港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『無防備都市』 旅の友・シネマ編 (21) 

2018-09-24 18:08:24 | 旅の友・シネマ編



『無防備都市』 Roma Citta Aperte (伊)
1945年制作、1950年公開 配給:イタリフィルム=松竹 モノクロ
監督 ロベルト・ロセリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
撮影 ウバルド・アラータ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
主演 マンフレーディ … マルチェロ・パリエロ 
    神父ドン・ピエトロ … アルド・ファブリッツィ 
    ピーナ … アンナ・マニャーニ 
    マリーナ … マリア・ミキ 
    フランチェスコ … フランチェスコ・グランジャッケ 



第二次大戦でイタリアは連合国に降伏したが、即座にイタリアのほぼ全土がドイツ軍によって制圧され、無防備都市宣言を
したローマもドイツ軍の管轄下におかれた。ローマのレジスタンスの指導者マンフレーディはゲシュタポの追跡を逃れながら
同志のフランチェスコに匿われる。そのフランチェスコと婚約者ピーナの結婚式の日にドイツ軍に襲われた。マンフレーディは
逃げたがフランチェスコはナチに逮捕され、ピーナは路上で射殺されてしまう。フランチェスコはレジスタンスによって救出され、
マンフレーディたちと逃亡し、マンフレーディの恋人マリーナのアパートに逃げ、レジスタンスの協力者神父ドン・ピエトロの
協力で安全な隠れ家に移動していたとき、またドイツ軍に襲われた。信じていたマリーナがドイツ軍に通じていたからである。
マンフレーディはゲシュタポの司令官の拷問によって絶命、神父も子供たちの見守る中で公開処刑されてしまった。



第二次大戦、ドイツ軍から解放されたローマで、解放と同時に活動を開始したロセリーニによって、レジスタンスに対する
ナチのすざましい弾圧、そこに巻き込まれる市民や子供たちの悲劇をドキュメンタリー・タッチで描きあげたネオレアリズモの
宣言ともいえる世界を震撼させた記念碑的傑作です。
ロセリーニは、映画は夢物語に終わってはならないし型にはまった偶像話はありえない、映画は生きる時代の現実の社会や
人生の目撃者・報告者・証人でなくてはならない、という信念のもとに、モンタージュによる現実の歪曲を極力避け、祖国の
恥部ともいえる生々しい傷跡を直視した衝撃の作品を作りました。単純なペシミズムとは一線を画する悲劇の実録であり、
映像が時代の証人となり、この『無防備都市』によってネオレリズモ(イタリアン・リアリズム)が誕生します。



映画は、実在の登場人物をモデルにしてローマのレジスタンスの記録映画ですが、多少の物語性はあるものの、ドイツ軍
占領下のローマの悪夢を冷静に再現、ドイツ軍の行なった悪行を激しく非難するとともに、戦争という人類にとって最も愚かな
行為により、限界状況に直面すると悪魔のように残虐にもなれるという人間の姿を描きながら、いかなる暴力も人の心までは
支配できないと力強く訴えています。ラストシーンによる神父の銃殺刑という救いようのない悲劇を見つめていた子供たちが
その現実を心に刻み込む姿が印象的でした。



この作品を見るにあたっては、第二次大戦下のイタリア戦線の現状と、映画史における映画表現の現状という二つの
歴史をしっかりと理解しなくてはこの『無防備都市』の価値を見出すことができないのではないかと思う次第です。

『尼僧ヨアンナ』 旅の友・シネマ編 (20) 

2018-09-15 15:47:55 | 旅の友・シネマ編



『尼僧ヨアンナ』 Mother Joanna Of The Angles (波)
1960年制作、1962年公開 配給:東和=ATG モノクロ
監督 イエジー・カワレロヴィッチ
脚本 イエジー・カワレロヴィッチ、タデウシュ・コンヴィツキ
撮影 イエジー・ウォイチック
"音楽  アダム・ワラチニュスキー"
原作 ヤロスワフ・イワシキエウィッチ 「天使たちの教母ヨアンナ」
主演 ヨアンナ … ルチーナ・ウィンニッカ
    スリン神父 … ミエチスワフ・ウォイト
    マルゴザータ … アンナ・チェピエレフスカ
    リンダ … セニア・ヴァルデーリ
    マックス … アルド・グロッティ



十七世紀の北部ポーランドの寒村の尼僧院。院長のヨアンナは人々の信頼を集めていたが、そのヨアンナが悪魔に支配
されて、尼僧院の修道尼たちにも次々と悪魔が乗り移る。魔法使いの教区司祭ガルニエツ神父が夜ごとにヨアンナの寝室に
侵入したためにヨアンナに悪魔が乗り移ったという噂が流れ、ガルニエツ神父は悪魔と断定されて火刑に処せられ一件落着
と思われた。しかし、そんな悪魔祓いにもかかわらずヨアンナや尼僧たちは情欲のままにふるまっている。そのため大司教は
スリン神父を尼僧院に悪魔祓いとして派遣、事態の収拾を図ろうとした。僧院に着いたスリン神父はヨアンナに、二人で心を
こめて神に祈れば悪魔は必ず離れるとヨアンナに説いた。しかし、突然ヨアンナの形相が変わり、不気味な笑いと共に淫らな
言葉を吐き出した。彼女の悪魔を目のあたりに見たスリンは、悩みに悩んだすえヨアンナの悪魔を自ら引き受ける事でしか
彼女を解放できないと思い込み、遂には彼女と一体になり、愛してしまったヨアンナを聖者するために、罪のない従者と宿屋の
下男を殺してしまう。やがてスリンも火刑に処せられるであろう。ヨアンナの静かに流す涙と共に尼僧院の鐘が鳴りわたる。



アンジェイ・ワイダと共にポーランド映画のカードル派指導者であるイエジー・カワレロヴィッチの代表的傑作です。
原作は、17世紀のフランスの史料に記録されている事件に基づいてポーランドの作家ヤロスワフ・イワシキエウィッチが
1942年に発表した短編小説なのですが、映画では舞台はポーランド北方に置き換えられています。



この映画が製作された当時、ポーランドといえば、戦争中はドイツに占領され戦後はスターリン主義の抑圧を受けて人々の
心が二重三重に屈折した複雑な社会でした。その中で、人間が閉ざされた環境で自然な欲求を抑圧されたらどうなるのか、
か弱き人間はどう生きるのかというテーマのもとに、抑圧を強いられている弱者への同情を政治的、思想的な寓意として
この作品は制作されていますので、これらの社会的背景はこの映画を繙く重要な要素となっています。
誠実な尼僧の安らかな微笑みが瞬時に神を冒涜して淫らな言葉を吐くという欲望のすざましさにより抑圧され鬱折した
人間の性を見事に投影しており、悪魔に対峙する神父の勝利を望めない戦いはあまりにも悲惨で、これも圧政に屈折した
苦悩の表れでもありましょう。



この作品は何よりも映像の美しさが素晴らしく、モノクロームならではの陰影の見事さ、構図の確かさが全編に溢れていて、
特に修道尼たちが一斉に地面に倒れ込む俯瞰撮影は息をのむほどの美しさでした。
ポーランド・カードル派といえば、モノクロによる映像美、構図そしてカメラワークに他を寄せ付けぬ格調の高さを誇って
いるのですが、中でもこの『尼僧ヨアンナ』はそのすべてにおいてズバ抜けていました。



この作品は1962年にスタートしたATG (日本アートシアターギルド) による記念すべき第一回配給作品でした。
ATG の設立によって商業的には成り立たない良質の芸術映画を堪能することができるようになったのです。
ATG系列は神戸では『阪急文化』で上映されることになります。私も『尼僧ヨアンナ』に圧倒されて即座に会員になりました。
ATGはその後『野いちご』『第七の封印』『去年マリエンバートで』『かくも長き不在』『ビリディアナ』『8 1/2』『気狂いピエロ』
などの優れた非商業的作品を配給しています。
私がATGの神戸における拠点であるACKG(アートシネマ神戸グループ)でATGのお手伝いをするきっかけはこれらの優れた
作品群に感動覚えたことにほかなりません。
そのアートシネマ神戸グループ(ACKG)も会を重ねるごとに映画への思い入れが熱くなり、やがて自主上映の話が持ち上がり、
1966年7月1日(土)に第一回の自主上映会を開催する運びとなりました。プログラムは『尼僧ヨアンナ』と『シシリーの黒い霧』の
二本立てで、私が『尼僧ヨアンナ』に強いこだわりを持つのはこのためなのかもしれません。

映画芸術がその存在を激しく訴えていた時期でした。



『赤い砂漠』 旅の友・シネマ編 (19) 

2018-09-09 18:34:19 | 旅の友・シネマ編



『赤い砂漠』 Il Deserto Rosso (伊)
1964年制作、1965年公開 配給:東和 カラー
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ
撮影 カルロ・ディ・パルマ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ
主演 ジュリアーナ … モニカ・ヴィッティ
    コラド … リチャード・ハリス
    ウーゴ … カルロ・キオネッティ
    リンダ … セニア・ヴァルデーリ
    マックス … アルド・グロッティ
主題歌 『赤い砂漠』 ( Il Deserto Rosso ) 演奏・ジョヴァンニ・フスコ楽団



ジュリアーナはイタリアの工業都市ラヴェンナの工場技師である夫のウーゴと息子のヴァレリオと生活をしている。彼女は
以前に交通事故のショックからノイローゼが癒えていない。ジュリア―ナは工場を訪れた時に夫から同僚のコラドを紹介
される。コラドは彼女の精神不安に同情を覚えた。数日後、ジュリア―ナは夫やコラドとそれに数人の友人と港に出かけ
無人の小屋で休息をとっていたが乱痴気騒ぎになる。やっとジュリア―ナに明るさが戻ったようにも見えたが、港に停泊
していた船に伝染病が発生と聞いて再び精神が異常をきたしはじめる。みんなは痛ましげに見守ることでしかできない。
それからほどなく、夫のウーゴが出張すると不安にかき立てられてコラドを求めるが、それで心が満たされるわけもなく、
かえって虚しくなり深い孤独に苛まれるだけであった。



愛の不毛を描き続けたアントニオーニの終結篇で彼が挑んだ実験的な色彩作品です。
交通事故でショックを受け軽いノイローゼに陥った人妻が感じる倦怠そして不安と孤独を、無機的な工場周辺の風景と、
断絶を表現する原色、倦怠感を醸し出す濁淡色など色彩映画の定石を覆す独自の手法によって表現、主人公の疎外感と
高度成長社会が人間の精神を蝕んでいる現代の狂気を描いています。
冒頭の無機質な工場群と林立する煙突から吹き上げる真っ赤な炎は荒んだ主人公の心の底を象徴させて、さらには
情事でも埋められない不安と孤独に苛まれ、絶望しながらも脱出を求めて苦闘する姿はアントニオーニの独壇場です。



また、主人公の心情を醸し出す不安定なカメラの焦点も実に絵画的であり、時折り画面を走り抜ける原色が心の揺れを
表現、しながら不確かで不鮮明な映像を引き締めています。
アントニオーニは『情事』や『太陽はひとりぼっち』において背後に広がる無機質で冷淡な風景を多用することによって
愛の不毛をモノクロ映像で表現、独自の映像芸術を確立させましたが、この『赤い砂漠』においても感情を色彩映像で
表現しており、孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ心を描き切っています。





主題歌の『赤い砂漠』はアントニオーニ監督の盟友ジョヴァンニ・フスコの作曲で、サウンド・トラックも彼の楽団による
ものです。珍しく軽快なサウンドで、映画では港の小屋での乱痴気騒ぎのシーンで使われていました。
作曲者のジョヴァンニ・フスコは、これまでのアントニオーニ作品『女ともだち』『さすらい』『情事』『太陽はひとりぼっち』
『赤い砂漠』などを担当したアントニオーニの盟友でしたが、この『赤い砂漠』を最後にコンビを解消しています。

『赤い砂漠』サウンドトラック 【YOUTUBE】より




念のため、重ねて申しておきますが、アントニオーニ作品は物語の起承転結を見せるものではなく、登場人物の心理を映像で
表現する知的リアリズム映画なので、筋書きのあるドラマだと決めつけて観ると意味不明な凡作にしか見えないでしょう。





『突然炎のごとく』 旅の友・シネマ編 (18) 

2018-09-03 15:18:38 | 旅の友・シネマ編



『突然炎のごとく』 Jules et Jim (仏)
1961年制作、1964年公開 配給:ヘラルド モノクロ
監督 フランソワ・トリュフォー
脚本 フランソワ・トリュフォー、ジャン・グリュオー
撮影 ラウール・クタール
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
"原作  アンリ・ピエール・ロシェ 「ジュールとジム」"
主演 カトリーヌ … ジャンヌ・モロー
    ジュール … オスカー・ウェルナー
    ジム … アンリ・セール
    テレーズ … マリー・デュボワ
    ジルベルト … ヴァナ・ユルビノ
    サビーヌ … サビーヌ・オードパン
    アルベール … ボリス・バシアク
主題歌 『つむじ風』 ( Le Tourbillon ) 唄・ジャンヌ・モロー



オーストリアの青年ジュールとフランスの青年ジムは文学を通じて無二の親友であるが、ある日カトリーヌという女性に出会い
同時に恋に落ちてしまう。そのカトリーヌは男装して街に繰り出したり、突然セーヌ川に飛び込だりするなど自由奔放な性格で
あった。積極的なジュールはカトリーヌに求婚してパリのアパートで同棲を始めた。そんな時、第一次世界大戦が始まり二人の
青年も敵味方に分かれてそれぞれの祖国のために戦うことになった。やがて戦争は終わり月日も流れた。ある日、ジムは
ライン河の片田舎に住んでいるジュールからの招待を受けた。ジュールとカトリーヌの間は冷えており、ジュールからジムと
カトリーヌが結婚して三人で暮らそうと提案される。こうして、三人の奇妙な共同生活が始まったがカトリーヌにはギター弾きの
愛人が他にいたことでそんな不安定な関係も崩れてしまった。ジムは彼女に絶望してパリへ帰っていった。その数か月後、
三人は映画館で再会した。映画を観終わった後、カトリーヌはジムを車に同乗させ、ジュールに微笑みながら「私たちをよく見て」
と言い残すと壊れた橋に向かってアクセルを踏み車を川に転落させた。二人を荼毘に付したジュールは心静かにカトリーヌの
思い出を胸に刻み込む。



アンリ・P・ロシェの小説をもとに、二人の青年と一人の女性との愛の心情を繊細に形象化したトリュフォーの最高傑作です。
トリュフォーはこの原作を古本屋で手に入れて以来すっかり陶酔してしまい、「私が映画監督になりたかったのはこれを
映画化したいためだ」と言わしめた小説です。トリュフォーは映画化にあたり、原作の文体が損なわれるのを避けるために
細心の注意をはらい、原作を損なわぬようにナレーションを多用して心酔した書物への最大の敬意を示しています。
トリュフォーは「私の人生の歯車は、書物を映画にし、映画を書物にすることで回転してきた」と語っているように、文学を
映画化したというよりもカメラという万年筆で文学を書き上げており、これこそがヌーヴェルヴァークの目指していた映像
芸術の集大成でもあると評価されています。



また、これまでに培ってきたヌーヴェルヴァークのカメラワーク手法をふんだんに取り入れていて、みんなで自転車を走らす
シーンの瑞々しい疾走感もさることながら、カトリーヌがセーヌ川に転落するシーンでは三方からのアングルで撮った映像に
見事な編集を施してさらに強い印象を焼き付けています。
トリュフォーは愛に傷ついたナイーヴな心を繊細な誠実さで形象化できる名人で、彼の作品はつねに自身の心をも深く
投影しており、魔性で自由奔放なカトリーヌによって繰り広げられる奇妙な三角関係も、喜びや哀しみはあっても嫉妬や
憎しみがなく、従来の三角関係とは違う愛の表現もトリュフォー自身の人間味なのかもしれません。



ヌーヴェルヴァーク・カイエ派の両巨頭、トリュフォーとゴダールは何かにつけて対比されていますが、常に観客を考慮に
入れて映画をつくる映画小説家のトリュフォーと、観客などまったく考慮に入れずにエッセイのように映画をつくるゴダール。
この頃の二人は蜜月関係にあり、お互いに自分の作品の中にこっそりと相手の作品のPRを挟み込んだりしていましたが
ヌーヴェルヴァークの衰退とともにやがて険悪な関係になってしまいました。カイエ派の同志として固い絆で結ばれていた
はずなのですが、お互いに理想とする映画理論はあまりにも違っていたようです。





この作品の主題歌『つむじ風』はフランソワ・パシアクの作詞、ジョルジュ・ドルリューの作曲によるもので、「二人は知り合い、
離れ離れになり、再びめぐり逢い、そして別れる」と、渦まく人生の一片を淡々と唄うジャンヌ・モローが印象的でした。
映画では山荘でカトリーヌがパシアクのギター伴奏にのって唄っています。

『つむじ風』サウンドトラック 【YOUTUBE】より


『天井桟敷の人々』 旅の友・シネマ編 (17) 

2018-08-28 18:19:20 | 旅の友・シネマ編



『天井桟敷の人々』 Les Enfants Du Paradis (仏)
1944年制作、1952年公開 配給:東和 モノクロ
監督 マルセル・カルネ
脚本 ジャック・プレヴェール
撮影 ロジェ・ユベール、マルク・フォサール
音楽 ジョゼフ・コスマ、モーリス・ティリエ
主演 ジャン・バティスト(ガスパール・ドビュロー) … ジャン・ルイ・バロー
    ガランス … アルレッテイ
    フレデリック・ルメートル … ピエール・ブラッスール
    ピエール・ラスネール … マルセル・エラン
    ナタリー … マリア・カザレス
    モントレー伯爵 … ルイ・サルー
    フュナンビュール座座長 … マルセル・ペレ
    エルミーヌ夫人 … ジャンヌ・マルカン
    バティストの息子 … ジャン・ピエール・ベルモン
    スカルピア・バリーニ … アルベール・レミー
    古着屋ジェリコ … ピエール・ルノワール



第一部『犯罪大通り』
19世紀のパリのタンプル大通り(通称犯罪大通り)で、殿方の憧れ的存在女芸人ガランスに俳優のルメートルやラスネール、
それに悪漢のラスネールたちが熱をあげていたがガランスはそれを軽くあしらっていた。ある日、ガランスとラスネールが
「フュナンビュール座」のパントマイムを楽しんでいたとき、ラスネールが裕福そうな紳士の懐中時計を盗んだ。そばにいた
ガランスが盗みの疑いをかけられたとき、舞台上で盗みの一部始終を見ていたバティストがパントマイムで盗みを再現して
ガランス容疑が晴れる。それをきっかけにして知り合ったバティストもまたガランスの虜になってしまった。やがてガランスや
ルメートルもバティストと共に「フュナンビュール座」で一緒に仕事をするようになったが、その公演を見物していたモントレー
伯爵がガランスに熱をあげ財力をちらつかせて口説く。そんなとき、ガランスはまたも悪漢ラスネールが起こした事件のために
殺人未遂の共犯者として逮捕されそうになる。ガランスはこれを逃れるために伯爵の庇護に身を寄せ、バティストの愛に後髪を
引かれながら一座を去って、伯爵とともに遠国へ行ってしまった。



第二部『白い男』
それから五年後、バティストはフュナンビュール座の座長の娘ナタリーと結婚して一子をもうけ、一方ガランスは伯爵と結婚
していた。ある日、有名俳優になっていたルメートルのはからいでバティストはガランスと再会することができた。一方、
ガランスを妻にしたものの彼女に愛してもらえない伯爵はその原因がルメートルだと勘違いして嫉妬のあまり決闘を申し込む。
ところが伯爵はラスネールからガランスの愛しているのはルメートルではなくバティストであると告げられたことでラスネールを
激しく侮辱、これに怒ったラスネールは伯爵を刺し殺してしまった。その翌朝、バティストの前に現れたナタリーと子供の姿を
見たガランスはバティストへの訣別を決心し、謝肉祭の雑踏のなか足早にバティストのもとを去っていく。バティストは去ってい
ガランスを追って彼女の名を呼び続けた。そこに古着屋ジェリコから「祭りは終わった。もう家に帰れよ」と諭され、喧騒の中に
ひとり取り残される。



この作品はドイツ占領下のフランスで三年に渡って撮られた上映三時間を超える大河ドラマで、十九世紀前半のブルボン
王政復古からから七月王政にかけてのパリの犯罪大通りを舞台とした一大恋愛絵巻です。
物語はバチスタとガランスのかなわぬ愛の物語なのですが、登場人物が多く、更にはそれぞれ強烈な個性をもっています。
この作品を脚色するにあたり、詩人でもある脚本家ジャック・プレヴェールは、その当時に実在していたバティスト、ラスネール
そしてルメートルを軸にしてウィットに富んだ台詞を駆使しながら脚本書き上げています。
中でも、ラスネールは実際に何人もの人を殺めた犯罪者で36歳でギロチンの刑に処せられました。そのラスネールの獄中記
から「必要に応じては盗みもするし欲望に応じては殺しも辞さぬ」といったセリフが引用されています。
これを、ジャック・プレヴェールとコンビを組み『ジェニイの家』『霧の波止場』『悪魔が夜来る』などを撮ったマルセル・カルネが
詩的リアリズムとペシミズムを基調として純化された19世紀の風俗を再現し、コンビとしての集大成的作品に仕上げました。
社会全体を見下ろすと同時に人間の精神の内部をきめ細かく描き、それを社会と個人の関係として対比させるという手法は
ある意味でバルザック的な二元論なのかもしれません。



この作品の原題は"Les Enfants Du Paradis"すなわち「楽園の子供たち」で邦題は『天井桟敷の人々』とされました。
劇中にあるフュナンビュール座の舞台から一番遠くて天井近い上の席のことは「楽園」と呼ばれ、低料金席でもあっため、
下層の大衆が子供のように騒がしかったので「楽園の子供たち」と揶揄されていたそうで、この殺伐とした時代に生きる
貧しい庶民の鬱憤だったのかもしれません。
「人生は悲劇であり喜劇である。それは値段の高い席から見ても安い席から見ても同じである。」との意味合いもあるようです。



この作品の歴史的価値は何よりもドイツ占領下で撮られたということでしょう。ただし、ドイツ占領下といっても、比較的に
ナチ色がゆるくてある程度の自由があったヴィシー政権下の南仏ニースだったので制作することができたようです。
カルネは、ニースのラ・ヴィクトリーヌ撮影所に巨大なセットを作って「犯罪通り」を再現してそこで撮影を進めています。
カルネ監督がドイツ占領下で撮った『悪魔が夜来る』は反ナチ作品と評価されていますが、この『天井桟敷の人々』には
悪人や冷血漢が登場するためそれを反ナチとしてこじつけることもできますが、映画の背後にそれほどナチスへの強烈な
批判、すなわち隠されたメッセージは感じられません。敢えて言うなら、ガランスの伯爵に対する人間としての誇りがナチス
に対する自由と尊厳への反発だと言えなくはありません。
ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワール、ルネ・クレールなどが次々とハリウッドに逃れたのに対して、カルネは祖国に
とどまり作品を撮り続けました。それ自体がカルネにとってナチスに対する最大のレジスタンスであったともいえるでしょう。