他人(ひと)のためになることをする、これがいちばん大切です。私の意見は単純明快です。宗教には「古い」ということだけで引き継がれてきたものが多すぎます。その大半が宗教の本質とは何の関係もないものばかりだということです。私にとって宗教とは崇拝することではありません。祈ることでもありません。審議会において人間の頭脳が考え出した形式的セレモニーでもありません。私はセレモニーには興味はありません。それ自体は無くてはならないものではないからです。『シルバーバーチの霊訓9』
とあるお寺に立ち寄りました。
その寺はとても由緒ある古刹です。
しかし、山の奥深いところにポツンとあり
至るとこに本殿修繕のための寄付の箱が置いてあります。
友人は朱印集めが趣味です。
朱印を書いてもらいながら、そこの住職さんの話を聞くことができましたが・・・・
内容はなんともわびしいものでした。
「3日間も歯が痛くてバンテリンで我慢している・・・」
「半月板損傷しているけど手術に行けてない。」
ふと横の建物を見れば、ドア全開で、お風呂場が丸見えです。
「消防法により火を使えませんので冬でも冷たい水のお風呂に入っています」
というような意味の張り紙が。
「こんなお寺 廃寺にしたほうがいいんじゃ・・・」と思わず口にしそうになりました。
住職さんが気の毒で少し寄付してきましたが
古いというだけでありがたがっている時代は終わりだなあ、と思います。
何よりお年寄りの住職さんにはまともな生活をさせてあげたいです。
とあるお寺に立ち寄りました。
その寺はとても由緒ある古刹です。
しかし、山の奥深いところにポツンとあり
至るとこに本殿修繕のための寄付の箱が置いてあります。
友人は朱印集めが趣味です。
朱印を書いてもらいながら、そこの住職さんの話を聞くことができましたが・・・・
内容はなんともわびしいものでした。
「3日間も歯が痛くてバンテリンで我慢している・・・」
「半月板損傷しているけど手術に行けてない。」
ふと横の建物を見れば、ドア全開で、お風呂場が丸見えです。
「消防法により火を使えませんので冬でも冷たい水のお風呂に入っています」
というような意味の張り紙が。
「こんなお寺 廃寺にしたほうがいいんじゃ・・・」と思わず口にしそうになりました。
住職さんが気の毒で少し寄付してきましたが
古いというだけでありがたがっている時代は終わりだなあ、と思います。
何よりお年寄りの住職さんにはまともな生活をさせてあげたいです。