「塔」二月号が届きました。祈るような気持ちで川口さんのお名前を探しました。でも、やはり、お名前には小さく「故」の字が付いていました。その二月号の二首。
あれこれとやるべきことを思いいて動こうとせぬ手足四本
つる草の葉の枯れ落ちし後ろより四五基よりそう墓標あらわる
病床にあって「動こうとせぬ」手足に絶望し、川口さんが見ていたものが「よりそう墓標」であったとしたら、あまりにも悲しい。
ご逝去を知ったのは一月末の新聞でした。享年が七十二歳であること、喪主がご長女であることも初めて知りました。
お会いしたのは六年前、いわき市での第一回常磐歌会でした。共通の友人を通じ、お互いが塔の会員であることは知っていました。
挨拶を交わした時のはにかむようなお顔が思い出されます。この歌会で詠まれた歌。
杉の森なまあたたかき靄がはい血潮ちらせるごと梅雨茸
この一首にも川口さんの歌の特徴がよく出ています。私たちの住む地方は、海に臨み、福島県を走ってきた阿武隈山地が関東平野に傾れるところです。川口さんの歌のほとんどは、その県北地区の自然の風景や小動物、植物との交歓を詠んだものです。
われの血で腹いっぱいになりし蚊がさもほのぼのとはなれゆくなり
網目のみ残る山繭回すたびなかの琥珀の物体回る
寄りかかる木と擦れ合う木の音を泣き声のごと聞きて下行く
身近な自然にやさしい眼差しを向ける川口さんですが、初めてお会いした頃に、めずらしくご家族を詠んだ歌が二首あります。
妻と子ととりしプリクラなんとなくわれも笑ったような顔して
原宿の二階に妻と子と休みガラスの靴のジュース飲みほす
川口さんご自身が、奥様とお嬢さんと原宿を散策しながら「キラキラ」と輝いていたのでしょう。はにかんだお顔が目に浮かびます
この幸せなご家族を、突然黒い影が覆い始めます。令和二年七月号から悲しみの歌が続きます。
妻の心臓止まりしという電話病院出づる術なしわれは
気が付けば娘がそばで泣いている三人家族の妻が逝きたり
こんなにもあなたの事を思い出しわれは涙の木になっている
青空が少しのぞいている北に妻は遺骨となりて待ちおり
慟哭の歌をくり返し詠みながら、ご自身は癌病棟の中にあって病状が進行していきます。
令和三年九月号の歌。
半年の余命を告げし若き医師AIのごと目が澄んでいる
一時的な退院を経て、近づく死の気配を感じているかのように、川口さんの歌に、さらに悲しみが増していきます。覚悟にも似た思いが表出されていきます。昨年十二月号。
橋上のわれに男が戻り来ぬ危ぶむほどに生気なかりしか
片羽をおのが墓標のごとくたてここに大きな蝶死んでおり
今は奥様とあの原宿の日を語り、お嬢さんを見守っていることでしょう。近くに在りながら、同世代でありながら、もっとお会いしておけばと、悔いが残ります。思えば昨年七月号の歌が辞世だったのかも知れません。
はるかなる水平線まで灰色の海平らなり冬の蝶翔つ
心よりご冥福をお祈りいたします。