NHK大河ドラマ「真田丸」 7 「奪回」 28.2.21
< 1582年(天正10年)6月2日・・・・ 本能寺の変、信長 49才、武田を滅ぼした3ヶ月後。>
< 1582年(天正10年)6月13日(6月2日本能寺の変、11日後)山の合戦。羽柴、明智を負かす。>
< 1582年(天正10年)6月18日 神流川(かんながわ)の戦い。瀧川、北条に敗れる。>
北条氏直、上野へ侵攻。
滝川一益、「神流川(かんながわ)の戦い」で、北条氏直の大軍の前で総崩れとなる。
直ちに、小田原城の北条氏政に味方の大勝利が知らされ、氏政にんまりと・・・・・。
昌幸、「一気に沼田と岩櫃奪還だ」。
信幸へ、岩櫃を攻めろと命令する。
沼田城と岩櫃城を奪還する。
昌幸、箕輪城へ。
滝川に会うと、「もはや勝負ついた。伊勢へ戻る」と。
昌幸、「一戦を交えては」と進言。
滝川、「無理はするな」と。
滝川、「人質はもう少し借りる。信濃を抜ければお返しする」と。
人質祖母ときり。
信繁(幸村)が、助けに来て、二人が喜ぶ。
昌幸と一益、酒盛り。
一益、「沼田と岩櫃は、真田に返す。好きのようにせい。」「信濃は豊かで良き国だ。織田を立て直すことが出来たなら、こっちへ帰ってこよう」「明日、信濃を通って帰る」と。
昌幸、沼田、岩櫃奪還を早まったことを悔しがるが、既に遅し。
一益、部下から、真田の沼田・岩櫃奪還の報告を受け、激怒する。
一益、箕輪城から小諸城へ退却。
人質奪還のため、信繁と三十郎は小諸城に潜入。
祖母ときりの奪還に失敗、かえって捕虜となる。
一益、信繁を見て「真田のこせがれか」「人質を奪うとは反対にまわるということだな」「我と伊勢まで来てもらおう」と告げられる。
真田郷。
母と信幸の妻食事。母、信幸の妻との食事を早々に切り上げ、「こちらが気がまいる」と呟く。
滝川、負け戦で伊勢に帰ろうとするが、信濃西部の国衆、木曽義昌が阻止。
義昌、「一歩たりとも木曽を通さない」。
一益、談判に福島城へ出向く。
信繁、祖母に救出出来なかったことを詫びる。
祖母、「大事なことは、うまくいかぬ時どうするか」「望みをすてないこと」
「落着きなさい」と諭す。
一益と義昌談判。
義昌、人質を渡すことを条件に、領地を抜けることを許す。
一益、「信濃の国衆の人質を全部渡そう」。
6月28日人質を渡す。
一益、清州会議に間に会わず、以後力を失くしていくこととなる。
義昌、「いずれ信濃大名となる。人質は大事な駒」と豪語する。
義昌(信玄の娘婿)と祖母のもとへ。
祖母、義昌が信玄公の前でちびったことを披露。
「大恩のある武田を裏切った」と義昌の頬を平手うちする。
義昌、「織田の圧力が強すぎて」と言い訳をする。
祖母、人質として大事に扱ってくれるように約束を取り付ける。
「きりはうるさいので、信繁に連れて帰ってもらう」と・・・・。
義昌、きりのことは「お好きに」と告げる。
真田郷。
昌幸と国衆の会話。
「先ず、北条についてくれ」「真田はつかない」。
信繁ときり。
信繁、何も出来なかったと嘆く。
きり、「助けに来てくれてありがとう。私が素直にありがとうと言っているのに」と。
信繁と兄。
兄の前で、「足を引っ張るだけだ」と嘆く。
兄、「お前らしくない」「岩櫃城を負かされているので精一杯だ」「会えて良かった」と。
国衆が北条方についたにもかかわらず、昌幸、上杉に行く。
昌幸、「ともに北条と戦いましょう」と持ち掛ける。
上杉景勝了解する。
昌幸、真田郷に帰る。
父、信繁を叱り諭す。
「感で動き過ぎる。俺のは、場数を踏んだ感だ。」
「兄弟二人を合わせて一つだ。兄は糞間地真面目で面白くない。お前は面白い。従って二人で一つだ。」
父から「海津城へ行け」と命令される。
「春日信達?この男を調略せよ」。
「北条は勢いが、上杉は勢いが無い。真田は北条につく」
「(上杉を)挟みうちだ」
「北条と上杉をまたにかけ」とうそぶく・・・・・・・・。
< 来週・・・ 「調略」 >
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