港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『リラの門』 旅の友・シネマ編 (16) 

2018-08-24 17:06:40 | 旅の友・シネマ編



『リラの門』 Porte Des Lilas (仏)
1957年制作、1957年公開 配給:東和 モノクロ
監督 ルネ・クレール
"脚本 ルネ・クレール、 ジャン・オーレル
撮影 ロベール・ルフェーヴル
原作 ルネ・ファレ 「ラ・グランド・サンチュール」
音楽 ジョルジュ・ブラッサンス
主演 ジュジュ … ピエール・ブラッスール
    バルビエ … アンリ・ヴィダル
    マリア … ダニー・カレル
    楽士 … ジョルジュ・ブラッサンス



パリの下町「リラの門」での人情噺。怠け者で大酒飲みながらも町の人から愛されているジュジュと彼の友人で通称"楽士"が
一杯やっていると警察に追われた男が逃げ込んで来た。男はバルビエという殺人犯であるが、その事情の分からない二人は
バルビエを地下倉庫に匿って歓待する。やがてジュジュはバルビエが殺人犯のお尋ね者だと知るが、彼に大いなる興味を持ち
次第に尊敬するようになり、新しい友人を一生懸命世話するため酒もやめ真面目な生活に改めたので周りの人たちも驚いた。
一方バルビエは倉庫に腰を落着け高飛びの計画を練って旅券と現金を工面しようとする。カフェの娘マリアはジュジュの生活の
変化に気づいて問い詰めるとジュジュは殺人犯を匿っていることを白状した。それを知ったバルビエはマリアをそそのかして
マリアと一緒に外国へ高飛びを図ろうとする。マリアに気のあるジュジュはバルビエにその計画を変更を頼むが聞き入れて
もらえない。夜の路地裏で二人はもみ合い、ジュジュはバルビエの持っていた拳銃でバルビエを撃つ。そして、ジュジュはまた
元のろくでなし人生に戻るのであった。



この作品は『巴里の屋根の下』『巴里祭』などで巴里の下町の人々を情緒豊かに描いたクレールが、巴里の下町を舞台に
庶民の哀歌をうたいあげ、久々に巴里に戻ったクレールの年輪の渋みを味合わせる豊艶さが満喫できる傑作となりました。
ジュジュの口癖である「俺は何で生きてると思う?首を吊って死にたいからだ」が象徴する「ろくでなし人生」のキャラクターを
前面に押し出しながら庶民の日常生活をきめ細かく描き、そしてしみじみとした情感を漂わせ、映画のリズムそして彼の原点
でもある構図の確かさも健在で、まさにファンタジスト・クレールの存在感を示した作品です。



クレールが原作本を映画化するのは非常に珍しいですね。でも、クレールをリスペクトする身からすれば、クレールが巴里に
戻ってくれたこと、それだけでありがたさを感じてしまいます。
しかし残念なことに、この『リラの門』がクレールの日本での最後の単独作品となってしまいました。


(荷車で始まって荷車で終わる、テッパンの映画文法ですね)

『死刑台のエレベーター』 旅の友・シネマ編 (15) 

2018-08-19 13:42:36 | 旅の友・シネマ編



『死刑台のエレベーター』 Ascenseur Pour L'échafaud (仏)
1957年制作、1958年公開 配給:映配 モノクロ
監督 ルイ・マル
脚本 ルイ・マル、ロジェ・ニミエ
撮影 アンリ・ドカエ
原作 ノエル・カレフ
音楽 マイルス・デイヴィス
主演 ジュリアン・タベルニエ … モーリス・ロネ
    フロランス・カララ … ジャンヌ・モロー
    シェリエ警部 … リノ・ヴァンチュラ
    ベロニック … ヨリ・ベルタン
    ルイ … ジョルジュ・プージュリー
    カララ社長 … ジャン・ヴァール
主題歌 『死刑台のエレベーター』 ( Ascenseur pour L'échafaud ) 演奏・マイルス・デイヴィス



社長夫人のフロランスと不倫関係にある技師ジュリアンは社長を自殺に見せかけた完全犯罪を計画、そして実行に移る。
夕刻にジュリアンはビルの上層階からロープをかけ社長室に侵入し、社長を射殺し拳銃を握らせて自殺したかように細工を
施してビルを出た。計画は成功と思われたが、ジュリアンは手すりにかけたロープの処分をしていなかったのに気づき慌てて
現場に引き返してこれを処分し、安心してエレベーターに乗って帰ろうとした。この時、ビルの管理人が会社の終業時刻が
過ぎていたためエレベーターの電源を切り、ジュリアンは突然エレベーターの中に閉じ込められてしまった。その上ジュリアンが
舗道に駐車していた車が若いカップルに乗り回され、挙句にモーテルで殺人事件を引き起こした。朝になりエレベーターが
やっと動き出してようやく外へ出たジュリアンだったが、モーテルでの殺人事件の嫌疑で当日のアリバイを追求される。
モーテルの事件のアリバイを立証すれば当然社長殺しを疑われてしまう。フロランスは奔走してモーテル事件の犯人が若い
カップルだと警察に証明したが、二人がモーテルの写真現像所に預けていたジュリアンのカメラのフィルムの中からから
社長共謀殺人の動かぬ証拠が浮かびあがってくる。



ノエル・カレフの推理小説を弱冠25歳のルイ・マルが従前の映画作法を覆す表現手法によって映画化、この作品によって
いよいよヌーヴェルヴァーグ(広義)作品が花開き、映画界に大きな衝撃を与えました。
それまでのフランスではマルセル・カルネたちによる心理主義的リアリズム、詩的リアリズムが頂点を極めていましたが、
これに対抗する若い力がアンチ・モンタージュと作家主義を旗印にして従前の映画作法を否定します。サイレントから培われた
イメージのモンタージュを排除して現実のイメージを主体とした自分の作法でカメラを万年筆として映画を書き始めるという
映画作家の登場です。その実践となったのが前年公開のロジェ・ヴァディムの『素直な悪女』であり、ロベール・ブレッソンの
『抵抗』であり、そしてこの『死刑台のエレベーター』でした。これによって、ヌーヴェルヴァーグは世界の映画作家たちに多大な
影響を及ぼすことになり、トリュフォやゴタールなどの若い世代に大いなる勇気を与えたに違いありません。



ルイ・マル自身は左岸派に属していない独立作家なのですが、その手法はモンタージュ理論を排して細かいカット割りをせず、
セットを組まずにロケによる自由奔放なカメラ回し(いわゆるカメラ万年筆.手法)による新鮮な映像を書き上げます。これによって
従来の手法による定石を完全に打破、ヌーヴェル・ヴァーグの本家を差し置いた実践者として脚光を浴びます。
象徴的な映像は、約束した待ち合わせ場所にジュリアンが現れず彼の姿を探して夜のシャンゼリゼ通りをさまようシーンで、
屋外にもかかわらず高感度フィルムによって撮影、フロランスにライトを当てずにウインドウの光を利用した冷たい陰影となり
焦燥するフロランスの心情がこれまでにない映像美で浮き彫りになりました。若いカップルが盗んだ車で疾走するシーンなども
この後に現れるヌーヴェルヴァーグの若手にカメラ万年筆のお手本ともいえる映像を実践しています。



そして、何よりもこの映画を成功させたのは映像と共に流れるマイルス・デイヴィスによるジャズでした。
都会の倦怠感と焦燥感を奏でるデイヴィスの渇いた音色のトランペットは画期的な印象を与え、ヌーヴェルヴァーグの先駆け
と共にシネ・ジャズのハシリとなりました。
(註・モダンジャズを本格的に取り入れた映画は、日本での公開順からいえば『死刑台のエレベーター』が最初なのですが、
制作順ではロジェ・ヴァディム監督の『大運河』が記念すべき最初の作品です。)





この映画の主題歌『死刑台のエレベーター』は、マイルス・デイヴィスの自作自演によるものです。この作品を製作中であった
ルイ・マルは、ちょうどパリを訪れていたマイルス・デイヴィスにラッシュプリントを見せて彼に音楽を任せることにしました。
デイヴィスはフランスの演奏家との即興演奏でこの映画のためにメインテーマなど十曲を提供しています。
以降、フランス映画においてモダンジャズを取り入れるのが流行となりました。いわゆるシネ・ジャズの誕生です。

『死刑台のエレベーター』マイルス・デイヴィスによるサウンドトラック 【YOUTUBE】より



  *****


ここで、少しだけヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)について触れておくことにいたします。

ヌーヴェル・ヴァーグの定義づけは何をもって、また何時をもってなのかによって見解が異なるようです。
そもそも、ヌーヴェル・ヴァーグという言葉は、1957年に女流記者フランソワズ・ジルーがフランスの週刊誌『レクスプレス』誌に
「映画の新しい世代」という意味で使ったのが【ヌーヴェル・ヴァーグ】というキャッチ・コピーでした。
従いまして一部ではこの時期から後の作品という定義もあるようですが、この言葉が用いられる以前からヌーヴェルヴァーグ的
動向は既に始まっておりました。

1948年にアレクサンドル・アストリュックが『ル・エクラン・フランセ 』誌に『カメラ万年筆、新しき前衛の誕生』という論文を発表、
これが多くのシネフィル(映画通)に衝撃を与え、同誌に寄稿していたアンドレ・バザンの共感を呼ぶことになります。
そして『カメラ万年筆』の理論は、これまで培われたイメージのモンタージュを排除して現実のイメージを主体とした自分の作法で
カメラを万年筆として映画を書くという手法となり、ストーリーにこだわらず映像の主体性を重視することになります。その結果、
映画芸術とは監督による映像的演出によって成立するのだという「作家主義」が確立していきました。
やがてバザンとその同胞が1951年4月に『カイエ・デュ・シネマ』誌を創刊、これが新人の映画人たちの母体となりました。
いわゆるヌーヴェル・ヴァーグの主流となるカイエ派の元祖です。
一方で、カイエ派よりも一足早くヌーヴェル・ヴァーグ的活動をしていたのがセーヌ左岸のモンパルナス界隈に集ってシネマ・
ヴェリテ (映画真実) を合言葉にしてアラン・レネを中心にドキュメンタリー要素の強い作品を撮っていた一派で、カイエ派が
セーヌ川の右岸に位置していたことからこれに対比して「左岸派」と呼ばれることになります。
また、どちらの会派にも属さずにヌーヴェル・ヴァーグ的作品を撮ったのがロジェ・ヴァディムでありルイ・マルでした。

では、ヌーヴェル・ヴァーグの第一号作品は何かと問われますと、日本で初お目見えとなったのは『死刑台のエレベーター』であり
『素直な悪女』(日本公開順)ということになるでしょう。
ただし、日本公開に限定せず短編・中編などを含めますと、カイエ派の作品としては1953年にカメラ万年筆論を実践した
アレクサンドル・アストリュックの中編『恋ざんげ』が先駆的作品だという見方もありますが、実質的なカイエ派の作品としては
1956年のジャック・リヴェット監督による『王手飛車取り』であり、また左岸派としてはアラン・レネの1950年前後の短編作品の
『ヴァン・ゴッホ』『ゲルニカ』といった一連のドキュメンタリー作品ということになりましょう。
ヌーヴェル・ヴァーグの第一号作品はその定義づけの相違もありますのでその解釈次第ということになるでしょう。



いずれにしましても、実質的に『死刑台のエレベーター』『素直な悪女』で堰を切ったヌーヴェル・ヴァーグは一気に大波となって
映画界に一大旋風を巻き起こしました。
カイエ派としてはクロード・シャブロルの『いとこ同志』、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』『突然炎のごとく』、
ジャン・リュク・ゴタールの『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などの傑作が誕生し、一方の左岸派ではアラン・レネによる
『二十四時間の情事』『戦争は終わった』、ジャック・ドミの『シェルブールの雨傘』、アニュエス・ヴァルダの『幸福(しあわせ)』
アンリ・コルビの『かくも長き不在』などの秀作が発表されてヌーヴェル・ヴァーグが世界の映画界を席巻することになりました。

(ヌーヴェル・ヴァーグにつきましてはその定義づけが曖昧なため、以上の記述はあくまでも私見ということでご容赦ください)


『情婦マノン』 旅の友・シネマ編 (14)

2018-08-16 14:10:15 | 旅の友・シネマ編



『情婦マノン』 Manon (仏)
1948年制作、1950年公開 配給:東宝 モノクロ (1962年リヴァイヴァル時は松竹が配給)
監督 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
脚本 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、ミシェル・フェリ
撮影 アルマン・ティラール
原作 アベ・プレヴォー 「マノン・レスコー」
音楽 ポール・ミスラキ
主演 ロベール・デグリュー … ミシェル・オークレール
    マノン・レスコー … セシル・オーブリー
    レオン・レスコー … セルジュ・レジアニ
    ムッシュ・ポール … レイモン・スープレックス
    ジュリエット … ドラ・ドール
    マダム・アニュエス … ガブリエル・ドルジア



ユダヤ人の一団を乗せイスラエルに向う貨物船から若い二人の男女の密航者が発見された。二人はロべ-ルとマノンで
取り調べをする船長に過去を告白した。
1944年、フランスのレジスタンス活動に加わっていたロべ-ルはドイツ兵相手に売春をしたために村人のリンチに会おうと
しているマノンを救ったがマノンの魅カの虜になってしまった。ロべ-ルはレジスタンスから脱落し、彼女をつれてナチからの
解放で喜ぶパリに向った。パリではマノンの兄で闇商売でボロ儲けをしているレオンの厄介になる。マノンは贅沢なレオンの
生活にあこがれ、真面目な結婚生活を説くロベールの言棄には耳をかさず、贅沢のためには娼婦稼業に身を落すことさえ
いとわなかった。ロベールは彼女の欲望を満たすために悪事にも手をだすようになったが、レオンがマノンをアメリカ人の
金満家と結婚させようとしているのを知り、ロべ-ルはレオンを殺して逃亡する。ロべ-ルを愛していたマノンも彼を追って
二人はリヨンからパレスチナヘ密航することになった。
ロベールたちの身の上を聞いた船長は二人に同情し、二人が水死したことにしてユダヤ人たちといっしょにパレスチナの
海岸に上陸させた。二人はユダヤ人たちと共に新天地を求めて砂漠を旅したが、アラビア人のラクダ隊に見つかり、マノンは
狙撃を受けて致命傷を負う。ユダヤ人の一行もラクダ隊の銃撃で全滅してしまった。ロベールは死んでしまったマノンを逆さに
担いで砂漠を抜けようとしたが、すでにマノンは腐食し始めていたので砂中に埋め、ロべ-ルもマノンに覆いかぶさるように
倒れ込んだまま息を引き取る。



原作の「マノン・レスコー」は、18世紀にアベ・プレヴォーが書き下ろした自伝的な小説で、清純な容姿に不道徳を隠し持つ
マノン・レスコーと彼女へ狂恋してしまって悪事まで働いてしまった騎士の悲恋物語なのですが、クルーゾーは時代背景を
終戦前後の混乱時に設定して大胆にアレンジし、若い二人の破滅的な愛の軌跡を描いています。
映画の構成としては、クルーゾーは「映画というものは最後のシークェンスが一番印象に残る」ということを熟知したうえで、
衝撃のラストシーンを設定し、その目標に向かって骨組みと肉付けを施し、ペシミズムを極力抑えながら甘さのない強烈な
リアリズムによってこの作品を仕上げています。



また、下世話な悲恋物語にとどまることなく、ドイツ撤退後のフランスの田舎町において日常のようにナチス協力者に公然と
私刑が行われていた事実を描きながら、正義のためには不条理も許されるという世情を問題提起しており、さらには
ヨーロッパ全土の問題でもあるユダヤ人のパレスチナ入植の動向についても、ユダヤ人の希望と絶望を執拗に描き、
マノンとロべ-ルを映画の主たる縦軸とし、パレスチナ問題を横軸としてクロスさせています。
エクソダス号のユダヤ人によるパレスチナ上陸が1947年でイスラエル建国が1948年、そしてこの『情婦マノン』が制作
されたのがほぼ同じ時期の1948年。クルーゾーはこのまま憎み合っていてはこの問題は解決しない強くとばかりに強く訴え、
今現在でも憎悪し合うユダヤとアラブの姿を予言していたかのようにさえ感じられます。



何よりもこの映画の衝撃はクルーゾー自慢のラストシーンでしょう。
死んでしまったマノンを砂漠を逆さに担いで砂漠をさまよう異様な光景、そしてマノンが死んだことで初めてマノンの全てが
自分のものになったと満足感を覚える虚しさ。ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)にすべてを捧げた男の究極の愛は
あまりにも無残で悲しい結末となりました。



私が高二の1962年、リヴァイヴァル・ブームに乗って『望郷』『肉体の悪魔』『禁じられた遊び』に次いで秋口に再公開されました。
衝撃のラストシーンに全身の鳥肌が治まらなかったのを鮮明に記憶しています。



『ヘッドライト』旅の友・シネマ編 (13) 

2018-08-11 16:36:30 | 旅の友・シネマ編



『ヘッドライト』 Des Gens Sans Importance (仏)
1956年制作、1956年公開 配給:新外映 モノクロ
監督 アンリ・ヴェルヌイユ
脚本 アンリ・ヴェルヌイユ、フランソワ・ボワイエ
撮影 ルイ・パージュ
原作 セルジュ・グルッサール 「重要でない人たち」
音楽 ジョゼフ・コスマ
主演 ジャン・ヴィアール … ジャン・ギャバン
    クロチルド … フランソワーズ・アルヌール
    ソランジュ・ヴィアール … イベット・エティエベント
    ジャクリーヌ・ヴィアール … ダニー・カレル
主題歌 『ヘッドライト』 ( Des Gens Sans Importance ) 演奏・サウンドトラック盤



初老のしがない定期便トラックの運転手のジャンは長距離運転の途中、ボルドーの国道沿いにある“キャラバン”という常宿で
休憩しながら二年前の夜を思い出していた。
ジャンは二年前のクリスマスの夜にこの常宿で新顔で可憐な二十歳の給仕クロチルドと出会った。家庭の妻娘との関係は既に
冷え切っていたこともありジャンは孤独で薄幸なクロと恋に落ちてしまう。ジャンは妻子と別れてクロとの生活を考えた矢先に
雇い主と諍いを起こして失業し、定期的に立ち寄っていた常宿にも行けなくなりクロとの連絡もできなくなってしまった。
身重になっていたクロは心配のあまり手紙で知らせようとしたがジャンからの返事はなく、望みを失ったクロはヤミ医者により
危険な堕胎手術を受けてしまう。そんなときジャンに長距離の家畜輸送の仕事が見つかりジャンはその夜のうちにパリを出発、
そして安宿からクロを連れ出してトラックに乗せた。二人は新しい生活に旅立とうと決心して、濃霧が立ち込め風雨の強まる
夜道をひた走るが、堕胎手術後のクロの容態が次第に悪化してきた。しかし走れども走れども目的地はまだ遠く、クロは次第に
弱り果てていく。もうこれ以上トラックに同乗させるのは無理と思ったジャンはやむなく救急車を呼んでクロを病院に急がせた。
しかし、国道でジャンを待っていたのは先を急いでいたはずの救急車であった。そしてクロの命が霧の中に消え去ったことを悟る。
そんな思い出を噛みしめながら休息していたジャンは宿の店主に起こされた。再びジャンの淡々とした日常が始まる。



セルジュ・グルッサールの『重要でない人たち』は殺人事件がらみの悲劇なのですが、これをヴェルヌイユが大幅にアレンジし
情感溢れるタッチで描きあげ珠玉の映像美に仕立て上げました。
何の変哲もない無意味な時間に流される日常のなか、「運転手の俺たちには道路をえらべないからな」というジャンの台詞が
しがない人生を象徴、社会の片隅で薄幸の日々を送る男女にヘッドライトのように人生の暗闇を照らす一瞬の光が差し込んだ
ものの、再び社会の片隅の日々へと立ち戻ってしまう。その人生の虚しさが重く心に響きわたります。



また、ヴェルヌイユは随所にフランス独特の詩的リアリズムを取り入れながらも哀感と詩情による映像美を貫き通しました。
冒頭の砂埃が吹き抜ける片田舎の国道沿いの風景、パリの裏路地、雨に濡れた石畳み、そして霧に煙る深夜の国道などの
描写に緻密な人物像を重ね合わせ、情緒に甘さを含めたペシミズムにより、観る者を【侘び・寂び】の境地に迷い込ませて
究極の寂寞感をもたらしてくれます。



ヴェルヌイユによるこの『ヘッドライト』は『過去をもつ愛情』『幸福への招待』と共に彼を代表する三部作となりました。
いずれも人々の心底を揺さぶる情感あふれた作品群であったのですが、その数年後には『冬の猿』『地下室のメロディー』
などの活劇映画へ転身、時代の流れ(ニーズ)に翻弄されてしまったようでとても残念です。




映画主題歌の『ヘッドライト』はジョセフ・コズマが作曲した哀調を帯びた楽曲で、もの悲しい詩情映像との
相乗効果で見る人の心に強く沁み渡りました。
この楽曲は、映画の構成上なくてはならない映画の一部となっており、いわゆる『映画に融和した音楽』の
代表格的な存在となっています。

『ヘッドライト』サウンドトラック 【YOUTUBE】より



  *****

このブログの『外国映画公開史』において私が☆印を付した映画史上の最高峰と位置付けるトップ13にまで辿り着きました。
引き続いて順次紹介するつもりではありますが、今のペースだと100作品並べるのに二年近くかかりそうです。
これまではビデオやDVDで繰り返して作品を見直してから記事にしてきたのですが、体力・気力がいつまでもつかが
気がかりなので、記事化のピッチを上げるために作品の見直しを省略し、時には記憶に頼りながら綴っていこうと
思っています。
従いまして、内容が少し荒っぽくなるかもしれませんかご容赦のほどをお願いいたします。


『戦火のかなた』旅の友・シネマ編 (12) 

2018-08-07 13:39:33 | 旅の友・シネマ編



『戦火のかなた』 Paisan (伊)
1946年制作、1949年公開 配給:イタリーフィルム=東宝 モノクロ
監督 ロベルト・ロセリーニ
脚本 ロベルト・ロセリーニ フェデリコ・フェリーニ セルジオ・アミデイ他
撮影 オテロ・マルテッリ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
主演 フランチェスカ … マリア・ミキ
    フレッド … ガイ・ムーア
    アメリカンMP … ドッツ・M・ジョンソン
    カルメラ … カルメラ・サツィオ



この映画は第二次大戦で連合軍に降伏後したものの、ドイツ軍に占領されたイタリアの戦火の記録となっていて六つの挿話
によって描かれています。
〔第一挿話・シチリア〕
連合軍のシチリア上陸の際、海岸近くの村へアメリカ軍の斥候兵が現われて村落の娘カルメラと親しくなる。斥候兵はカルメラの
案内でドイツ軍の潜む城砦に出向いたが、斥候兵がカルメラに故郷の写真を見せようとして暗闇の中でライターに火をつけた
ために居場所を知られて二人はドイツ軍に射殺されてしまう。
〔第二挿話・ナポリ〕
連合軍が北上しナポリが解放された。ごった返す人々の中でナポリの少年がアメリカ黒人兵の靴を盗む。数日後に黒人兵が
靴泥棒の少年を発見し、少年の住家に案内させた。黒人兵はそこで戦禍のために家を失って惨めな生活をしている人々を見て、
少年の罪を許すことにする。
〔第三挿話・ローマ〕
連合軍がローマを開放した時に、アメリカの戦闘兵たちを自宅で歓待してくれた良家の清純な娘のフランチェスカは今では
生活のために娼婦になっていた。アメリカの兵士の一人はフランチェスカに再び会いたいと思っていたのだが、夜の町で
フランチェスカに声をかけられてその想いは儚くも失せてしまった。
〔第四挿話・フィレンツェ〕
連合軍は更に北上するが、フィレンツェではイタリアのバルチザンとドイツ軍との間に市街戦が繰り広げられている最中である。
野戦病院の看護婦とのアメリカ婦人ハリエットは戦前恋人であったギイドという画家の行方を捜していたが、ギイドは今では
パルチザンの頭となっていたものの重傷を負っていた。ハリエットは銃撃戦の中で適弾に倒れ、ギイドも亡くなってしまった。
〔第五挿話・フランシスコ派僧院〕
フランシスコ派僧院に三人のアメリカ従軍牧師が現れて宿を求める。牧師たちはカトリックとプロテスタントとユダヤ教で、
それぞれ宗派を異にしていた。教義上頑固な僧侶たちは、二人の異教徒がいるのを知ってもてなしに困惑する。
〔第六挿話・ポオ河〕
1944年の冬、ポオ河の沼沢地帯ではバルチザンとイギリス特務機関がドイツ軍に対して激しい戦闘を繰り広げていた。
しかし、バルチザンの一隊はドイツ軍艇の捕虜になってしまった。翌朝、捕虜たちは手足を縛られ次々とポオ河へと突落される。
イタリアが連合軍によってドイツから解放されたのはその数週後であった。



戦後まもなく、歴史的なネオ・リアリズモが登場しました。ハリウッドが華麗で夢物語的な完全娯楽作品を量産する一方で、
戦禍にまみれ廃墟と化した祖国の恥部ともいえる現実を冷淡に直視したイタリア作品が制作されます。
単純なペシミズムとは一線を画する悲劇の実録であり、映像が時代の証人となり、ここにイタリアン・リアリズムの誕生です。
これは世界映画史上最大の衝撃となり、真の映画作家たちが映画の使命を再認識して、さらなるリアリズム芸術の追求が
加速するきっかけになりました。
その先鋒となったのがロベルト・ロセリーニの『無防備都市』、そしてこの『戦火のかなた』でした。(註・日本では公開順が逆)



ロセリーニは、映画は夢物語に終わってはならないし型にはまった偶像話はありえない、映画は生きる時代の現実の社会や
人生の目撃者・報告者・証人でなくてはならない、という信念のもとに、モンタージュによる現実の歪曲を極力避け、あえて
荒れた画調で祖国の生々しい傷あとを直視しながら戦いの再現を求めてイタリアを縦断していきました。
六つの挿話は連合軍の北上という時間的契機で結ばれていますが、その内容としては個人的な問題から集団的問題にと
進められており、即興的な演出であるがゆえに戦争による悲壮感を巧みに導き出しています。
また出演者が素人であるために劇以上の真のドラマとなり、物語の映像化ではなく一つの事実を表すことによってさらなる
感動を呼ぶ作品に仕上がり、廃墟の中から輝きだした偉大な啓示となりました。



ちなみに原題の"Paisan"は「仲間」や「同胞」という意味です。