『無防備都市』 Roma Citta Aperte (伊)
1945年制作、1950年公開 配給:イタリフィルム=松竹 モノクロ
監督 ロベルト・ロセリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
撮影 ウバルド・アラータ
音楽 レンツォ・ロッセリーニ
主演 マンフレーディ … マルチェロ・パリエロ
神父ドン・ピエトロ … アルド・ファブリッツィ
ピーナ … アンナ・マニャーニ
マリーナ … マリア・ミキ
フランチェスコ … フランチェスコ・グランジャッケ
第二次大戦でイタリアは連合国に降伏したが、即座にイタリアのほぼ全土がドイツ軍によって制圧され、無防備都市宣言を
したローマもドイツ軍の管轄下におかれた。ローマのレジスタンスの指導者マンフレーディはゲシュタポの追跡を逃れながら
同志のフランチェスコに匿われる。そのフランチェスコと婚約者ピーナの結婚式の日にドイツ軍に襲われた。マンフレーディは
逃げたがフランチェスコはナチに逮捕され、ピーナは路上で射殺されてしまう。フランチェスコはレジスタンスによって救出され、
マンフレーディたちと逃亡し、マンフレーディの恋人マリーナのアパートに逃げ、レジスタンスの協力者神父ドン・ピエトロの
協力で安全な隠れ家に移動していたとき、またドイツ軍に襲われた。信じていたマリーナがドイツ軍に通じていたからである。
マンフレーディはゲシュタポの司令官の拷問によって絶命、神父も子供たちの見守る中で公開処刑されてしまった。
第二次大戦、ドイツ軍から解放されたローマで、解放と同時に活動を開始したロセリーニによって、レジスタンスに対する
ナチのすざましい弾圧、そこに巻き込まれる市民や子供たちの悲劇をドキュメンタリー・タッチで描きあげたネオレアリズモの
宣言ともいえる世界を震撼させた記念碑的傑作です。
ロセリーニは、映画は夢物語に終わってはならないし型にはまった偶像話はありえない、映画は生きる時代の現実の社会や
人生の目撃者・報告者・証人でなくてはならない、という信念のもとに、モンタージュによる現実の歪曲を極力避け、祖国の
恥部ともいえる生々しい傷跡を直視した衝撃の作品を作りました。単純なペシミズムとは一線を画する悲劇の実録であり、
映像が時代の証人となり、この『無防備都市』によってネオレリズモ(イタリアン・リアリズム)が誕生します。
映画は、実在の登場人物をモデルにしてローマのレジスタンスの記録映画ですが、多少の物語性はあるものの、ドイツ軍
占領下のローマの悪夢を冷静に再現、ドイツ軍の行なった悪行を激しく非難するとともに、戦争という人類にとって最も愚かな
行為により、限界状況に直面すると悪魔のように残虐にもなれるという人間の姿を描きながら、いかなる暴力も人の心までは
支配できないと力強く訴えています。ラストシーンによる神父の銃殺刑という救いようのない悲劇を見つめていた子供たちが
その現実を心に刻み込む姿が印象的でした。
この作品を見るにあたっては、第二次大戦下のイタリア戦線の現状と、映画史における映画表現の現状という二つの
歴史をしっかりと理解しなくてはこの『無防備都市』の価値を見出すことができないのではないかと思う次第です。