小川和佑先生のライフワークでありますー日本桜文学研究の集大成ーにあたる
『桜と日本文化 ー清明美から散華の花へー』が桜咲き始める三月に出版されました。
すでに桜前線は東北へと北上して、弘前では見ごろのようですが、
改め新緑の桜の木の下で先生の本を読むのもいいかもしれません・・・・。
更にこの本を読みながら、このゴールデンウイーク中、東北、北海道へと足をのばしてもいいかも知れませんがー。
また「桜」に関する小川先生の書籍は非常に多種多様に出版されており、どの本から読んだらいいのか、書店、図書館等において迷うのですが逆に一番新しいいこの新刊『桜と日本文化』から読んでいった方がわかりやすいのではないでしょうか・・・。
と、言うのも、小川先生の桜文学研究は、現代文学から古代へと時代を遡っていった過程があり、一つの課題から広く時代背景を考証しながら解釈していったようですので、私のような不勉強な者には、専門的な部分になると理解するのに難儀した記憶がありますので、「桜」が文献に最初に現われてから段々と歴史の中において「桜」が人々の中に浸透して色々な「桜」の愛し方が芽生え、育っていく解説の方が分かりいいように思えるからです。
まずはこの本を
ー桜 文学・歴史の研究入門書ーとして読んだらいいと思います。
さてこの本『桜と日本文化』、
まずはページを開くと美しく心誘われる桜の写真、
そしてーまえがきーから私が好きそうな歌が紹介され、
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよい逢う人 みなうつくしき
と、歌人 与謝野晶子さんの短歌が詠まれています。
以前、京都でその日の仕事が終わり、夜遅くに桜を観て廻れたとき、清水、祇園ではなく嵯峨野、嵐山ですがこのようなすれ違いの場面を実感した記憶が今でも脳裏に鮮明に焼き付いています・・・・。
夜桜ですれ違う、老若男女の様子はまさしく皆この歌のようでした。
第1章 古代歌謡から桜絵巻へ ではー桜盃に浮かぶ桜ーとし
日本の文献として最初に残された「桜」として「古事記」下巻「若桜部臣(わかさくらべのおみ)」らに「若桜部」の名前を与えた律令国家としての政務実務的な記録として初めて「桜」という文字が使われたそうです。
ゆえに「古事記」完成当時和銅五年(712)奈良時代初頭には「桜」は広く官僚、市井の生活に溶け込んだ様子が窺え、その「桜」を愛す人らしい心が天平文化を百花繚乱ごとく開花さす発端のようにも感じられ嬉しくもなってきます。
またその八年後の720年には、「日本書紀」ー履中紀ーにおいてさらに文化が開花し、特に宮中においてはー政(まつりごと)ーを担う官人としての人らしい情が厚くなり、生活の中においてー桜盃に浮かぶ桜ーに
其の希(めずら)有しきことを歓びて、即ち宮の名としたまう
と”趣”を感じ、人と桜、いや自然との結びつきを意識し、詩的文学表現が官僚実務記録から進歩発展し自然に融合され、それが更に律令国家の安定により市井の民にも芽生え育っていったと述べているかのようにこの章は思はれました。
ちょっとわたくしなりの拡大解釈となりましたが・・・・・。
また、「平家物語」と名桜タイザンフクン で
世をはかなんだ成範は吉野の山に憧れ、ひたすら桜を愛し、
天照大神に祈ったところ二十日あまりも咲いていた
という、「平家物語」ー我身栄華ーのエピソードも面白く、以前、脚本を書く時に読んだ「平家物語」を改め思い出さしてくれ更に興味が湧きました。要再読です!!
更には、桜と名場面 能楽と歌舞伎の桜へ 進み
能楽では「花筐」を、 歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」「義経千本桜」「桜門五三桐(さくらもんごさんのきり)」「仮名手本忠臣蔵」が紹介されています。
これらの歌舞伎作品のように日本人は散る桜の美意識と判官びいき、また「桜」を美しい女性に見立てる詩的表現から”芸”による桜美表現は江戸時代において芳醇させいるそうです。
ひとつ思い出しました・・・、京 南禅寺に行った時、石川五右衛門が楼上からみた
、
「絶景かな、絶景かな・・・・」
この風景まだ見ていません。いつかは見たいものですが・・・・、
またこの段の中の「仮名手本忠臣蔵」において、「桜」が刀をもった武士の象徴になりはじめ、後の明治文明開化の軍国主義の足音が近くなるにつれ散桜としての「桜」と変貌していったという内容は特記され興味が湧きました。
それは、散り急ぐ桜として 第四章 花と刀と日本文化 へと繋がっていきます。
国への忠義による、若者の特攻隊の象徴となり、死=美 意識に繋がり多くの前途ある若者の生を奪った事実とその家族の犠牲の悲しみが述べられています。
以前、武田泰淳原作 熊井啓監督の映画「ひかりごけ」をした時、その映画の脚本家池田太郎さんのお父さんで出演していただいた俳優の池田生二さんとご一緒させて頂き、この章で述べられています「移動劇団さくら隊」の団員の一人であった池田生二さんからその当時のお話をお伺いさせていただいた事も何かの因縁なのでしょうか、この小川先生の本にも「移動劇団さくら隊」について書かれていて感銘深く読まされました。
本章最後には、東映が世に知らしめた越後は佐渡出身の関川秀雄監督が1950年に公開した国民的名作映画『きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記』の元になりました世田谷 豪徳寺にあります戦没学生記念碑で締めくくってあります。
これも何かの因縁かもしれません・・・・・
ちなみに豪徳寺は、小、中同級生で、私がこの映画業界に入れる切っ掛けをつくってくれた美術装飾をやっていた親友の終焉の地でもあります。
これも深い因縁が、よく読むにつれ、あるように強く感じられます・・・・。
何か小川先生の著書感想が、いつの間にか「桜の精」が自分との回顧の方に向かわせ、思い出話し、また勉強不足を嘆き促してくれたかのようです・・・・。あしからず!
さて先日、小川ゼミOB会兼五十嵐正人さんの「三人暮らし」出版記念会がありましたので、
小川和佑先生(左)と五十嵐正人さん(右) そしてその編集者 水曜社の北畠さん(中)の写真を掲載させて戴きます。
『桜と日本文化』紹介リンク
自著を語る 中日新聞 東京新聞 BOOKWEB
『桜と日本文化―清明美から散華の花へ』 ARTS AND CRAFTS 出版元
得ダネ情報 ブックス 評 Sankei Web
奄美海風荘ブログ 本書でこのおじさんのーカンヒザクラー写真が使用されています。
紀伊国屋 BOOKWEB
ジュンク堂書店 BOOKWEB
Amazon Book
「三人暮らし」 五十嵐正人 著 水曜社HP