日本劇作家協会では、デジタルアーカイブ事業として、一昨年より、所属会員の作品を広く読んでもらえるようにしています。
私の作品は「きつねものがたり」に続き、この度、「十六歳」が掲載されました。
どちらも、十代の少女の物語です。2011年と2022年に小町座で上演した二人芝居です。
「十六歳」に関しては、このブログでも既に紹介していますが、元々、2001年のアメリカ同時多発テロが起きた時に、第一稿を書いたものです。
あれから20年以上たち、ウクライナでの戦争は続き、また、昨年からはパレスチナでの紛争が激化。
世界史で学んだ近代の歴史の困難な問題が、21世紀に続いています。
技術は時を積み重ねて脅威に感じるくらい進歩しても、人間は生まれて死ぬわけで、一から全てを学ばなければならず、何も積み重なっていかないということを、戦争のニュースから感じています。けれど、なぜこうなっているのかを学ぶことから始めるしかないと感じています。
私は子どもの時からのマンガ世代で、マンガから多くを学びました。「ベルサイユのばら」からフランス革命、「オルフェイスの窓」からロシア革命、この二つは池田理代子の作品ですが、20代で描いてるんですから、すごいとしかいいようがないです。こうした歴史の輪郭を優れたマンガから知り、興味を持てば専門書へという流れが、私のマンガ体験でした。
さて、現在のパレスチナ問題には、あの砂漠の英雄と言われた「アラビアのロレンス」が大きく関わっています。世界史を学ぶ中で興味を持ちましたが、40年前に出版された、神坂智子のマンガ「T.E.ロレンス」がありますが、当時、既に見ていた壮大なロレンスの映画とはまた違って、妙に共感したのを思い出します。ロレンスは作られた英雄で、本人の苦悩たるや…。植民地の時代の闇は深いです。この本はもちろん、フィクションですが、ロレンスが英国のスパイであり、しかし、アラブの文化をリスペクトする考古学者でもあり、という二重構造が描かれ、国家に翻弄される人物として描かれていました。このロレンスの苦悩が現在まで続いているのですから。
しかしまた、21世紀は同様に、新たな植民地的支配が加速しようとしているのかも。経済的な戦争、資源争奪戦…豊かな国が経済力を背景に、他国に干渉する…。資源のない日本はどうするのか、何ができるのか…。持たないものは「学ぶ」ことがキーワードにならないでしょうか。人を育てる、豊かな「教育」が手がかりになるのでは…。公的な教育以外にも、様々な場所で知り学ぶ機会があるでしょう。演劇も、そうした「知り、考え、学ぶ」世界への窓の一つになればいいなと願っています。
「十六歳」は特に歴史について語っていませんし、私は歴史の専門家でもありませんが、どうして、アメリカ的なものとイスラム的なものが対立しなければならないのか、という素朴な問いから始まったものです。同じ十六歳、しかし、育ちも立場も違った二人が出会った時、どうなるのか…。そこからドラマは始まります。よろしければ、ご一読ください。(以下の画面をクリック)
(残念ながら、現在はどうも品切れのようです…)
私の作品は「きつねものがたり」に続き、この度、「十六歳」が掲載されました。
どちらも、十代の少女の物語です。2011年と2022年に小町座で上演した二人芝居です。
「十六歳」に関しては、このブログでも既に紹介していますが、元々、2001年のアメリカ同時多発テロが起きた時に、第一稿を書いたものです。
あれから20年以上たち、ウクライナでの戦争は続き、また、昨年からはパレスチナでの紛争が激化。
世界史で学んだ近代の歴史の困難な問題が、21世紀に続いています。
技術は時を積み重ねて脅威に感じるくらい進歩しても、人間は生まれて死ぬわけで、一から全てを学ばなければならず、何も積み重なっていかないということを、戦争のニュースから感じています。けれど、なぜこうなっているのかを学ぶことから始めるしかないと感じています。
私は子どもの時からのマンガ世代で、マンガから多くを学びました。「ベルサイユのばら」からフランス革命、「オルフェイスの窓」からロシア革命、この二つは池田理代子の作品ですが、20代で描いてるんですから、すごいとしかいいようがないです。こうした歴史の輪郭を優れたマンガから知り、興味を持てば専門書へという流れが、私のマンガ体験でした。
さて、現在のパレスチナ問題には、あの砂漠の英雄と言われた「アラビアのロレンス」が大きく関わっています。世界史を学ぶ中で興味を持ちましたが、40年前に出版された、神坂智子のマンガ「T.E.ロレンス」がありますが、当時、既に見ていた壮大なロレンスの映画とはまた違って、妙に共感したのを思い出します。ロレンスは作られた英雄で、本人の苦悩たるや…。植民地の時代の闇は深いです。この本はもちろん、フィクションですが、ロレンスが英国のスパイであり、しかし、アラブの文化をリスペクトする考古学者でもあり、という二重構造が描かれ、国家に翻弄される人物として描かれていました。このロレンスの苦悩が現在まで続いているのですから。
しかしまた、21世紀は同様に、新たな植民地的支配が加速しようとしているのかも。経済的な戦争、資源争奪戦…豊かな国が経済力を背景に、他国に干渉する…。資源のない日本はどうするのか、何ができるのか…。持たないものは「学ぶ」ことがキーワードにならないでしょうか。人を育てる、豊かな「教育」が手がかりになるのでは…。公的な教育以外にも、様々な場所で知り学ぶ機会があるでしょう。演劇も、そうした「知り、考え、学ぶ」世界への窓の一つになればいいなと願っています。
「十六歳」は特に歴史について語っていませんし、私は歴史の専門家でもありませんが、どうして、アメリカ的なものとイスラム的なものが対立しなければならないのか、という素朴な問いから始まったものです。同じ十六歳、しかし、育ちも立場も違った二人が出会った時、どうなるのか…。そこからドラマは始まります。よろしければ、ご一読ください。(以下の画面をクリック)
(残念ながら、現在はどうも品切れのようです…)