それまでに到達した精神的ならびに霊的進化の程度によって決まるのです。援助を手にするに値するだけのものを受けるのです。原因と結果の法則です。それが大自然の摂理なのです」
『シルバーバーチ最後の啓示』





最近、祈りが届いたなあと確信する出来事がありました。

子供が色々悩んでいて、私も出来るだけアドバイスしてきましたが、
つい声を荒らげてしまったりして上手くいかず、限界を感じて神に真剣に祈りました。

祈ったその日に、子供が学校で体調を崩し保健室へ。
そこで、保健室の先生と何時間も話すことができたそうで、楽しげに帰ってきました。
あまりの変貌ぶりでびっくり。霊界側で配慮して下さったんだと思います。

自分の力が及ばない時は、祈ることで援助を求めようと思います。
それが、適切な祈りで援助を受ける資格があるのなら、きっと授かることができるはずです。