「人間の霊性を高める苦難は自然の成り行きで遭遇するものに限られます。神が用意したものだからです。人間が自らの考えで自らに課したものは、結果的に人のために役立つことに寄与しないかぎり無意味です。
・・・超人的な苦行をするヨガの行者やイスラム教の托鉢僧、ヒンズー教の苦行者、さらにはどこかの宗教の狂信者たちは、それによって一体どれだけ霊性が向上したというのでしょう? そんなことをしている暇があったら、なぜ地上の貧しい同胞のために慈悲を施さないのでしょうか。着るものにも事欠く人に衣類を与え、喪の悲しみの中にある人に慰めの言葉を与え、食べるものにも事欠く人のために自分のものを分けてあげ、そのために自分は断食もあえてする。そういう生活こそ有意義であり、神の意志に適っております。自分のためだけに修行をする者は一種の利己主義者です。」
『アラン・カルディック 霊の書(スピリチュアリズム普及会版)』
甲田先生の本に書いてあった、「潜在意識を変える方法」で温冷浴しながら、
「少食になれますように。甘い物を食べなくても平気になれますように!」
って、ずっとずっと繰り返し真言のように唱えてたんだけど、それも馬鹿馬鹿しくなって、
「肉体を気にしない自分になれますように」
って唱えだして、それもどうでも良くなって ついに止めました。
少食も断食も苦行だもの。
少食への憧れ・・・・それは形をかえた拒食症。
私、苦行僧とか修験者とかを尊敬していたんだけど、それは間違い。
きっと彼等は「苦行」という罰を自分に与えなきゃいけないほど、自分が嫌だったんだと思う。
苦行する人は志も理想も高いけど、自分が自分が・・・だから間違い。
私も自分が嫌だから、また少食という苦行を課そうとして、できっこない甲田療法に手を出しただけ。
甲田療法は病気を治すための治療方法の一つです。
普通の人に薬が必要ないのと同じで、私には少食や断食というお薬は必要ないみたい。
古来どの民族にも禁欲的修行者がいますが、どう見るべきでしょうか。
「そういう生活が誰にとって有益なのかを問うてみれば、自ずと答えが出るはずです。もしも自分にとっての修行であり人のために役立つ要素が無いとすれば、いかに弁明しようとそれは一種の利己主義です。本当の苦行とは人のために役立つことをするために自ら節約し克苦することです」『アラン・カルディック 霊の書(スピリチュアリズム普及会版)』
私も他の人と同じように 大切な神の子だもの。
だから、自分に罰など課せられないし、自分ばかり見て生きられない。
甲田療法も、甲田先生の理念も大好きだけど無理。手放すわ・・・・