隔月でのネット歌会に参加しています。なかなかリアル歌会には行けない身にとっては、皆さんからの批評をいただける貴重な機会です。今月も皆さんの歌稿が紹介され、それぞれに感想などを書き込み始めました。その中の一首
海峡とみちのく越えて届きたる姉のメールはリラ冷え伝ふ
「リラ冷え」の言葉を知ったのは渡辺淳一著の『リラ冷えの街』でした。「リラ冷え」とは北海道の花冷え、リラ(ライラック)の咲く頃の冷え込みを指す言葉だそうです。そのことが分からなくても「海峡とみちのく越えて」によって北海道の冷えのことだろうとの予想は立ちます。作者は関東地方在住でしょうか、はるばると姉から届いたメールに懐かしい「リラ冷え」を思い、町の情景や姉の体調なども心配しているという歌意です。しみじみとした歌だと思いました。
この歌がSNSのない時代に詠まれたとしたらどうなるのでしょうか。メールでなく電話や手紙だったらと考えてみました。
海峡とみちのく越えて届きたる姉の電話はリラ冷え伝ふ
海峡とみちのく越えて届きたる姉の手紙はリラ冷え伝ふ
電話ならば、その受話器の声に姉の声の温もりや体調を感じるでしょう。発信してから届くまでの時間はなく、リアルタイムの交流になります。そこに若干の「海峡とみちのく越え」てきている思いは入るでしょう。
さらに、手紙ならばどうでしょう。ポストに手紙を見つけた時、差し出した人を確認した時、封を切るとき、その都度気もちの揺れを感じるのではないでしょうか。これはメールでは味わえません。メールに書かれた内容と手紙の内容は同じかもしれませんが「海峡とみちのく越え」てきたと実感できるのは手紙の方がより強いのではないでしょうか。海峡や東北の山河がより目に浮かんでくるのではないでしょうか。
海峡とみちのく越えて届きたる姉のメールはリラ冷え伝ふ
この歌はこのままでももちろんいい歌だと思います。特になおすところもないのだと思います。歌の評とは別に、SNSのない時代だったら、手紙だったらどうなるだろうとふと考えたのでした。
初めてのZoom手をふり閉ぢたるも喉に小骨の残りし気分
これは私の歌。初めてのZoom体験を詠みました。「喉に小骨の残りし気分」の比喩がいいかは検討の必要があるかと思います。この体験では、対面の協議会と比較し、うまく言えませんが、「情報伝達」には有効であっても「交流」にはどうなのかと、違和感を感じました。メールと葉書の違いに通じるものかもしれません。