ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座次回公演(2024.9.29)への稽古から

2024-07-18 | 演劇
小町座、次回公演は9.29(日)午後二時から、ならまちセンター市民ホールです。なんと無料!(カンパ、歓迎!)
というのも、今回、新作でなく、テーマを「音楽」でくくってのイベントなので、多くの方に是非、見ていだたきたいということもあって。二部構成でのイベントです。
第一部は演劇「少年万博物語」→昨年公演で大好評の演目。70年代万博前後の歌謡曲満載の芝居を新たなメンバーで再演します。懐かしい音楽、必聴!
第二部は、これまで小町座の音楽の作曲家でもある、小宮ミカさんのピアノ演奏に、歌は、フサイフォンさちこさん(関西を中心にライブ活動を親子でされていて、明るくのびやかな歌声!)そこに、これまでの演劇やラジオドラマを、生演奏しながら振り返るというもの。小西さくら通り商店街で流れて10年になる「ならうたものがたり」も披露しますので、皆さん、一緒に口ずさんでいただけたら。

それで今日も第一部の芝居を稽古しましたが、今日は、主人公、博の姉の芝居に関して、私自身が言ったことが、役者さんにはやや、抽象的だなと思ったので、整理するつもりで書きます。
以下、ややネタバレありですが、この芝居は、1971年の地方の農家の家族の話で、中学卒業した主人公の姉は、進学を諦めて大阪の工場に勤めるというところで終わります。弟である主人公が、姉を見送りに大阪までついていくのですが、その時の二人のシーンでの姉が、やや明るすぎたので、私は「この時の姉は、太陽でなくて、月の光の方。」という抽象的な言葉で伝えました。弟と別れる前の姉の明るさは、家族に心配をかけたくないがゆえに、明るいことは必須なんだけど、それだけではない。「どうかみんな無事で。」という切実な祈りもあるでしょう。このあたりの姉の透明感は、太陽の明るさでなく、「月」の青い光なんです。しかし、では、これをどう芝居に反映するかというと、とても難しい。
これは表情の問題もある。弟に明るい顔を見せつつも、どこかでふと、自分の将来を空の色にみるような。不安はあるが、暗いというだけでない。一人でいる、一人で立つことの、本質的な孤独が、そこはかとなく、立ち姿や表情に出るというか…。
ということを思いながら、今、関わってくれている若いメンバーにとって、半世紀前の農家の現実が、果たしてリアルかというと、そうではないだろうな、とか考えていました。
けれど、演じるということは、時代背景を客観的に知識として入れつつ、今の時間にリアルに立たなければならない。
演劇のマジック=魔法は、二度と見られない過去が、今、生きている人間によって蘇ることでもあり、それが「再現」でないところに意味がある。
過去を知らない私たちが、過去の人間のリアルを、今、命のある者が舞台にあげることで、私は、かつて必死に生きた人たちの「供養」になるような気がしてくるんです。
え?舞台が「供養」?なんておかしいけれど、どう考えても長い歴史の中で、名もなく生きてきた人がほとんどで、それはもう、ただただ、日々の暮らしを続けることに必死で…昔の農家の女性たちは、さてどうだったか、と振り返ると、今の私たちには想像もつかない暮らしだったでしょう。けれど、そういう人たちの上に、私たちの「今」が立っていると思うのはなぜでしょう。それが親だとか、親戚だとか関係ない、遠いところの人たちも含めて全部。

見たこともないかつての人に、なぜ、そのように思うのか…。ちょっと話題が外れますが、例えば、戦後、現憲法の下で、男女平等や言論の自由が当たり前のようになっているけれど、ここに来るまでに、そんな自由や権利を求めて声を上げて亡くなった先人がどれだけいただろうか、ということをいつもなんとなく思っている自分がいます。つまり、そうした人たちの屍があって、私たちは当たり前のように、「自由と権利」享受しているということになるでしょうか。言論の自由も平等も、「人間」が考え、思考し続け、行動をおこしてきたゆえにもたらされたものであり、簡単に得られたものではない。私たちが健やかで平和に生きられている背景に、「過去」を生きた人の声が必ずあると思うと、それを今、物語や演劇で語れたなら、なんだか「供養」になるように思うのです。

演劇に関わっていると、過去の人はどう生きたのか、どう感じたのかが、気になります。一方、セリフに書く以上に、過去の人間を「今」の人間が演じることは、難しいことです。ただ、喜怒哀楽、孤独や寂しさなど、感情は頼りになります。喉が渇いたら水がのみたい。これは過去も現在でも同じです。こうした肉体のリアルから、過去の人間を追求していくのは確かなことと考えます。生身の肉体に基づくリアルがあるからこそ、今の人間も昔の人に近付けるんでしょう。もちろん、背景を知ることは大切です。そのヒントに以下の写真を。
この写真を昔見た時の感覚は、今でも強烈です。



写真家、南良和の「21歳の嫁の手」。撮影が1963年とあり、今回の芝居の年代の8年前なんですが、高度経済成長の一方で、地方の農家はこのような若い嫁の手が日々の生活を支えていたのですから。
歴史の長い時間の中では、この手こそが、大多数だつたことでしょう。私は1900年、明治生まれの祖母が好きだったので、農家ではないのですが、手仕事が全てだった時代なので、同じように苦労した手をしていました。こうした手に「よく頑張ったね」と言いたい自分がいて、それが芝居を書く時に出てくるようです。
この手の苦労とは違うけれど、進学を諦めて、家のために働くということを、自分の役割として人生を前に進めてきた多くの若者もいたことでしょう。芝居の中の、まず親や弟妹のことを考える姉は、弟と別れる時、青い空の明るさと、闇夜の月の清かな透明な光を同時に見つつ、自分の暮らしを進めていくのだろうな…稽古場の二人を見つつ、そう思いました。

というわけで、役者論なのか、芝居を書くことの理由なのか、なんだかよくわからない文になりましたが、最後は、稽古を始めたころに、キャストの一人がくれたメールでしめたいと思います。
「私という肉体を通して、見ている方とお芝居の中の人物が共感やリンク出来れば良いなぁと思ってます。で、願わくば、見てる方が少しだけでも心動いてくれたら嬉しいなぁという気持ちでいます。」
キャスト四人、半世紀前の家族を作り上げていっています。二か月先の公演、ぜひとも、ご覧ください!







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