「大奥」大年寄り絵嶋殿 絵嶋生島事件の要因 ーつづき 第二回追加
「アカデミック(Academic)」伝統格式派と
「トレンド(Trend)」流行趨勢派の確執
天英院殿 (家宣の妻ー正室)
アカデミック派ー学究的で、伝統 格式の正統を重視。
堅実ゆゑに新しさや生気に乏しく重苦しい。
父: 関白 近衛基煕(もとひろ)
母: 後水尾帝皇女 常子内親王
月光院殿(家宣の妾ー側室)
トレンド派 ー 時代傾向的で、流行や経済変動の動向を著しく重視。
社会などある方向へ動く勢いに習うため派手で粗雑。
父:江戸の町医者
母:女子(当時家系図等には”女性”はー女子ーとしか残さない名なしです)
天英院
関白職は、天皇第一の臣にして公家の最高位たる職位であり、歴代天皇には関白に政治を代わりに行わせたたりするほど関白職は権力をもっていたそうです。
そんな関白職の父と天皇の血を受け継いでいる皇族出の母から生まれた天英院煕子(ひろこ)殿は幼年から皇族の生活が染みついき、後将軍家宣の元へ正妻として居座ります。
何千人をも女中を従える大奥の長となり、なに不自由なく生きることが出来たようです。
その地位を維持するのには、今までの春日の局時代からの環境を維持することになり、自然に保守的な生活様式になります。
故に、古からの伝統を重んじ、御家の格式を重要視し、上下の区別をはっきり分けるプライドの高い生活様式になります。
月光院殿
どう逆立ちしても正妻にはなれない、将軍家宣の妾、二号さんで、今で言う”愛人”が同居しているような感じですが、ただたんに将軍の男の子を産むだけの地位を受けているような側室の一人ですから、ある程度割り切った天真爛漫な御様子だったのでしょうか・・・。
生まれも、”元禄時代”の江戸ですから江戸の町も華やかで浮ついた感じの時勢であり、その空気を吸いながら月光院殿は育ったと思われます。
また、父の町医者の元で幼年娘時代を過ごしたのですから、外国からの珍しい話しを聞いたり、江戸の町の噂話など聞いたりし、長屋の娘以上に、おきゃんな江戸娘であったと思われます。
実際、月光院お照殿は気性のはっきりした江戸女と言われています。
更には、次期将軍になる家継を生み、将軍の母になってからは更に大らかさが漂い始めたと思われます。
故に、大年寄絵嶋殿に代参に行かせた後、大胆にも野郎歌舞伎鑑賞を許可したと思われます。
月光院殿も町民の娘出ですから、歌舞伎狂言の面白さは十分に知っていたはずですから、自分と同じ性格の絵嶋殿に幼年見た歌舞伎の楽しい様子などを聞かせたりして、月光院殿の方から歌舞伎鑑賞を薦めたのかもしれません・・・・・。
つまり、”類は友を呼ぶ”ように大奥に、
天英院殿には”保守的”な人々が集まり、
月光院殿には”新しいもの好き”が集まり、
大奥の中に自然に、各グループが生まれたものと思われます。
そのグループ同士の性格の差異から確執へとなり、ー大奥前面戦争ーになっていったのではないでしょうか・・・・。
現代で例えるなら、
与党(保守) 対 野党(革新)
学習院女子大 対 青学大 日本女子大
聖心女子大 対 フェリス女学院大
のような火花が大奥内で炸裂している様子なのかもしれません・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
書きかけです。次は家宣の御寵愛の深度から要因を述べたいと思います。
後、つづきます・・・・・、
第一回 「アカデミック」派と「トレンド」派の確執 概要 06-12
「アカデミック(Academic)」伝統格式派と
「トレンド(Trend)」流行趨勢派の確執
天英院殿 (家宣の妻ー正室)
アカデミック派ー学究的で、伝統 格式の正統を重視。
堅実ゆゑに新しさや生気に乏しく重苦しい。
父: 関白 近衛基煕(もとひろ)
母: 後水尾帝皇女 常子内親王
月光院殿(家宣の妾ー側室)
トレンド派 ー 時代傾向的で、流行や経済変動の動向を著しく重視。
社会などある方向へ動く勢いに習うため派手で粗雑。
父:江戸の町医者
母:女子(当時家系図等には”女性”はー女子ーとしか残さない名なしです)
天英院
関白職は、天皇第一の臣にして公家の最高位たる職位であり、歴代天皇には関白に政治を代わりに行わせたたりするほど関白職は権力をもっていたそうです。
そんな関白職の父と天皇の血を受け継いでいる皇族出の母から生まれた天英院煕子(ひろこ)殿は幼年から皇族の生活が染みついき、後将軍家宣の元へ正妻として居座ります。
何千人をも女中を従える大奥の長となり、なに不自由なく生きることが出来たようです。
その地位を維持するのには、今までの春日の局時代からの環境を維持することになり、自然に保守的な生活様式になります。
故に、古からの伝統を重んじ、御家の格式を重要視し、上下の区別をはっきり分けるプライドの高い生活様式になります。
月光院殿
どう逆立ちしても正妻にはなれない、将軍家宣の妾、二号さんで、今で言う”愛人”が同居しているような感じですが、ただたんに将軍の男の子を産むだけの地位を受けているような側室の一人ですから、ある程度割り切った天真爛漫な御様子だったのでしょうか・・・。
生まれも、”元禄時代”の江戸ですから江戸の町も華やかで浮ついた感じの時勢であり、その空気を吸いながら月光院殿は育ったと思われます。
また、父の町医者の元で幼年娘時代を過ごしたのですから、外国からの珍しい話しを聞いたり、江戸の町の噂話など聞いたりし、長屋の娘以上に、おきゃんな江戸娘であったと思われます。
実際、月光院お照殿は気性のはっきりした江戸女と言われています。
更には、次期将軍になる家継を生み、将軍の母になってからは更に大らかさが漂い始めたと思われます。
故に、大年寄絵嶋殿に代参に行かせた後、大胆にも野郎歌舞伎鑑賞を許可したと思われます。
月光院殿も町民の娘出ですから、歌舞伎狂言の面白さは十分に知っていたはずですから、自分と同じ性格の絵嶋殿に幼年見た歌舞伎の楽しい様子などを聞かせたりして、月光院殿の方から歌舞伎鑑賞を薦めたのかもしれません・・・・・。
つまり、”類は友を呼ぶ”ように大奥に、
天英院殿には”保守的”な人々が集まり、
月光院殿には”新しいもの好き”が集まり、
大奥の中に自然に、各グループが生まれたものと思われます。
そのグループ同士の性格の差異から確執へとなり、ー大奥前面戦争ーになっていったのではないでしょうか・・・・。
現代で例えるなら、
与党(保守) 対 野党(革新)
学習院女子大 対 青学大 日本女子大
聖心女子大 対 フェリス女学院大
のような火花が大奥内で炸裂している様子なのかもしれません・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
書きかけです。次は家宣の御寵愛の深度から要因を述べたいと思います。
後、つづきます・・・・・、
第一回 「アカデミック」派と「トレンド」派の確執 概要 06-12