昨年夏 御隠れになりました劇団民藝女優 故 南風洋子著
「涙を真珠にかえて…」 を
読んで直接、お伺いした内容も多く、御亡くりになさってもこのように書籍としてメッセージを永遠に発信していくことにことさら感銘深く思い感動させられました。
ただ、お伺いした内容の他、最わたくしが感銘、また今までの意識が変わった二つの事柄が、述べられていなかったのがせつに残念でしたので、この場を持って捕捉させて戴きたいと思います。
その一つ、満州でのエピソード。混乱した戦後の幼い南風さんが見た、戦争の勝敗での立場の悲劇を伝えたかったのですが、頂いた本のコピーが幾度かの引っ越しで見つける事が出来ませんでしたので今回は割愛させていただき、今はなき、世田谷の若杉・南風家のご自宅に、吉永小百合さんが弱冠15歳の高校一年生で初主演作品映画
『ガラスの中の少女』 の撮影後、悩み多くの多感な少女時代に宿泊し、若杉・南風ご夫妻の愛により女優開眼したエピソードをお伝えします・・・・。
直接お伺いした思い出話より、吉永さんがお書きになった本からの方が適格と思い下記に載せお伝えします。
吉永小百合著 『夢一途』 女一章 たった一本の線路 ガラスの中の少女(P38~)から
心中シーンの撮影をようやく終えて、 東京に戻った日は、 浜田光夫さんの誕生日。世田谷にある若杉監督の家にメインスタッフの方たちと集まって、お祝いをしました。若杉夫人の南風洋子さんは、宝塚のスターから民芸の劇団員になられた方で、とても優しく私たちを、迎 えてくださったのでした。
途中で、お勤め帰りの浜田くんのお母様も駆けつけて来られました。とても温かく、優しい方でした。浜田くんは小さい頃にお父様を亡くし、お母様が女手一つで育てられたということです。
まるで大家族のお正月です。浜田くんだけでなく、私のためにもケーキが用意され、みんなで歌をうたったり、 ほんとうに楽しかった。
一生懸命演じた『ガラスの中の少女』も、今日で全部終わってしまった。明日から、私はまた、日活の撮影所に戻っていくんだ・・・。
楽しいひと時.を過ごしてぃくぅちに、私はだんだん寂しくなっていきました。
「私、今日、家に帰りたくありません」
突然の私の言葉に、若杉監督はびっくりなさいました。
「どうしたんだ、 小百合ちゃん・・・」
「私の親は、普通の親と違うんです。それがいやなんです。今夜、泊めてください」
そう言うと、私は粒き出してしまったのでした。
若杉さんは、私の家に電話して、泊まっていくことの許可を取つてくださいました。私は混乱した自分の気持をまとめようと必死でした。心を込めて演じた役との別れは、思わぬ方向に私自身を引つばっていってしまいました。
私の意志とは別のところで私の日活入りを決め、一人前の俳優に、スターになってほしいと願う両親と、普通の高校生として通学しようと決めていた私との、目に見えないところでの、食い違いを初めて言葉にした日でした。
このままでは学校に行かれなくなる・・・。中学生時代はテレビやラジオ出演のために、三分の一も欠席してしまった私です。このままでは、私という人間はどこかへいってしまう。 出席の厳しい都立高校に通うことが難しくなってきたことを、その頃の私は次第に感じるようになっていました。
でも、 どうすることも出来なかったのです。
このような事柄も、南風洋子さんの言葉で話して戴きたいと思い、また日本映画史においても大変残念でもありましたので・・・・・。
吉永小百合 夢一途 (人間の記録) 日本図書センター (2000/10) 追記再販版
1988年6月 主婦と生活より初版
5月5日にUPしたいために仮に・・・・。日々追記します。