「先般、ある結社誌に「自分は敢えてコロナ禍を歌わない」と書いている人がいました。皆が一斉に歌うことを自分は敢えて歌わない、皆が右を向いている時に左を向くのが文学者だ、という考えの人もいますね。一方で、今一番重要なことを歌わなければならないという考えの人もいます。みなさんはどう考えますか。答えは要りませんが、一人一人が自分はどうかと考えてもいいでしょうね。」 (「塔」選者 三井修さん)
「歴史上の出来事は歴史書が後世に残してくれる。しかし、その歴史の真っただ中で生きていた生活者の声は歴史には残らない。歌は庶民の声を残すのにもっともすぐれた詩形である。」
(歌人・細胞生物学者 「塔」選者 永田和宏さん)
私は「コロナ禍」を短歌にも俳句にも詠んでいます。短歌や俳句を詠み始めた動機は、何もしなければ流れて行ってしまう日常の思いを二十一音や十七音でピンナップしておこうと考えたからです。東日本大震災もそうですが、災害は否応なく私の周辺にも及び、大きな影響を与えます。悲しみも怒りも不安もおぼえます。それを「庶民」の一人としてスナップ写真のように残しておきたいと考えています。
●歩み出づ悲しきお顔の観音の禍ひ祓ふ水瓶(すいびやう)を提げ
●花は葉に雁字搦めの滑り台
長谷川櫂さんは、俳句を詠む効果として
「日本語を深く知る」「人との付き合いが深くなる」の他に「詠むことによって自然や社会と主体的に関わり、自然や社会の情勢を知ることができる」
ことを挙げています。
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