羽村市郷土博物館 多摩川右岸沿い歩道 桜観しながらのウォーキング中の人々
残念ながら羽村からは大菩薩峠は見る事が出来ません・・・。近くて高い山でも浅間山(235m)ですー
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この地点、海から54キロだそうです
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赤門に咲く桜
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地元の方も・・・・
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赤門と桜
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羽村市郷土博物館の桜
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介山さんは、玉川上水の取水堰にほど近い多摩川畔の水車小屋で生まれたと伝えられています、
幼年遊びに行った時は、こんな風景を見ていたのでしょうか・・・・
写真は右岸から この先は江戸方面
河川敷写真手前の物は、昔からある伝統的河川工法の牛枠(うしわく)=川倉
まだ禅林寺の介山さんのお墓参り、また浅間山(235m)からの眺望も確認していませんので・・・
まだまだ続く予定ー ???
BLOGを整理していましたけっこう草稿のまま忘れられていた記事がありましたので今年中にUP整理したいと思います・・・。しかし予定は未定ですのでー
UP日時は整理できUPした日時に一旦しておき、今年の末にこの下にある記事を書いた日に変更移動したいと思います。
2013-12-29 04:00:02 UP
残念ながら羽村からは大菩薩峠は見る事が出来ません・・・。近くて高い山でも浅間山(235m)ですー
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この地点、海から54キロだそうです
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赤門に咲く桜
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地元の方も・・・・
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赤門と桜
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羽村市郷土博物館の桜
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介山さんは、玉川上水の取水堰にほど近い多摩川畔の水車小屋で生まれたと伝えられています、
幼年遊びに行った時は、こんな風景を見ていたのでしょうか・・・・
写真は右岸から この先は江戸方面
河川敷写真手前の物は、昔からある伝統的河川工法の牛枠(うしわく)=川倉
まだ禅林寺の介山さんのお墓参り、また浅間山(235m)からの眺望も確認していませんので・・・
まだまだ続く予定ー ???
UP日時は整理できUPした日時に一旦しておき、今年の末にこの下にある記事を書いた日に変更移動したいと思います。
2013-12-29 04:00:02 UP
先日、桜散策で羽村に行きました。
そして、桜咲く多摩川右岸にあります羽村市郷土博物館で中里介山資料コーナー
「中里介山の世界」を見てきました。介山さんに関する主に羽村関係資料展示は充実してました。
また野外には中里介山さんが「大菩薩峠記念館」の門にしていたというこの赤門が建っていました。
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赤門の前に建っている石仏
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赤門の前に建ってい五輪塔
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枝垂れ桜 三春の滝桜
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赤門 説明板
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多摩川右岸沿い歩道から 赤門は内側
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石碑? 墓石?
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まだ八分咲き 蕾の桜 介山さんは1885年(明治18年)4月4日生まれですので、
誕生日にはこのような桜を観ていたのでしょうか・・・
ちなみに亡くなったのは1944年(昭和19年)4月28日(59歳)で、桜が散っ後になります。
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介山さんは全くの”春”男だったようです。この亡くなる様子は、歴史博物館発行紀要 第八号
「特集 中里介山」(定価二百円)ー 聞き書き 女性からみた介山先生ー櫻沢ヒサさん談 ーの中で
詳しくその様子が語られています。櫻沢さんはご主人と共に、晩年の介山さんの農業担当を担ってくれてた人物です。
写真は、夕日の多摩川 画面左の桜杜は羽村市郷土博物館
そして、桜咲く多摩川右岸にあります羽村市郷土博物館で中里介山資料コーナー
「中里介山の世界」を見てきました。介山さんに関する主に羽村関係資料展示は充実してました。
また野外には中里介山さんが「大菩薩峠記念館」の門にしていたというこの赤門が建っていました。
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赤門の前に建っている石仏
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赤門の前に建ってい五輪塔
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枝垂れ桜 三春の滝桜
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赤門 説明板
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多摩川右岸沿い歩道から 赤門は内側
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石碑? 墓石?
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まだ八分咲き 蕾の桜 介山さんは1885年(明治18年)4月4日生まれですので、
誕生日にはこのような桜を観ていたのでしょうか・・・
ちなみに亡くなったのは1944年(昭和19年)4月28日(59歳)で、桜が散っ後になります。
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介山さんは全くの”春”男だったようです。この亡くなる様子は、歴史博物館発行紀要 第八号
「特集 中里介山」(定価二百円)ー 聞き書き 女性からみた介山先生ー櫻沢ヒサさん談 ーの中で
詳しくその様子が語られています。櫻沢さんはご主人と共に、晩年の介山さんの農業担当を担ってくれてた人物です。
写真は、夕日の多摩川 画面左の桜杜は羽村市郷土博物館
現 大菩薩峠 介山荘上近くにある小説大菩薩峠文学碑 昭和29年10月23日建立
台石「上求菩薩下化衆生」(上に菩薩を求め、下に衆生を化す)
上求菩薩とは、悟りを求めて厳しい修行に励むこと
下化衆生とは、慈悲を持って他の衆生に救済の手を差し伸べることだそうです。
(写真画像 クリックで拡大)
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碑面
「名作発想の地 中里介山作 大菩薩峠記念碑」
文学記念碑と隣に立っている「祝三界万霊塔建立」碑
三界とは、生まれ、また死んで往来する世界であり
欲界・色界・無色界の三つの世界のことだそうで、
万霊とは、ありとあらゆる精霊の亊だそうで
鳥や獣までを含む全ての精霊を合祀し供養をするありがたい塔だそうです。
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文学記念碑から
現 大菩薩峠 介山荘方面を見る。
文学記念碑から甲府市方面を見る。
トレッキング中の三人の女性は”この下り坂歩き難いー。
団子坂みたい、いつも工事していてこんなー。歩き難いー”
と楽しそうに嘆き話しながら、一気に下って行きましたがー。
思わず下りながらのその会話聞き耳し、笑ってしまいました。
東京から来たようで、千駄木の団子坂のようです・・・。
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文学記念碑から
親不知ノ頭・賽の河原・大菩薩嶺方面は、
急坂で岩が突き出ているはゴロゴロしているはで大変です!
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上求菩薩とは、悟りを求めて厳しい修行に励むこと
下化衆生とは、慈悲を持って他の衆生に救済の手を差し伸べることだそうです。
(写真画像 クリックで拡大)
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碑面
「名作発想の地 中里介山作 大菩薩峠記念碑」
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三界とは、生まれ、また死んで往来する世界であり
欲界・色界・無色界の三つの世界のことだそうで、
万霊とは、ありとあらゆる精霊の亊だそうで
鳥や獣までを含む全ての精霊を合祀し供養をするありがたい塔だそうです。
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文学記念碑から
現 大菩薩峠 介山荘方面を見る。
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トレッキング中の三人の女性は”この下り坂歩き難いー。
団子坂みたい、いつも工事していてこんなー。歩き難いー”
と楽しそうに嘆き話しながら、一気に下って行きましたがー。
思わず下りながらのその会話聞き耳し、笑ってしまいました。
東京から来たようで、千駄木の団子坂のようです・・・。
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文学記念碑から
親不知ノ頭・賽の河原・大菩薩嶺方面は、
急坂で岩が突き出ているはゴロゴロしているはで大変です!
大菩薩嶺向かう途中、この雷岩から見えた流れる大雲から射す陽の処 大菩薩湖がー。
「歳は三十の前後、細面で色は白く、身は痩せてゐるが骨格は冴えてゐます。
この若い武士が峠の上に立つと、ゴーツと、青嵐が崩れる。
谷から峰へ吹き上げるうら葉が、海の浪がしらを見るやうにさわ立つ。」
ー慈悲と殺戮ー という善と悪が混沌とした奇形観念を得た主人公机龍之助が登場・・・
中里介山著「大菩薩峠」より
この前、現大菩薩峠に着く頃には幻想的な霧が漂っていまして下界は見えませんでしたがこの処で、湖、里の下界を見ることが出来ました。晴れているならこの大菩薩湖の背景に富士山が見えるそうですが・・・・・。次回へのお楽しみとなりました。
この「大菩薩峠」は、小説、映画共に人生に色々な出会いを奏でてくれた「峠」でもあります。
「歳は三十の前後、細面で色は白く、身は痩せてゐるが骨格は冴えてゐます。
この若い武士が峠の上に立つと、ゴーツと、青嵐が崩れる。
谷から峰へ吹き上げるうら葉が、海の浪がしらを見るやうにさわ立つ。」
ー慈悲と殺戮ー という善と悪が混沌とした奇形観念を得た主人公机龍之助が登場・・・
中里介山著「大菩薩峠」より
この前、現大菩薩峠に着く頃には幻想的な霧が漂っていまして下界は見えませんでしたがこの処で、湖、里の下界を見ることが出来ました。晴れているならこの大菩薩湖の背景に富士山が見えるそうですが・・・・・。次回へのお楽しみとなりました。
この「大菩薩峠」は、小説、映画共に人生に色々な出会いを奏でてくれた「峠」でもあります。
旧大菩薩峠 賽の河原 親不知ノ頭下った方面から大菩薩嶺
映画「大菩薩峠」で水車小屋の与八?が石を積んでいる場面がありましたが、はやり中里介山さんはこの旧大菩薩峠をイメージして小説を書かれたと思いました。
「どうじゃ与ハ、恐ろしいことではないか。頑是(がんぜ)ない子供がやっと積み上けた小石の塔を、鉄の棒を持った鬼が出て来て、みんな突きくずすのじゃ。なあ、これを他人事(ひとごと)と思ってはいけないぞ、追善作善のつとめというをせぬ者には、みんな鬼が出て来るじゃ、何をしてもみな成り立たないで、みんなくずれ出すのじゃ。よいか、他人事と思ってはいけないぞ」
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ーこれはこの世のことならず、 死出(しで)の山路(やまぢ)の据野(すその)なる、さいの可原の物語、 聞くにつけても哀れなり、 二つや三つや四つ五つ、 十にも足らぬみどり子が、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、この世の声とはことかはり、 悲しさ骨身(ほねみ)を透(とほ)すなり、かのみどり子の所作(しょさ)として、河原の石を取り集め、 これにて回向(ゑかう)の塔を組む、 一重(ち ゅう)、組んでは父のため、二重、組んでは母のため、三重、組んでは古里(ふるさと)の、兄弟わが身と回向して、昼はひとりで遊べども、日も入相(いりあひ)のその頃は、地獄の鬼が現はれて、やれ汝等は何をする、娑婆(しゃば)に残りし父母は、追善作善(ついぜんさぜん)のつとめなく、ただ明け暮れの嘆きには、むごや悲しや不憫(ふびん)やと、親のなけきは汝等が、苦患(くげん)を受くる種となる、われを恨むることなかれと、くろがねの棒をさしのべて、積みたる培を押しくづす、ー
小説「大菩薩峠」で水車小屋の与八が石で地蔵さまを彫っていいる時に東妙和尚から聞く歌
「西院河原地蔵和讃(さいのかわらじそうわさん)」 空也上人御作
映画「大菩薩峠」で水車小屋の与八?が石を積んでいる場面がありましたが、はやり中里介山さんはこの旧大菩薩峠をイメージして小説を書かれたと思いました。
「どうじゃ与ハ、恐ろしいことではないか。頑是(がんぜ)ない子供がやっと積み上けた小石の塔を、鉄の棒を持った鬼が出て来て、みんな突きくずすのじゃ。なあ、これを他人事(ひとごと)と思ってはいけないぞ、追善作善のつとめというをせぬ者には、みんな鬼が出て来るじゃ、何をしてもみな成り立たないで、みんなくずれ出すのじゃ。よいか、他人事と思ってはいけないぞ」
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ーこれはこの世のことならず、 死出(しで)の山路(やまぢ)の据野(すその)なる、さいの可原の物語、 聞くにつけても哀れなり、 二つや三つや四つ五つ、 十にも足らぬみどり子が、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、この世の声とはことかはり、 悲しさ骨身(ほねみ)を透(とほ)すなり、かのみどり子の所作(しょさ)として、河原の石を取り集め、 これにて回向(ゑかう)の塔を組む、 一重(ち ゅう)、組んでは父のため、二重、組んでは母のため、三重、組んでは古里(ふるさと)の、兄弟わが身と回向して、昼はひとりで遊べども、日も入相(いりあひ)のその頃は、地獄の鬼が現はれて、やれ汝等は何をする、娑婆(しゃば)に残りし父母は、追善作善(ついぜんさぜん)のつとめなく、ただ明け暮れの嘆きには、むごや悲しや不憫(ふびん)やと、親のなけきは汝等が、苦患(くげん)を受くる種となる、われを恨むることなかれと、くろがねの棒をさしのべて、積みたる培を押しくづす、ー
小説「大菩薩峠」で水車小屋の与八が石で地蔵さまを彫っていいる時に東妙和尚から聞く歌
「西院河原地蔵和讃(さいのかわらじそうわさん)」 空也上人御作
「大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります。ー
中里介山著 未完の長編小説「大菩薩峠」書き出し
先週、ついに大菩薩峠に行って参りました。
やはり古くから人々を魅了する御山としているその何かを知りたく機会があればと思っていた・・・。
秋の気配を里で感じ、思い立ったように目指しました。確かに何か人を引き付ける”もの”がある気配を感じてきましたので今回からカテゴリを立て少しづつ検証したいと思います。
今回は里では秋の紅葉が感じ始められる季節となりましたが、ネットでの大菩薩峠情報は真っ盛りとのことでしたが、私が行った日には峠、付近ではすでに過ぎたようでした・・・。
しかし、この日は天気予報では晴天のはずでしたが大菩薩では曇りでしたがこのように幻想世界を具現していました。
この写真は旧大菩薩峠 現名 賽の河原 です。江戸時代には、甲州街道の裏街道として市井の人々がもっとも必要な生活物資を運び往来していた峠跡だそうです。その内藤新宿と甲府を結んでいた街道を青梅街道と呼ぶそうです。その青梅街道が鍋屋横丁を交差し一本入った旧妙法寺参詣道通りに住んでいるのも何かの縁かもしれません・・・。
なお写真の小屋は避難所小屋で奥の峰は妙見ノ頭です。
また内田吐夢監督作品「大菩薩峠」三部作に魅了され、特に冒頭のタイトルに魅入られ
そのテーマ
「地獄極楽絵図」 「衆生輪廻」 「地獄和讃のメロディー」
が理解したくなっていたかもしれませんが・・・。
原作は、西多摩 羽村村(現 市)出身の中里介山です。幼年の頃、目の前に大菩薩がいつもあり心の糧になり、あの大漢和辞典を成しで皇太子、親王、内親王の名付け親でもある諸橋轍次博士と大川博東映初代社長が粟ヶ岳を幼年時見て育ち大志を抱いたように、この膨大で刹那的な小説の書き出しに繋がったと思うのであります・・・・・。 その辺も知りたくなりましてー。
中里介山著 未完の長編小説「大菩薩峠」書き出し
先週、ついに大菩薩峠に行って参りました。
やはり古くから人々を魅了する御山としているその何かを知りたく機会があればと思っていた・・・。
秋の気配を里で感じ、思い立ったように目指しました。確かに何か人を引き付ける”もの”がある気配を感じてきましたので今回からカテゴリを立て少しづつ検証したいと思います。
今回は里では秋の紅葉が感じ始められる季節となりましたが、ネットでの大菩薩峠情報は真っ盛りとのことでしたが、私が行った日には峠、付近ではすでに過ぎたようでした・・・。
しかし、この日は天気予報では晴天のはずでしたが大菩薩では曇りでしたがこのように幻想世界を具現していました。
この写真は旧大菩薩峠 現名 賽の河原 です。江戸時代には、甲州街道の裏街道として市井の人々がもっとも必要な生活物資を運び往来していた峠跡だそうです。その内藤新宿と甲府を結んでいた街道を青梅街道と呼ぶそうです。その青梅街道が鍋屋横丁を交差し一本入った旧妙法寺参詣道通りに住んでいるのも何かの縁かもしれません・・・。
なお写真の小屋は避難所小屋で奥の峰は妙見ノ頭です。
また内田吐夢監督作品「大菩薩峠」三部作に魅了され、特に冒頭のタイトルに魅入られ
そのテーマ
「地獄極楽絵図」 「衆生輪廻」 「地獄和讃のメロディー」
が理解したくなっていたかもしれませんが・・・。
原作は、西多摩 羽村村(現 市)出身の中里介山です。幼年の頃、目の前に大菩薩がいつもあり心の糧になり、あの大漢和辞典を成しで皇太子、親王、内親王の名付け親でもある諸橋轍次博士と大川博東映初代社長が粟ヶ岳を幼年時見て育ち大志を抱いたように、この膨大で刹那的な小説の書き出しに繋がったと思うのであります・・・・・。 その辺も知りたくなりましてー。