桜文学評論で著名な文芸評論家で各大学で教えていました小川和佑先生が9月24日西の彼方にある極楽浄土へと、御親族と御親友そして小川ゼミOBや大学、高校での先生の教え子に見守られ旅立たれれました。
先生の教え子は、奇しくも先生に先立つこと三週間前8月30日に61歳の若さでお亡くなりになった初代ゼミ長の遺児3名、仲人をした成城大の夫妻、鹿児島から飛んできた大東文化大の教え子、そして最も若い女性、それから昭和女子大や宇都宮商業高校の教え子、編集者の方などが参列されました。
戒名 証智院釈教顕
遺影の写真は、娘さんが山から持ち帰ったきた桜の種から育てたお庭の桜の前で、奥様が撮ったものだそうです。この桜が小川先生の桜文学評論の出発になった桜です。
告別式の最後には先生の周りにたくさんの花が飾られ、魏親族に見守られお別れをしました。
また先生の御子息へ、万葉集などの日本古典文学研究者の中西進先生から弔辞に等しく格調高い鄭重な弔電が届き、謹んで拝読されたのも文芸評論家小川和佑先生の御葬儀にふさわしいものでした。
空高く西の浄土に白雲に乗る龍が如し昇って行った火葬後、宇都宮中心街にある菩提寺 浄土真宗本願寺派 正行寺横にあるお墓に法要後すぐに納骨されました。 南無阿弥陀仏 合 掌
葬儀場受付の横に置かれた先生の著書がほんの一部ですが並べられました。 (クリックで拡大)
地元栃木県関係や地方旅行関係の著書も多数ありちょっとびっくりしました。
小川先生、大学では授業あまり出席しませんでしたが、御縁あり宇都宮に移ってから親しくさせて戴きありがとうございました。今度は天国からゼミや各大学での教え子を見守って下さい。また私は宇都宮に帰りましたらいつもお墓参りをさせて戴きたいと思いますので宜しくお願いします。 合 掌
小川先生の桜文学評論の出発になったお庭に咲いた桜
桜 探鳩 - 桜 SAKURA さくら 事始
小川先生宅の名桜 押しサクラに
桜 探鳩 - 小川和佑先生4月7日朝日新聞夕刊に
先生の教え子は、奇しくも先生に先立つこと三週間前8月30日に61歳の若さでお亡くなりになった初代ゼミ長の遺児3名、仲人をした成城大の夫妻、鹿児島から飛んできた大東文化大の教え子、そして最も若い女性、それから昭和女子大や宇都宮商業高校の教え子、編集者の方などが参列されました。
戒名 証智院釈教顕
遺影の写真は、娘さんが山から持ち帰ったきた桜の種から育てたお庭の桜の前で、奥様が撮ったものだそうです。この桜が小川先生の桜文学評論の出発になった桜です。
告別式の最後には先生の周りにたくさんの花が飾られ、魏親族に見守られお別れをしました。
また先生の御子息へ、万葉集などの日本古典文学研究者の中西進先生から弔辞に等しく格調高い鄭重な弔電が届き、謹んで拝読されたのも文芸評論家小川和佑先生の御葬儀にふさわしいものでした。
空高く西の浄土に白雲に乗る龍が如し昇って行った火葬後、宇都宮中心街にある菩提寺 浄土真宗本願寺派 正行寺横にあるお墓に法要後すぐに納骨されました。 南無阿弥陀仏 合 掌
葬儀場受付の横に置かれた先生の著書がほんの一部ですが並べられました。 (クリックで拡大)
地元栃木県関係や地方旅行関係の著書も多数ありちょっとびっくりしました。
小川先生、大学では授業あまり出席しませんでしたが、御縁あり宇都宮に移ってから親しくさせて戴きありがとうございました。今度は天国からゼミや各大学での教え子を見守って下さい。また私は宇都宮に帰りましたらいつもお墓参りをさせて戴きたいと思いますので宜しくお願いします。 合 掌
小川先生の桜文学評論の出発になったお庭に咲いた桜
桜 探鳩 - 桜 SAKURA さくら 事始
小川先生宅の名桜 押しサクラに
桜 探鳩 - 小川和佑先生4月7日朝日新聞夕刊に