ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座放課後子ども教室 9月

2017-09-24 | 小町座
二学期初めての放課後教室。「疎開」をテーマに小さな一人芝居をしました。「奈良に疎開に来て」。このミニ芝居は、今から4年前、同じ小学校で、開催した「疎開を知っていますか?」という小町座の企画でしたものを、短く書き直したものです。この企画は、短歌ヤママユの歌人、水野智子さんが実際に疎開された時のお話も聞き、先の芝居も見るという企画でした。水野さんは、名古屋から疎開されたお話をして下さいました。親戚のお家に疎開されたのですが、体の弱かった水野さんに、疎開先のおはさんが精を付けてやりたいと、海で貝をとってきて、玉葱で煮て食べさせてくれた、というお話は、特に心に残っています。また、疎開先まで送ってくれたお父様とのお別れの時の心細さと寂しさ…水野さんの口調というのは、初めて会った方もファンになる、優しく品があり、何とも言えないものですが、親子のつながりを本当に思いました。聞いてくれた小学生たちは、自分たちのお兄さんたちのよう少年が、戦争に行っていたという話に、目を丸くして聞いてくれていました。
話は飛びますが、「疎開」というと私の母の思い出につながります。私が小学生のころ、いかにも都会的な婦人が訪ねてきたことがあります。その婦人は、母の旧姓で母のことを訪ねてきました。始めはよくわからなかったのですが、旧姓で呼んだ理由がすぐわかりました。その婦人は京都市の方で、ここに小学生の時、疎開に来た方だったのです。小学生の母ですからもちろん、旧姓、その時の同学年の友達だったのです。母が出迎えた時、その方は大きな声で母の名前を呼びました。母も嬉しいやら、びっくりするやらで、すぐに「○○ちゃんも、□□ちゃんも近くに住んでいるから、呼んでくる。」といって、みんな揃い、まるでプチ同窓会のようになりました。その時、「疎開」ということが私にとって、本当に身近になったのです。
話を戻して。
さて、先のその水野さんのお話と、疎開の芝居の企画。この疎開の芝居の元になったのは、大阪から子どもたちを疎開に引率してきた、先生の本を参考に書きました。梅澤静子「学童集団疎開同行記」です。この本は歴史に詳しい友人が紹介してくれた本です。奈良はひどい空襲はありませんでした。近い大阪から奈良に疎開に来た様子が描かれています。その本には、終戦となる昭和20年の正月の写真が掲載されています。誰もが良く知る、興福寺に向かう石段のところでの生徒たちの記念写真です。みんな、口をしっかり結んで映っていますが、本の内容は、「学童疎開」の苦労、食べ物のこと、シラミなどで眠れないこと、大阪の空襲で自分たちの学校が燃えたこと…など書いてありました。それを参考に、大阪からの疎開児童の一人が語るというスタイルの一人芝居に書き下ろし、小町座の西村智恵が演じました。(大阪弁に苦労していました)
さて、この一人芝居を放課後教室用に更に短く書き直して、今回演じました。小学校でするのは二回目。当時のことを知ってもらうために、スライドで疎開の様子を見てもらいました。子どもたちは時に茶化したりしてましたが、「低学年の子は小さいから親と一緒だけど、お兄さん、お姉さんとは離れて暮らしていたんだよ」というと、シーンとなりました。
さて、西村さんの一人芝居、これまで見た中で一番、良かったです。放課後教室は、教室のフラットな中で演じるので、境界がないから、どんどん子どもが演じる西村さんに近づいて取り囲みます。ところが、空襲の話になり、効果音も入りちょっとこわい感じになり、西村さんが子どもたちに近づくと、わぁという感じで引いて行ったり…。また、セリフを言う度に「今、平成やで」「わかった、鹿せんべい食べたんや!」など、必ず声が入るという様子、それだけ、セリフについてきてくれて、リアルに反応してくれてるんですが、演じる西村さんは、相手をしたら話がズレるし、それは大変だったと思います。
印象に残ったのは、子どもたちは、ニュースもよく聞いてるのか、日本を横切るロケットの話題を多く口にしました。けれど芝居に出てくる空襲で飛んできたのはアメリカの飛行機…。どの国が飛ばしても武器は武器…。戦争は始まってしまったら、大義がないことは、疎開の記録からも読み取れます。
最後に、戦時中と今の違いを子どもたちに聞きました。昔は「食べ物がない」「着る物が違う」「離れて暮らしている」など。芝居の衣装も当時のように作ったものですから、見た目とセリフで、疎開の子どものことを知ってくれたようです。
また、お互いのことをよく知ること、知っていろんな国の文化に親しむこと、お互いが好きになることが「平和」ってことかなとまとめました。
平和なおかげで私たちは家族一緒に暮らせる…。子どもたちが「ロケット」の話を何度も口にするのを聞きながら、本当に二度と、疎開するような状態にならないように、と思いながらの時間でした。

小町座「お、あるひとへ」報告 ②

2017-07-27 | 小町座
今回は第1部の「きつねものがたり」について。これは2年前の奈良演劇祭プロデュース作品として書いたものです。基本的に中味は大きな変更もなく作りましたが、長姉が小町座のメンバーとなり、三人の芝居のリズムは一からという感じでしょうか。客演の次姉を演じる高橋まこさんは、私の息子、長男と同い年。もちろん、小町座キャストは私より皆若いので、娘というほどでもないですが、けれど、三人が姉妹、といってもそれほど違和感がないのは、芝居の力?!本番、ようやくきつねの姉妹たちに見えました。
三人芝居なので、それぞれのキャラクターの違いが全面に出しながらの戯曲です。長姉はぼんやりしているように見えるけど、実はいろんなことも知っている、ちょっと含みのあるキャラクター。次姉は乱暴でハチャメチャでアナーキーなんだけれども、実は心根が優しく孤独を抱える。主人公の唯一、大きな尻尾が隠せない妹は、いじめられても素直で、ただ「友達」が欲しいと心から思う…。長姉は、単に穏やかでぼおっとという芝居は、ある程度始めから作れるのですが、節々に、何かを抱えている、妹たちの知らないものを、というあたりを出すのを苦労していました。しかも、最後、自分たちを滅ぼすものに大きく立ち向かっていく、最高の強さもいります。温かさと強さ。できたかな?
次姉は美味しい役です。モノローグも多く、詩的な叫びも多い。ただし、体力と感情の持続力と切り替えがいります。高橋さんは若いから?!頑張ってくれました。ただ、高橋さんの良さは、激しさよりも、一人月を見るような孤独なせりふを、詩的に言えるところです。これは持ってうまれた感性もあるでしょう。逆に、弱いのが、絡んだ芝居。主人公の西村さんが、怒りと悲しみをぶつけますが、その受け止めが甘い。人生経験の差が出る?!これからもいろんな学びを続けて良い役者になってほしいと思います。
この戯曲は、2年前、「ベビーメタル」を初めてテレビで見た時の「面白い!!」という気持ちとあの音楽の、なんというか遊んでいるようで批評があり、しかも歌い手の10代の少女独特の記号と情緒の世界があいまった、非常に日本的な感覚、昔、初めて唐十郎の芝居を見た時のような、熱いものというのではないけど、それを新たに翻訳したような、そんな感覚で見ていました。この「ベビメタ」に国語の教科書にも出てくる、私の大好きな新美南吉の「手ぶくろを買いに」の最後の言葉、「人間は本当にいいものかしら」をモチーフに、あっという間に書けた本です。個人的なことになりますが、下の息子が来年、高校卒業となり、これまでの子育ての中から見える、いろんなものがストレートに出た戯曲と感じています。子育てというのは、実は一番、社会全面に関わること。病気になったら、医療のことを、学校に行けば教育のことを、日々の暮らしからは、「食」や「環境」の問題を、一番身近なところで、私たちの社会を反映するところ。書くものとしては、そのリアリティを持ち続けられることは、有り難いなと思いつつも、子どもたちにとっては、ものすごく大変な世の中だなと思います。子どもが「尻尾」を隠さないで生きられたらいいな。芝居の中に「尻尾を見せても驚かない友達」と書きました。以前、自分自身をまま出さず、与えられた「キャラ」を演じることで、学校生活がうまくいくという話を聞きました。本当に私たちの「尾」はどこにあるのでしょうか。
では、三人のキツネ姉妹の熱演写真、ご覧ください。

・これが「きつね」三姉妹!


・きつねの旗を降る次姉。


・「尾」を出してもいい友達の前で。


・全て焼かれてミイラになった長姉と…。

小町座「お、あるひとへ」報告 ①

2017-07-23 | 小町座
皆様、ご来場ありがとうございました。5年ぶりのホール公演、キャストも新メンバーということもあり、またこの5年で新しく出会った方々がいらして下さり、今の小町座の空気を感じました。本当にありがとうございました。とりあえず、写真を少しずつ上げる中で、内容についての話を出来たらなあ、と思います。本日は、第2部の「父のうた 母のうた」より。
林和音さんの舞台美術は、「編みあげた作品」。故に穴があり、この「穴」が光を通し、影を作り、光の色や角度によって、いろんな表情を見せてくれました。また、岡田一郎さんの映像は、それ自体が完成されているので、戯曲の都合で演出するのもどうよ、と思いましたが、「穴」につなげて、「下から上」を見上げるまなざしを、お客様に感じていただけたかと思います。また、最後、海のシーンで、山からの水が海につながる、その「流れ」を岡田さんの映像は見せて下さったと思います。ロボット役の西村さんが、その映像の前で芝居をすると、まるでその流れを遡るようにも見えました。二部の美術はご覧いただいた皆さんも、納得!の舞台と思います。この大きな完成された空間に、母親たち一人ずつ、よくまあ芝居をしたと思います。その時代の違う母達をつなぐ、短歌を読むピン前川さん。過剰な表現のできない、淡々とした、本当に難しい役どころでした。
では、写真から、同じ作品でも光によって違う様子をご覧ください。

・二部オープニング。岡田さんの映像と前川くんの短歌。「たましひは尾にこもるかな草靡く靑草原に夕日しずめる」(前登志夫)


・戦争中の母。穴に逃げた息子を見守る。


・現代の母。姿を消した娘に電話で呼び出された場所。


・未来の母のことを話すロボット。


小町座公演二日前

2017-07-20 | 小町座
今日からホールに入りました。美術の林和音さんが朝一、搬入、設置すると…なんだか、どこでもないスペシャルな空間が立ち上がりました。このアートは、とても光に生えます。とにかく、皆様に見ていただきたい。この芝居を企画した時のイメージが、まま、立ち上がっています。山のような海底のような、内臓のような…何にでも見えます。想像力の余韻があるアートは楽しい。
今日は照明を決めました。光がはいると全然違います。よく知ったスタッフさんで、わがままなプランをよく聞いてくださり、いつも感謝です。
さて、今日はなんとか一度通せましたが、収穫は、先のプログに書いたMさん。前半の芝居、怒りの感情が根底にないなあ、と思っていたら、ぐんぐん良くなり、後半の良かったこと。でも、これまでの公演での定説は、本番前に出来がよいのは、とても心配。なので、一日前の明日には、皆一度、こけた方がいいかも!?今日は、アートに引っ張られ、光の空間に酔い、そのおかげで演技がたちました。
晩ご飯の心配しながら、家の仕事もして、明日も9時に集合。暮らしの中で創造する楽しみ、その渦中にいます。手前味噌ですが、小町座10年、10年続けると、素敵なこともおこるのだな、と本日通して感じました。良いものになりました。是非、ご覧ください!