梅若玄祥改め、梅若実を襲名された、人間国宝の、能の梅若先生の公演。タイトルにあるように、脚本はベルばら、宝塚歌劇の御大、植田紳爾先生。昨年の12月に国立能楽堂で初演されましたが、今回は大阪サンケイホールでの公演です。
なんと…一番前中央で鑑賞…。皆さんの表情がよく見えます。足元の運びもよく見えるし…。あんまり前で目の置き所が難しいような…けれど、面の表情がこんなによく見えるなんて…。贅沢な時間をいただきました。
子どものころ、ベルサイユのばらのオスカル役の安奈淳にはまり、その公演レコードをすりきれるくらい聞いたものとしては、その脚本、演出の植田紳爾さんが能を作られ、これを見ていることにも不思議な気がします。
舞台の前にプロデューサーの西尾智子先生と植田氏のトークがあり、聞き応えありました。西尾先生は以前にもこのブログで大物キラーと書きましたが、なんというか、ユーモアがあってお話に楽しい彩があります。こうした能のプロデュースを認められ、今年1月に、京都文化功労賞を受賞、納得の受賞です。ほんとに、世界に公演をもっていける女性プロデューサーが関西にいるんですから、希有なことです。
さて、そのトークの中で、植田先生がお話されたことが、大変印象的でした。自身は二歳の時に、満州で父を亡くしている。その父が最期にみたものは何なのかということをよく思う。同じようにマリー・アントワネットが命を絶たれる直前、何を見たのか、それなら「能」になる、と言われました。本当にすごい言葉だなと思いました。また、宝塚は足し算、能は引き算という言葉も、それぞれの舞台の特徴を言い得て妙でしたし、西尾先生のアントワネットの妹に寄せた手紙の朗読もあり、素敵なトークとなりました。
さて、舞台の始めにベルばらファンがびっくりしたのは、宝塚で王妃が歌う「青きドナウの岸辺」(私、全部歌えます…)が、箏と笛で聞こえてきたことでしょう。私もちょっとびっくりしましたが、これはありと思いました。これくらいのわかりやすさがあってよい。そして王妃が愛するフェルゼンの登場となり、能独特の言い回しで「フェルゼン」と言うのですが、このあたりは、本当に難しいものだなと思いました。でも、「フェルゼン」と言わなければ、脚本としてなりたたないのです。こうしたところはストーリーの構成上、やむなしとして、後の流れは梅若先生の舞に集約されるように華やいだ構成でした。
特に目立った?のは「間狂言」の宝塚のOGお二人による花問答です。これは楽しかった。テンポの良さと言葉のきれ。三味線の音色も活き活きとして踊りも華があり、わかりやすく現代的。藤間勘十郎さんの才能を感じました。
そして、マリーの最期を表現する梅若先生の舞…。最期の衣装は長い金髪?!に白い装束。現代アートのようでした。なんというか、ちょっと違った次元の舞のような気がしました。おそらく、私たちはそれぞれにアントワネットが見た景色を、先生の独特の動きというか舞というか、このあたりの微妙なあわいの中で、自身の想像力によって何か「死」のようなものを見ているのだと思いました。これこそが能独特の要素かなと感じています。古希を迎えられた先生ならではの独自の空間、その古希の肉体の上にあるものを、マリーの最期の空間とみるところに、現代能としての矜恃を感じたということでしょうか。
さて、植田先生が望むベルサイユ宮殿での公演も?!西尾先生のパワーできっと実現することでしょう。
なんと…一番前中央で鑑賞…。皆さんの表情がよく見えます。足元の運びもよく見えるし…。あんまり前で目の置き所が難しいような…けれど、面の表情がこんなによく見えるなんて…。贅沢な時間をいただきました。
子どものころ、ベルサイユのばらのオスカル役の安奈淳にはまり、その公演レコードをすりきれるくらい聞いたものとしては、その脚本、演出の植田紳爾さんが能を作られ、これを見ていることにも不思議な気がします。
舞台の前にプロデューサーの西尾智子先生と植田氏のトークがあり、聞き応えありました。西尾先生は以前にもこのブログで大物キラーと書きましたが、なんというか、ユーモアがあってお話に楽しい彩があります。こうした能のプロデュースを認められ、今年1月に、京都文化功労賞を受賞、納得の受賞です。ほんとに、世界に公演をもっていける女性プロデューサーが関西にいるんですから、希有なことです。
さて、そのトークの中で、植田先生がお話されたことが、大変印象的でした。自身は二歳の時に、満州で父を亡くしている。その父が最期にみたものは何なのかということをよく思う。同じようにマリー・アントワネットが命を絶たれる直前、何を見たのか、それなら「能」になる、と言われました。本当にすごい言葉だなと思いました。また、宝塚は足し算、能は引き算という言葉も、それぞれの舞台の特徴を言い得て妙でしたし、西尾先生のアントワネットの妹に寄せた手紙の朗読もあり、素敵なトークとなりました。
さて、舞台の始めにベルばらファンがびっくりしたのは、宝塚で王妃が歌う「青きドナウの岸辺」(私、全部歌えます…)が、箏と笛で聞こえてきたことでしょう。私もちょっとびっくりしましたが、これはありと思いました。これくらいのわかりやすさがあってよい。そして王妃が愛するフェルゼンの登場となり、能独特の言い回しで「フェルゼン」と言うのですが、このあたりは、本当に難しいものだなと思いました。でも、「フェルゼン」と言わなければ、脚本としてなりたたないのです。こうしたところはストーリーの構成上、やむなしとして、後の流れは梅若先生の舞に集約されるように華やいだ構成でした。
特に目立った?のは「間狂言」の宝塚のOGお二人による花問答です。これは楽しかった。テンポの良さと言葉のきれ。三味線の音色も活き活きとして踊りも華があり、わかりやすく現代的。藤間勘十郎さんの才能を感じました。
そして、マリーの最期を表現する梅若先生の舞…。最期の衣装は長い金髪?!に白い装束。現代アートのようでした。なんというか、ちょっと違った次元の舞のような気がしました。おそらく、私たちはそれぞれにアントワネットが見た景色を、先生の独特の動きというか舞というか、このあたりの微妙なあわいの中で、自身の想像力によって何か「死」のようなものを見ているのだと思いました。これこそが能独特の要素かなと感じています。古希を迎えられた先生ならではの独自の空間、その古希の肉体の上にあるものを、マリーの最期の空間とみるところに、現代能としての矜恃を感じたということでしょうか。
さて、植田先生が望むベルサイユ宮殿での公演も?!西尾先生のパワーできっと実現することでしょう。