この花さき山一面の花は、みんなこうしてさいたんだ。つらいのをしんぼうして、自分のことより人のことを思って、なみだをいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって、さきだすのだ。 やさしいことをすれば花がさく。うそではない、ほんとうのことだ・・。 |
『花咲き山』(斉藤隆介・文 滝平二郎・絵)
こんな人間にはなりたくない~そう思うことの一つに「品性のない人間」があります。「あなたは品性がない」と言われるのは辛いです。他人から私は「品性がない」と見られているのか不安でもあります。
「品性」とは、何かといえば、挨拶ができること、本能より理性が優っていること、お金に卑しくないこと、自我を抑制できること、恥ずかしいと思えること、自分より相手の幸せを優先して考えられること、足るを知ることなどではないでしょうか。
では、その「品性」はどのようにして身につくのでしょうか。
品性は、人が嫌がるつらいこと・からだが汚れること・苦しいことなどを行うことによって磨かれるのだそうです。日本人はいつからか、それらの多くを外国の人たちに任せてしまった。だから日本人には品性がなくなったのだと、聞いたことがあります。確かにそれもあるかもしれません。大人も子どもも,自己中心的になっていると嘆く人もいます。そうかもしれません。
『花さき山』には「つらいのをしんぼうして、自分のことより人のことを思って、なみだをいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、こうして花になって、さきだすのだ。」と書かれています。「やさしいことをすれば花がさく」と。
この「花」が品性なのです。「自分のことより人のことを思うこと」、その行為が「品性」と言う花を人知れず心の中に咲かせるのです。自分ではその花が咲いたことを知らないかもしれません。でも、誰かが高いところからきっと見ているのです。いや、近くにいる人でも、花を見ようとする人には見えるのです。
実はこのように、自分のことより人のことを思い、やさしく健気に生活している子どもたちはたくさんいるのです。子どもの心が成長するのは、つらいことをがんばって続けたり、困っている友人や障がいを持つ人などにやさしい言葉をかけたりしたときです。それを人知れず行っている子は多いのです。それを認め、励ましてあげなければなりません。認め励まされることによって、子どもたちはまたそのことを続け、花を咲かせようとするのです。
今は「秋蒔き」の季節です。
庭や畑に花や野菜の種を蒔くだけでなく、心の中にもたくさんの花が咲くような行いをし「品性」のある大人にならなければならないのです。私はそう思います。
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