ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

4/1 「令和」

2019-04-01 | その他
万葉集が典拠という新元号「令和」。「令」には、ちょっとびっくりしたというのが正直な感想です。和歌ではなく、初春に梅を言祝ぐ歌の序文からとのこと。「令夫人」という言葉のように、敬称としても「令」は使われます。
一方、テレビから流れる元号の文字「令和」を見ながら、暮らしの中で使う文字としての「令」を考えてみると、「命令」「指令」「号令」「令状」など、上から言い渡されるイメージの言葉がまず思い浮かびます。テレビでも決定した時の映像で、「令和。「命令」の令に「昭和」の和。」と伝えていました。それが一般的な感覚と思います。暮らしの中で、使う言葉が時代に生きる言葉とするなら、こうした「上から言い渡される」意味を持つ「令」が元号の表記にある意味をなんとなく、考えてしまいます。もちろん、談話にもあるように「令」はこのたびは「よい」「美しい」との意のようですが、談話を聞きながら、以前より「美しい日本」と言われていたので、もしかするとその気持ちをまま元号に体現されたのかな、と感じました。
「令」が梅の美しさを言祝ぐものとするなら、「命令」の「令」のように、みんな一緒の美しさを目指すものではもちろん、ないでしょう。金子みすずの「みんな違ってみんないい」のように、それぞれの花の美しさがある、それは談話の後の質問でも述べられていたSMAPの「世界に一つだけの花」にもつながるということかなと思います。
「万葉集」からの出典は短歌の世界に少しでも関わるものとしては嬉しく、願わくば「伝統」が「記号」でなく、暮らしの中にそこはかとなく寄り添い、短歌を詠むこともその延長にあればなあと思います。

平成の時代、陛下のお歌から二首。
平成25年の歌会始(「静」)
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
平成28年の歌会始(「人」)
「戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ」

水俣病で亡くなられた方や戦没者に心を寄せ祈るお歌。その魂が自然とともにあり今も生きているのだと感じられる大きな歌。
こうしたお歌は、市井の私たちにも、何が「伝統」なのかを感じ、考えるヒントを与えてくださいます。「愛と祈り」という伝統が、現代の今に生き、リアリティをもっているという、大いなる励ましです。それは既に「日本」がどうのということでなく、全世界へ向けての祈りではないか、その祈りの最先端に、平成の両陛下はおられたのではないか、お歌を読みながらそのように感じています。
新しい時代の「令」がもたらす、この国の「美しさ」とは…。私たちは大きな宿題をもらったのかもしれません。
浩宮様から流行となった「なるちゃんバスケット」を持ってお出かけしていた世代としては、年令的に一番近しい陛下となります。
「令和」の歌はどんな歌が聞こえてくるでしょう。