シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

喜びから人生を生きる! からの考察

2015-01-20 13:36:10 | 読んだ本

宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全字宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。『シルバーバーチの霊訓1』

アニータさんの臨死体験での経験は、シルバーバーチが語る「愛」と重なります。

アニータさんは 全字宙を経綸し全存在を支配している神の愛に触れたのです。


私たちは、ただ自分に正直でいればよいのです・・・アニータさんはこう語っています。

愛の存在であるとは、自分の魂をはぐくみ、自分の欲求を満たし、自分のことを後回しにしないことが大切だと気づくことです。この気づきによって、私は、いつも自分に正直になり、敬意や優しさをもって自分に接することができるようになりました。さらに、欠点や間違いだと思われることも、何の判断もせずに眺めてみて、無条件の愛の中での体験や学びのチャンスと考えられるようになったのです。『喜びから人生を生きる!』p211

利己主義は、自分に対する愛が足りないために起こることです。過度の不安や判断や条件づけに加えて、自分への愛が不足しているせいで、私たち人類だけではなく、地球も苦しんでいるのです。誰かのことを無条件に心から好きになるには、自分自身に対しても同じように感じる必要があります。自分よりも相手のことを深く尊敬しているのは真実ではなく、単に口先だけのことだと思います。
自分が愛の存在でいる時、私は愛に枯れることはありません。自分が好かれていると感じたり、自分のすばらしさを分かち合うために、他人に特定の振る舞いをしてもらう必要もありません。私が本当の自分でいる結果として、彼らは自然に私の愛を受け取っているのです。私が自分に対して何の判断もしていなければ、他人に対しても同じようにするでしょう。p212


以前の私なら、表面しか理解できなかったでしょう・・・。

醜形障害や摂食障害を手放し、
やっと自分も大霊の分霊であり、神の子であるとの認識が生まれた今だからこそ、
利己主義は自分に対する愛が足りないために起こること、というアニータさんの主張が
よくわかります。


また、神の愛は「自分」と「他人」との境界をなくします。

「神の子である」という事実が 人は宇宙と同等の存在であり、
自分も他人も宇宙にとっていかに大切な存在であるかということを
私は理解しています。


人のために役立つことをする、これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。大切なのは“自分”ではなく“他人”です。魂の奥底から他人のために良いことをしてあげたいという願望を抱いている人は、襲いくる困難がいかに大きく酷しいものであっても、必ずや救いの手が差しのべられます。道は必ず開けます。              
『シルバーバーチの新たなる啓示』


自分がどれほど大切な存在か わかったからこそ、
このメッセージが 自分への愛の顕現方法であることがよく分かるのです。

自分への理解は他者への理解であり、神への理解でもあります。
同じく、自分への奉仕は他者への奉仕であり、神への奉仕でもあります。

この絆は永遠に切れることありません。

私もアニータさん同様、苦難や困難や苦しみから、本当の自分を見出しました。

アニータさんの本を読んで、改めてシルバーバーチの霊言の深淵さに驚いています。


禁断の地

2015-01-19 14:50:08 | 動物関連
人類の優越性はその内部の神性を開発し、それを愛と哀れみと思いやりの形で他の同胞のみならず、同じ地球上に住む動物に対しても発揮するようになって初めて得られるのです。
『シルバーバーチの霊訓11』


最近知り合った70歳の女性。
とても気品があり、その方がいるだけで場が華やぎます。
最近 向かいの団地に引越してこられたそう。

その方から、「猫のえさやりしているの・・・ご一緒にどう?」
と持ちかけられました。

下の階の80歳過ぎたお年寄りが毎日猫に餌やりしているのだけど、体調を崩されて、
回復されるまで急遽ピンチヒッターになったとのこと。
「365日一日も休むことなく猫に餌をあげてるのよ。えらいわね~」と
お年寄りの猫を思う気持ちに心動かされたそうです。

「え~っ大丈夫なんですか?勝手に餌をやっても?」

「大丈夫よ。管理人が帰った後にあげるから。」

しかし・・・・
その団地のいたるところに「餌やり禁止」の看板が貼ってあります。

そこの住人らから、猫の被害を延々語られたことありますし、
傘を振り上げて猫を追い掛け回す住人も見たことあります。
一方、餌をこっそりやっている住人もいるのでややこしいです。


「去勢、避妊は?」と聞いてみると

「私の娘が獣医で、夏にこっちに帰ってくるからボランティアさせるわ。」
と娘さんの意思も確認しないで・・・とてもポジティブ。

こういう方が神の意思を進めていくのかなあと思い
私も協力することにしました。

本音は、
住民とのトラブルも怖いし、管理人たちもおっかないし。
愛猫団体もこわい。
第一私は団地の住民ではないので 発言権なし。
避妊、去勢は猫にとって可哀想だし、人に慣れていない野良猫を捕獲できるのだろうか?
どのくらい自腹切れるんだろう。

私にとって団地の猫エリアはいわば禁断の地。


だけど 猫を地域猫にしなければ 猫も人間も良くはならない!
という信念で、餌やり活動に参加します。

まず餌やり
次に去勢、避妊。
最後に地域猫運動。

どうか道が開けますように・・・・


過去の日記 地域猫

喜びから人生を生きる! アニータ・ムアジャーニ

2015-01-14 11:53:59 | 読んだ本
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でもとくに深甚なる意味をもつものです。それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。魂は物的身体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる段階まで来ている魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。『シルバーバーチの霊訓12』


脳腫瘍で入院している近所の娘さんに送った本です。

『喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと』

アニータさんは、壮絶な癌との闘病生活を経て、臨死状態で
自分のすばらしさ、全宇宙は愛からなり、自分もその一つの表現だとわかります。
結果、魂が癒され 末期癌からの急速な回復に至りました。

私はギリギリのところで必死に生命にしがみついていました。スピリチュアル・ヒーリングの集まりに参加した時には、これは私が選択したことであり、さらには、この世で起きていることはすべて幻想だと教えられました。それを聞いた私はとても失望し、ますますおびえるようになりました。「どうして私はこれを選んだのだろう?どうやったら違う選択ができるんだろうか?これが幻想だというなら、なぜこんなに現実味があるんだろう?もし神様がすべての祈りを聞いているなら、なぜ私の祈りに答えないの?」私は、許しや、浄化や、祈りや、瞑想など、自分ができることは何でも一生懸命していたのです。それなのに、どうして何も起こらないのか理解できませんでした。
 やがて、とうとう生命にしがみつくことさえできなくなり、私はすべてを手放しました。完全な内なる開放感がありました。4年以上にわたり、癌にむしばまれ続け、もはや私は限界に達し、降伏したのです。私はへとへとでした。次にやってくるのは死だとわかっていました。とうとう死を迎えいれられるところまでたどり着いたのです。何がやってこようと、今の状態よりはましに違いありません。P203~P204


これ良くわかります。私の摂食障害も同じだったからです。
私の過食嘔吐も気力、体力の限界に達し、病気に完全降伏しました。
病気を敵対視することを諦めて、受け入れました。
全てを諦めたら、結果病気を手放しました。

アニータさんは「恐れ」が癌の原因ではないかと述べています。

私たちは、自分のすばらしさを知るためにこの人生へやってきます。けれど、なぜだかわかりませんが、成長するにつれて世の中がそれをむしばんでいくように思えます。
最初は、自分が好かれていないとか、欠けているところがあるというような、小さな心配から始まります。おそらく、人種が違ったり、背が高すぎたり低すぎたり、太りすぎだったりやせすぎていたりというように、外見が仲間と違うことからくるものでしょう。私たちは、みんなの中に溶け込みたいと強く望んでいるのです。私自身、本当の自分でいるようにとか、自分に正直になりなさいと励まされたことは一度もなく、みんなと違ってもいいんだと思ったこともありません。いつも自分の心の奥で小さな非難の声が聞こえていたのを覚えています。


病気になった人に共通していえることは、自分を責めているということではないでしょうか。

私も仕事で、利用者さんの期待に添えないと悩んだ結果
インフルエンザになったんだと思います。
コップの飲み口に うっかり指を触ったら叱られました。
「今度は上手くやるわ」と
自分を責めなければ良かったと今なら思えます。
些細な経験ですが・・大きな病気も小さな病気も「恐れ」からきているのでは。

自分を責めることをやめ、「自分は大霊の一部で宇宙の愛でできている」
ということに気づくことが、病気の目的ではないかと思います。

考えてみると、
地位や名声、容姿、家柄、民族、貧富、能力、体力、立ち居振る舞い、
女性らしさや男性らしさ、習慣や風習、食事内容や価値観、運の良さ
自分が劣っていると思わせている事柄全て、この世限りのものです。
霊界には一切持っていくことができないものです。

魂の属性ではないこの世限りのアイテム。
なのに、自分を責める、魂が悲鳴を上げ、病気になるのは当たり前です。

魂が癒されること・・・・

これが病気の人には絶対に必要なんだと思います。

平易な文章でとても良い本だと思います。
心が悲鳴を上げている人に おすすめです。