ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

奈良のお芝居~高校生と大学生の演劇から 「ならのはこぶね」と「モノガタリ」

2018-03-30 | 演劇
①ならのはこぶね(ならまちセンター) 主催 奈良市
 
2016年の12月、東アジア文化都市奈良市イベント、演劇部門として観劇したものの再演です。このブログでも初演の感想を書きました。高校生が作る演劇ということで、初演のメンバーとはもちろん違いますが、戯曲も演出も変わりません。あらかじめ、お話も知っていますし、細かいセリフを今回はよく聞こうと思いましたが、このテンポのセリフの速さに、今回の高校生は苦労していました。セリフが聞き取れない、それは慣れもあるので仕方ないとして、問題は、セリフが全て「記号」に聞こえるところでした。これは生徒さんの問題でなく、演出、演技指導の問題でしょう。規則的に放たれる言葉「平城、平城」を手拍子でリズムをつけ進めていくなど、演出としての方法は良しとして、こういった記号のようなセリフと、気持ちを反映するセリフに、生徒それぞれの個性や気持ちが感じられないのです。もちろん、喜怒哀楽のわかりやすいシーンは、高校生の肉体的な力でカバーできますが、鍵となるセリフがあちこちにあり、それが丁寧につながっていかないので、本来、この芝居の底辺にずっとある「かなしみのようなもの」が全くなくなってしまうのです。、テーマ音楽がチャイコフスキーの「舟歌」なんですが、この曲調こそが、おそらく、この演劇のテーマと演技の全てにつながるラインを持っているのですが、この曲に重なる悲しみが、今回の芝居には全くなかった。昨年の公演には、なんとなく、通奏低音のように、そこはかとない「かなしみ」があった。けれど、今回はテンポよく作ることに終始して、セリフの読み込みが足りなかったように感じました。昨年はまだ「貧窮問答歌」のエッセンスが全体にあったのは確か。加えて昨年は、男の子の参加もあったのですが、今回は女子生徒のため、肝心の「鑑真」が、なんだかよくわからない人物になってしまったようです。歴史をシュプレヒコールするような芝居になりがちでした。戯曲のセリフを演者が、難しいなりにも自分の近くに理解して言うことで、体育的な演劇が、気持ちに馴染むものになると思います。セリフを読み込む時間が少なく、形をつくるのに大変だったのかもしれません。後、え?と思ったのは、初演時に流行った「パーフェクトヒューマン」を初演のまま使用したのはハテナ?でした。高校生の通り過ぎてゆく時間の早さを思えば、今の流行の歌を使ってあげたらどうかなと。再演でこの予算?!があれば、毎年オリジナルが制作できると思うので、是非、奈良市の担当の皆様、奈良の現場へもお声かけ下さい。
それはさておき、力いっぱいの舞台の高校生は前回同様、応援したくなりました。最後、船を漕ぐ最先端の生徒さんの顔、とてもいい顔でした。役者の顔でした。

②「モノガタリ」(シカタラボフタツメ)
2月に奈良町物語館で上演された、奈良県立大学の劇団○スイ(エンスイ)や劇団フジで活動する、四方遼祐くん、作・演出・出演の芝居です。大学の卒論へ向けての取り組みとして、「町家で演劇」がテーマ。出演者は4名。記憶喪失になった四方君が演じる主人公が、なんとなく町家で住みながら、次へ向かっていくという話。四方君の脚本の構造は、極めてオーソドックスなストレートプレイ。時間軸も曲がらないし、ワープもしません。なので誰が見てもよくわかります。わかりやすい芝居が良いか悪いかは好みの問題もありますが、今回は好感が持てました。記憶喪失になる主人公の設定にやや無理があるものの、気持ちの流れに無理がないので、すうっと見れるのです。ここに女性が絡むのですが、どろどろの情緒過多にもならず、普段の暮らしの延長で気持ちが語られます。この芝居の中に「戦争」が出てきました。この設定の必然性にはややハテナとなるものの、町家という、古いものが背負う時間の中に「戦争」があったのは確かで、こうしたところも、作者の視点を感じ、良いなと思いました。
主人公の男性を四方君が演じていますが、今回、なかなかな芝居でしたよ。普通なのです。それが良い。自分の書いたセリフをああいう自然な感じで言えるのはいいなと思いました。(世界一は唐十郎?!)女性キャストは、悪くはないが、皆落ち着きすぎていました。今回は作、演出、主演を四方君が自然体できちんと町家空間に関わったということでしょう。
ただ、脚本の構造が普通なので、空間の使い方も普通にしかならず、物語館が面白く使えたかどうかは疑問。この本なら、この使い方しかないけれど、例えば1箇所だけ、脚本を裏切るようなわけのわからない空間が出現すれば、「演劇」のリアルが町家で見られたかもしれません。