ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

河東けい・ひとり語り「母」 

2017-05-23 | 演劇
以下は、奈良町にぎわいの家のフェイスブックより。
「5/20、関西を代表する俳優、河東けいさんの一人語り「母」の公演がありました。河東さんは関西芸術座の創立メンバーでもあり、91歳の今も精力的に活動されています。この「母」は、『蟹工船』で有名な作家、小林多喜二の母、セキが子どもたちとの暮らしを語る中で、多喜二の人物像が浮き上がるドラマになっています。この企画は早々に満席となり、キャンセル待ちの方からの「どうしても見たい」という電話も複数いただくような、まさに今の時代にこそ見たいという、皆さんの熱意を感じる公演となりました。河東さんの「母」は、芝居を演じているというよりも、明治、大正、昭和を生き抜いた母の声が、河東さんという存在を通して、立ち上がってくるリアルなものでした。100年を迎えた町家で、その年月に重なる時代を生きた、河東けいさんの声が、力強く、せつなく、かなしみと勇気をもって響きました。(おの)」

今回の企画は、奈良出身で現在は神戸を中心に、子どもの文化活動の企画をされているNPOの代表、飾森千代子さんからのお話でした。河東さんのことは、小さい頃からテレビでおなじみでしたし、関西芸術座は、関西を代表する劇団、原作が三浦綾子(『氷点』『塩狩峠』などの昭和のベストセラー作家ですね、よくテレビドラマで見ました。)、脚本がふじたあさやさん、演者が河東けいさん…とすごいメンバーです。また、多喜二の母のモノローグドラマというのも、今だからこそのメッセッジがある…。
小林多喜二というと悲惨な死のイメージと、『蟹工船』など、プロレタリア文学を代表する作家として、どうしてもイデオロギー色が濃い人物に感じます。実際、共産主義という言葉を標榜した国家的な実践が、ソ連の崩壊と共に全否定されたような印象がありますが、そういった「国家」を背景とするイデオロギーと、昭和の初め、純粋に弱者を助けたいという気持ちから、学びを進めていった若い多喜二たちの個別の、意識とは、違うのではないか、と感じています。実際、このお芝居は、イデオロギーなど関係無い、自らの暮らしの苦しさにもかかわらず、自分たちよりより苦しい立場のものへ心を寄せる、母と多喜二がいました。蛸部屋(今の若い方は馴染みのない言葉かも…)から逃げた労働者をかくまったり、女郎部屋の女性を自立させたり…。芝居で語られたこれらのことは、その人に思想があるから云々ではなく、他人の境遇に共感し、その苦労を自分のものとして抱えることのできる、想像力があるからでしょう。この「想像力」こそが、多喜二に以降の小説を書かせ、また、「ではなぜこのように同じ人間が虐げられているのか」という問いに向かっていったのだと思います。
ふじたあさやさんの戯曲は、大変シンプルで、多喜二の母が当時の暮らしをまま、語っている、そんな本でした。大きな仕掛けもない、母の子育ての暮らしの言葉が続くのです。
この「暮らし」の当時の日常の感覚を、実に見事に河東さんは声にします。1時間半、一人で語られるのですから、大変な体力がいります。大変暑い日でした。汗もふかれ、水も口にされ…ところが、こういった動作が段取りでなく、「母」の流れの中で、演じる呼吸の一つなんですよね。また、台本のページをくる手も、なんだか魔法のように思えました。「演劇」というのは「演じる」のですが、河東さんの長いキャリアの中で、舞台がまるで暮らしの場であるからでしょうか、本当に、見事に、河東けいの「存在」がまま、あるのです。それも自然に。この91歳のたたずまいの素敵さは何でしょう。言葉でいえません。「河東けい」という存在を見よ、そんな感じです。
さて、この「母」は20年以上前に、一人芝居として、「神戸芝居カーニバル」の中島淳さんがプロデュースされたものです。中島さんも奈良に来られ、公演前日、お話する機会がありました。その時、中島さんが言われた言葉が「想像力」。私たちはどんな「想像力」をもって、時代を生きていくのか、「母」の語りを見ながら、今も子供を育てる多くの母たちに、この母の声をと思った公演でした。