10/16、大阪リーガロイヤルホテルで梅若実先生の舞台生活70年の祝賀会が開催され、伺いました。元々は、4月に予定されていたもので、コロナ下で延期されましたが、無事の開催となりました。大きな宴は今年、私も初めてでしたが、リーガロイヤルの行き届いたコロナ対策に安心、美味しい食事も堪能しました。何より、会の全体は、梅若先生の舞台をプロデュースされている、西尾智子先生の心配りが行き届いた、温かいものでした。
司会は桂南光さん。聞き手がリラックスできるユーモアのある語り口。そんなほっとする空気の中、祝宴の鏡開きは名人がズラリ。能の大槻文蔵師、京舞の井上八千代家元、能の小鼓方の大蔵源次郎大蔵流宗家(お三方とも人間国宝)、ベルばらの植田紳爾先生などなど…。中々、お目にかかれない方たちです。
そして、挨拶は観世流宗家、観世清和師。まず観世家と梅若家のえにしを、江戸時代に遡ってお話されました。徳川家康のことをこの間のことのようにお話されるのを聞きながら、能の持つ時間の感覚は現代の普段の暮らしにはない、はるかなものだなと感じました。当時、観世太夫は蟄居の身で、江戸に不在時期があり、梅若家がかわりに勧進能を行っていた、蟄居が解かれ太夫が江戸に戻った折、観世、梅若、両太夫で謡初式(うたいぞめしき)をしたと伝わっている…と宗家を梅若家が支えた歴史に触れ、続き、実玄祥先生のおじい様である、初代実師のお話(明治期、式楽でなくなった能を復興した名人)や、ホール能、新作能など新しいことに挑み続ける、梅若先生へのエールと続きました。そして、宗家は来年の宮中の歌会始のお題が「実」である、まさに「実」イヤーとなりますようにと、締めくくられました。こうしたお話の間に、宗家が幼い頃、稽古をつけてくれた、先代梅若六郎師(実玄祥先生のお父様)の「眉」についてのエピソード、お母様にとても大事にしてもらったことなど、家族の姿がかいまみえる温かいお話に和みました。(最後、梅若先生のお話の中でのお父様は、「私には非情なくらい厳しい稽古を父から受けた」とのことで、芸を極める名人のいろんな顔を、お話から感じました。)
宗家のご挨拶の後は、大槻文蔵師の高砂の発声に始まり、日本舞踊、宝塚の方の歌の披露、チェロの生演奏など、贅沢な時間が続きました。そして、画面には、昨年のパリ公演現代能「マリー・アントワネット」が映し出されます。テレビ番組をダイジェストにしたもので、レポーターは女優の木村多江さん。西尾先生から、パリ公演のことはなんとなく伺っていましたが…この映像を見ながら、なんとももう…胸がつまりました。これは、演じる側と支える側のドラマなんです。この時、梅若先生の移動は車椅子、本当に最悪のコンディションでした。(先生は大病を患って以降の海外公演)舞台袖で梅若先生を送り出す西尾先生は「昨日よりいいですよ。」と声をかけます。いえ、本当はそんなことはないのです。それでも必死に送り出し、舞台上の梅若先生を祈るように見つめる…。舞台が輝くためには、こうした舞台裏の「まなざし」があるということを、観客席はあまり意識しないでしょう。けれど、このパリ公演の番組は、そうして舞台が成り立っているということを、伝えるものでした。マリー・アントワネットの最後の立ち姿は、梅若先生の必死の立ち姿と重なったのではないかと思います。そして、先生は番組中、そのマリーの最期の時間についてこのように語りました。「(死ぬ前のマリーをお世話した人たちがいたということ)アントワネットは一人でないとわかるんだね。そういう人たちがいるので寂しくなかったのではなかったと思う。死ぬことは幸せなことでなくちゃいけない。」
宴会もお開きという時に、なんと素晴らしいサプライズが!先生と能舞台で公演された、あの葉加瀬太郎さんが登場、生演奏を披露。やさしいメロディーが会場を包みました。
会を締めくくる梅若先生の挨拶は以下。「大きな幸運を頂戴しました。六十を過ぎてから、教えていただいた方の大切さ、それを忠実に守れるかということを思っている。私がやっていること(能)は、自分がやっているのでなく、教えていただいたことをしているのです。(略)新作能を始め、今があるのは、西尾智子さんのおかげ。西尾さんは本当に芸術を愛している方、大恩人です。」
なんだかとても幸せな気持ちになって、帰途につきました。舞も音楽も人の声も…豊かな時間を芸術はもたらしてくれます。
この度の祝宴は、梅若先生の芸の大きさ、そして能を主役に様々なジャンルをつなぐプロデューサー西尾先生の大きさを感じました。こうしたつながりが、次世代にもありますように。
司会は桂南光さん。聞き手がリラックスできるユーモアのある語り口。そんなほっとする空気の中、祝宴の鏡開きは名人がズラリ。能の大槻文蔵師、京舞の井上八千代家元、能の小鼓方の大蔵源次郎大蔵流宗家(お三方とも人間国宝)、ベルばらの植田紳爾先生などなど…。中々、お目にかかれない方たちです。
そして、挨拶は観世流宗家、観世清和師。まず観世家と梅若家のえにしを、江戸時代に遡ってお話されました。徳川家康のことをこの間のことのようにお話されるのを聞きながら、能の持つ時間の感覚は現代の普段の暮らしにはない、はるかなものだなと感じました。当時、観世太夫は蟄居の身で、江戸に不在時期があり、梅若家がかわりに勧進能を行っていた、蟄居が解かれ太夫が江戸に戻った折、観世、梅若、両太夫で謡初式(うたいぞめしき)をしたと伝わっている…と宗家を梅若家が支えた歴史に触れ、続き、実玄祥先生のおじい様である、初代実師のお話(明治期、式楽でなくなった能を復興した名人)や、ホール能、新作能など新しいことに挑み続ける、梅若先生へのエールと続きました。そして、宗家は来年の宮中の歌会始のお題が「実」である、まさに「実」イヤーとなりますようにと、締めくくられました。こうしたお話の間に、宗家が幼い頃、稽古をつけてくれた、先代梅若六郎師(実玄祥先生のお父様)の「眉」についてのエピソード、お母様にとても大事にしてもらったことなど、家族の姿がかいまみえる温かいお話に和みました。(最後、梅若先生のお話の中でのお父様は、「私には非情なくらい厳しい稽古を父から受けた」とのことで、芸を極める名人のいろんな顔を、お話から感じました。)
宗家のご挨拶の後は、大槻文蔵師の高砂の発声に始まり、日本舞踊、宝塚の方の歌の披露、チェロの生演奏など、贅沢な時間が続きました。そして、画面には、昨年のパリ公演現代能「マリー・アントワネット」が映し出されます。テレビ番組をダイジェストにしたもので、レポーターは女優の木村多江さん。西尾先生から、パリ公演のことはなんとなく伺っていましたが…この映像を見ながら、なんとももう…胸がつまりました。これは、演じる側と支える側のドラマなんです。この時、梅若先生の移動は車椅子、本当に最悪のコンディションでした。(先生は大病を患って以降の海外公演)舞台袖で梅若先生を送り出す西尾先生は「昨日よりいいですよ。」と声をかけます。いえ、本当はそんなことはないのです。それでも必死に送り出し、舞台上の梅若先生を祈るように見つめる…。舞台が輝くためには、こうした舞台裏の「まなざし」があるということを、観客席はあまり意識しないでしょう。けれど、このパリ公演の番組は、そうして舞台が成り立っているということを、伝えるものでした。マリー・アントワネットの最後の立ち姿は、梅若先生の必死の立ち姿と重なったのではないかと思います。そして、先生は番組中、そのマリーの最期の時間についてこのように語りました。「(死ぬ前のマリーをお世話した人たちがいたということ)アントワネットは一人でないとわかるんだね。そういう人たちがいるので寂しくなかったのではなかったと思う。死ぬことは幸せなことでなくちゃいけない。」
宴会もお開きという時に、なんと素晴らしいサプライズが!先生と能舞台で公演された、あの葉加瀬太郎さんが登場、生演奏を披露。やさしいメロディーが会場を包みました。
会を締めくくる梅若先生の挨拶は以下。「大きな幸運を頂戴しました。六十を過ぎてから、教えていただいた方の大切さ、それを忠実に守れるかということを思っている。私がやっていること(能)は、自分がやっているのでなく、教えていただいたことをしているのです。(略)新作能を始め、今があるのは、西尾智子さんのおかげ。西尾さんは本当に芸術を愛している方、大恩人です。」
なんだかとても幸せな気持ちになって、帰途につきました。舞も音楽も人の声も…豊かな時間を芸術はもたらしてくれます。
この度の祝宴は、梅若先生の芸の大きさ、そして能を主役に様々なジャンルをつなぐプロデューサー西尾先生の大きさを感じました。こうしたつながりが、次世代にもありますように。