ひと時の梅雨の晴れ間のように、歌集『朝の光の中に』が射しこんできました。毎月の締め切りに何とか10首を搔き集め送っているだけの、名ばかりの会員の私などにと、驚きながら嬉しく読ませていただきました。
河野裕子さんの「歌はドーナツのように作りなさい」の言葉に通じるのかもしれませんが、最近、永田和宏さんの「総じて、言い過ぎの歌が多い。言いたいことをわかってもらいたいという意識が強すぎる。わかってほしいと思うから、説明してしまう。」という言葉に触発されています。私の歌も俳句も「こう思う」と「観念」を詠む傾向にあり、なんとかもの(・・)そのもの(・・)、こと(・・)そのこと(・・)だけを詠もうと考えています。
その私に痛烈に響いてきたお歌があります。以下の4首が短歌や俳句を詠む際に「事象」「現象」をしっかりと捉えることの大切さを教えてくれました。
生け終へて数歩さがりて眺めたり花がしづかに私を見てゐる
水にのり体やはらかに泳ぐことやうやく覚え息らくになる
幼子が力を抜いて浮くことを覚えし時のやはらかな顔
力ぬき水に泳げばわが内に固まりしものほどけてゆきぬ
いけばなは花の命をもらふこと私の中に花が入り来る
強く「観念」を前に押し出さなくても作者の「思いは」十分に伝わるのですね。そのことが「水に泳ぐ」3首に象徴されていますし、「生け花」の歌にその姿勢を読み取りました。勝手な感想ですが、歌を詠む方向を模索(それほど真剣にではないのですが)している私に大きな示唆をお与えいただきました。
また、オノマトペの面白さ、個性的な発見にも目を開かされました。
特に俳句では私なりのオノマトペで詠みたいと思うのですが、なかなか難しいと感じています。
たどたどと鳩の五、六羽歩みをり
ずりりずりりと動き出すなり
がはがはと八手の葉つぱのたてる音
しろしろと咲く草花をつむ
桐の花高きに咲かせのつしりと
のつたり泳ぐマンボウのごと
いずれも情景や様子を的確に描き出し、素敵です。
すべてのお歌が日常の細部を丁寧に掬い取ってーそれもあたたかなまなざしでー詠まれていることに感銘を受けました。私のように浮ついている者にはない視点だと思い知らされました。
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嬉しいことに全く面識のない方から歌集をお贈りいただくことがあります。すべての歌を読ませていただいた後、「あとがき」で作者のお人となりを知ります。来月から作者の歌を見つけて読むようにもなります。
私もいつか歌集や句集が作れたらいいな。