中野 宝仙寺 節分会 三重塔前での豆まき 2012年2月3日 16:30~
年男の僧兵 警視庁マスコットピーポくんと宝仙学園職員の方々が諸厄を払い福を招き豆まきを!
皆々から歓声があがった豆まきが終わり
僧兵行列 柴燈護摩供 豆まき 節分会儀式が無事遂行し・・・
宝仙寺 節分会を終え、福豆を家路へとー。
2月3日:節分会(せつぶんえ) 宝仙寺 HP
年男の僧兵 警視庁マスコットピーポくんと宝仙学園職員の方々が諸厄を払い福を招き豆まきを!
皆々から歓声があがった豆まきが終わり
僧兵行列 柴燈護摩供 豆まき 節分会儀式が無事遂行し・・・
宝仙寺 節分会を終え、福豆を家路へとー。
2月3日:節分会(せつぶんえ) 宝仙寺 HP
宝仙寺 節分会 僧兵行列と豆まき 20012年2月3日 15:30から
青梅街道沿いを宝仙寺に向かう僧兵行列
ご繁栄を祈願して柴燈(さいとう)護摩供
金剛智水(こんごうちすい)を呈上
2月3日:節分会(せつぶんえ) 宝仙寺 HP
追加写真 クリックで拡大
青梅街道沿いから宝仙寺へ
宝仙寺山門から境内へ
柴燈護摩供中
柴燈護摩供中ではやんちゃな子供たちを婦警がお相手・・・
儀式が終わり本堂へ
青梅街道沿いを宝仙寺に向かう僧兵行列
ご繁栄を祈願して柴燈(さいとう)護摩供
金剛智水(こんごうちすい)を呈上
2月3日:節分会(せつぶんえ) 宝仙寺 HP
追加写真 クリックで拡大
青梅街道沿いから宝仙寺へ
宝仙寺山門から境内へ
柴燈護摩供中
柴燈護摩供中ではやんちゃな子供たちを婦警がお相手・・・
儀式が終わり本堂へ
堀之内 やくよけ祖師 おそっさん 妙法寺 正月三が日 2009
旧妙法寺道に住んでいながら初めて正月三が日に参詣に参りました。
境内の鐘も厄払いに力を込め強く打って来ました。
昨年の禍と本年最初のデジカメ紛失厄払いを込め!
仁王門
参道のほのぼのとした正月縁日風景
懐かしい射的、輪投げで遊ぶ・・・・ 名物 揚げ饅頭 も人の列が・・・熱熱が甘い
妙法寺の正月三が日の幻想的な一風景 参拝は正月二日午後
旧妙法寺道に住んでいながら初めて正月三が日に参詣に参りました。
境内の鐘も厄払いに力を込め強く打って来ました。
昨年の禍と本年最初のデジカメ紛失厄払いを込め!
仁王門
参道のほのぼのとした正月縁日風景
懐かしい射的、輪投げで遊ぶ・・・・ 名物 揚げ饅頭 も人の列が・・・熱熱が甘い
妙法寺の正月三が日の幻想的な一風景 参拝は正月二日午後
中野 本郷氷川神社祭礼 本当に狭い参道から鳥居に集う氏子たち
バベルの神社のごとき世界各国から人々が集い色々な言葉が飛び交っています!!
境内でのお祭りを祝う氏子たち
参詣道に本祭礼の成功に驚喜する氏子たち 町内の御神輿の担ぎ手 宮里の氏子たち
お断り: 携帯電話写真で画像があまいですが、
中野新橋・鍋横の地元お祭りの記録として掲載させて戴きます。
バベルの神社のごとき世界各国から人々が集い色々な言葉が飛び交っています!!
境内でのお祭りを祝う氏子たち
参詣道に本祭礼の成功に驚喜する氏子たち 町内の御神輿の担ぎ手 宮里の氏子たち
お断り: 携帯電話写真で画像があまいですが、
中野新橋・鍋横の地元お祭りの記録として掲載させて戴きます。
本郷氷川神社お祭り 掛け声よろしく 御神輿が練り歩いて・・・ 16時半ごろ 旧妙法寺道で
若い人が多い御神輿の担ぎ手に未来をみる
担ぎ手の中には外国の人も・・・ 旧妙法寺道から曲り脇道に入る
旧妙法寺道から本郷氷川神社へ向かう御神輿
若い人が多い御神輿の担ぎ手に未来をみる
担ぎ手の中には外国の人も・・・ 旧妙法寺道から曲り脇道に入る
旧妙法寺道から本郷氷川神社へ向かう御神輿
今日は、本郷氷川神社お祭りでした・・・・ つい先ほど 二時半頃
いつもは9月15日(旧敬老の日)の前後のお休みの日と思っていましたのでー 何事かと
お祭りの威勢のいい掛け声と太鼓の音で家を飛び出しましたら、
可愛いい子供御神輿でした!
歴史ある路 妙法寺道を子供御神輿がとおる・・・・
いつもは9月15日(旧敬老の日)の前後のお休みの日と思っていましたのでー 何事かと
お祭りの威勢のいい掛け声と太鼓の音で家を飛び出しましたら、
可愛いい子供御神輿でした!
歴史ある路 妙法寺道を子供御神輿がとおる・・・・
一天四海 妙法に帰す 高僧の心もち・・・民の平安を見守り願い
ありがたい”福豆”を戴きにならぶ多くの人々
厄除けのお祖師様に平穏無事をお願いする 老若男女
堀之内 日円山妙法寺 節分 豆まき 2007年 2月3日 午後1時からの様子
山門の右と左の金剛力士さん(仁王様)が「あ・うん」の呼吸で妙法寺をお守りしている
なお節分会には、堀之内の厄除けのお祖師様と落語「堀之内」でも話され有名故か
『奉納落語』が行われたそうです・・・が残念ながら聞きいけませんでした。
以前一度聞きに行きましたので、後々ほどお伝えします・・・・・・
堀之内 妙法寺 HP
ありがたい”福豆”を戴きにならぶ多くの人々
厄除けのお祖師様に平穏無事をお願いする 老若男女
堀之内 日円山妙法寺 節分 豆まき 2007年 2月3日 午後1時からの様子
山門の右と左の金剛力士さん(仁王様)が「あ・うん」の呼吸で妙法寺をお守りしている
なお節分会には、堀之内の厄除けのお祖師様と落語「堀之内」でも話され有名故か
『奉納落語』が行われたそうです・・・が残念ながら聞きいけませんでした。
以前一度聞きに行きましたので、後々ほどお伝えします・・・・・・
堀之内 妙法寺 HP
堀之内 日円山妙法寺 節分 豆まき 2007年 2月3日 午後1時からの様子
この日蓮宗 妙法寺では
鬼も法華経により改心した為祖師堂は鬼が守り ”福は内”だけでした・・・・
この日は、地元 東京8区(杉並区)選出の石原伸晃衆議院議員も来られていました。
地元の伝統行事に参加することは、市民の代表者として国会に行ってる者としては
良き心がけだと思いました。
この日蓮宗 妙法寺では
鬼も法華経により改心した為祖師堂は鬼が守り ”福は内”だけでした・・・・
この日は、地元 東京8区(杉並区)選出の石原伸晃衆議院議員も来られていました。
地元の伝統行事に参加することは、市民の代表者として国会に行ってる者としては
良き心がけだと思いました。
Once upon a time 鍋屋横丁は中野銀座と呼ばれていたそうです!
・・・・と隣のおじさんが話してくれました。
五月晴れの日、家前で久々の花の手入れをしていましたら、更に久々に隣のおじさんと話す機会がありました。
話は、今立っている家前の一通、一方通行の狭いこの道です。
この道は、歴史由緒ある道であって、以前は商店街が連なっていた道だと教えてくれました。日常品はすべて揃い、銭湯もこの近くに三、四件もあったり、更に町医者医院も四、五件もあったりし栄えていた商店街だったそうです。
確かに、古い家を見ると一風違った家並みが見られ、関心がありましたが、つい遠くをみて足元を見忘れていました・・・・・。
こんな面白い、町だったと地元おじいさんの話で思い知らされました!
ちなみに当時、鍋屋横丁は中野駅周辺より賑わい栄え、夜には露天が建ち並び毎夜お祭のようであったとの事です。
また、映画館、レストランなどもあった一大エンターテイメントエリアだたそうです。
・・・でこの道は、
江戸時代から池上本門寺と並ぶ日蓮宗の名刹として、古くから多くの人の信仰を
あつめてきました堀之内の厄除けのお祖師様と呼ばれて痛そうです。
堀の内 日円山 妙法寺 への参詣道の一端で栄えていた商店街 由緒ある処だったそうです。
有名な落語に「堀の内」があり、誰もが知っている滑稽本「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九さんの「誹語堀之内詣」にも書かれているそうです。
実際には、青梅街道から鍋横に入り、お題目石と呼ばれています道標を曲がり、参詣道に入るのが一般的なのでしょうが、この家前の道はその参詣道に繋がっている道だったので、中野新橋通りから先に入ってくる参詣者で繁栄していたのかもしれません・・・・。
こんな面白い話を知らないとは、灯台下暗しとはこの私の事でした・・・・・。
古今亭志ん朝さんの落語「堀之内」に、
この妙法寺 参詣道の賑わいの様子が見受けられます・・・
「あ、そうか。鍋屋横町、鍋屋横町ね。え、なんみょうほうれんげえきょう、なんみょ
うほうれんげえきょう、え(唱え調子で)鍋屋横町鍋屋横町・・・、この辺で聞いてみよう。
ちょいとうかがいァすがなァ、鍋屋横町ってのァこの辺ですか?(うなずかれ)あァ、
そうですか、ヘイ、どうもありがとァンす。え、(若干唱え調子を残し)ここを曲がァれと、
そう言ったな。えェー・・・、あ、いるいるいるいるいる。
ええ?みんなでもってドンブクドンブク叩きながら、ええ?
お題目唱えてお詣りに行くんだな、この人たち・あァ、ここんところかな、
ありがてェ、ありがてェ、ここ行きゃいいんだな、なんみょうほうれんげえきょう、
なんみょうほうれんげえきょう、お、お、お、お、ありがてェありがてェ、え?
お堂が見えてきた、お堂が。な! あァ、やっと着いたぞ。
この人にちょいと確かめてみよう。えー少々うかがいますがなァ。
ええー、堀の内の御祖師様ってのァここですか」
「(渋く落ち着いた声で)はいはい、いかにもここが祖師堂ですよ」
「志ん朝の落語 4」 ちくま文庫版から
こんな様で当時の賑わいのある様子が目に浮かびます・・・・。
今度、時間をみてこの日円山妙法寺 参詣道を調べてみたいと思います。
近所には、今では珍しい薪で大釜戸を焚きながら大豆を煮て造る美味しい御豆腐屋さんもあったりして、楽しい処を紹介できたならと思います。
このご縁も、高遠の絵島さんの御慈悲かな・・・・
日円山 妙法寺 公式HP
日円山 妙法寺 高円寺寺社史跡マップから
お題目石 中野区HPから
落語「堀之内」の舞台を歩く
落語 堀の内(ほりのうち)あらすじ 千字寄席から
・・・・と隣のおじさんが話してくれました。
五月晴れの日、家前で久々の花の手入れをしていましたら、更に久々に隣のおじさんと話す機会がありました。
話は、今立っている家前の一通、一方通行の狭いこの道です。
この道は、歴史由緒ある道であって、以前は商店街が連なっていた道だと教えてくれました。日常品はすべて揃い、銭湯もこの近くに三、四件もあったり、更に町医者医院も四、五件もあったりし栄えていた商店街だったそうです。
確かに、古い家を見ると一風違った家並みが見られ、関心がありましたが、つい遠くをみて足元を見忘れていました・・・・・。
こんな面白い、町だったと地元おじいさんの話で思い知らされました!
ちなみに当時、鍋屋横丁は中野駅周辺より賑わい栄え、夜には露天が建ち並び毎夜お祭のようであったとの事です。
また、映画館、レストランなどもあった一大エンターテイメントエリアだたそうです。
・・・でこの道は、
江戸時代から池上本門寺と並ぶ日蓮宗の名刹として、古くから多くの人の信仰を
あつめてきました堀之内の厄除けのお祖師様と呼ばれて痛そうです。
堀の内 日円山 妙法寺 への参詣道の一端で栄えていた商店街 由緒ある処だったそうです。
有名な落語に「堀の内」があり、誰もが知っている滑稽本「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九さんの「誹語堀之内詣」にも書かれているそうです。
実際には、青梅街道から鍋横に入り、お題目石と呼ばれています道標を曲がり、参詣道に入るのが一般的なのでしょうが、この家前の道はその参詣道に繋がっている道だったので、中野新橋通りから先に入ってくる参詣者で繁栄していたのかもしれません・・・・。
こんな面白い話を知らないとは、灯台下暗しとはこの私の事でした・・・・・。
古今亭志ん朝さんの落語「堀之内」に、
この妙法寺 参詣道の賑わいの様子が見受けられます・・・
「あ、そうか。鍋屋横町、鍋屋横町ね。え、なんみょうほうれんげえきょう、なんみょ
うほうれんげえきょう、え(唱え調子で)鍋屋横町鍋屋横町・・・、この辺で聞いてみよう。
ちょいとうかがいァすがなァ、鍋屋横町ってのァこの辺ですか?(うなずかれ)あァ、
そうですか、ヘイ、どうもありがとァンす。え、(若干唱え調子を残し)ここを曲がァれと、
そう言ったな。えェー・・・、あ、いるいるいるいるいる。
ええ?みんなでもってドンブクドンブク叩きながら、ええ?
お題目唱えてお詣りに行くんだな、この人たち・あァ、ここんところかな、
ありがてェ、ありがてェ、ここ行きゃいいんだな、なんみょうほうれんげえきょう、
なんみょうほうれんげえきょう、お、お、お、お、ありがてェありがてェ、え?
お堂が見えてきた、お堂が。な! あァ、やっと着いたぞ。
この人にちょいと確かめてみよう。えー少々うかがいますがなァ。
ええー、堀の内の御祖師様ってのァここですか」
「(渋く落ち着いた声で)はいはい、いかにもここが祖師堂ですよ」
「志ん朝の落語 4」 ちくま文庫版から
こんな様で当時の賑わいのある様子が目に浮かびます・・・・。
今度、時間をみてこの日円山妙法寺 参詣道を調べてみたいと思います。
近所には、今では珍しい薪で大釜戸を焚きながら大豆を煮て造る美味しい御豆腐屋さんもあったりして、楽しい処を紹介できたならと思います。
このご縁も、高遠の絵島さんの御慈悲かな・・・・
日円山 妙法寺 公式HP
日円山 妙法寺 高円寺寺社史跡マップから
お題目石 中野区HPから
落語「堀之内」の舞台を歩く
落語 堀の内(ほりのうち)あらすじ 千字寄席から