コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

『京の新好き、祇園のしたたかさ』 -映画発祥の地 シネマで思うことー

2008-07-21 | 記憶の断片
 祇園祭 山鉾巡行、神幸祭(神輿渡御)観たかったし、
      鱧(はも)も食べたくなったので・・・ちょっと、一服!!

     『京の新好き、祇園のしたたかさ』
            映画発祥の地 シネマで思うこと



私の師、劇団民藝の若杉光夫監督は古都京都で、京大、大映助監督時代、そして監督とし若き日々を謳歌されました。
私が師へ「京都とはー」の問いに、師曰く「新好き」と“一言”で表現されました。

その後、私が京へ上洛し、京で初助監督に就いた作品『お宮さん』では、その最初の撮影が祇園のあるバーでした。そのバーは、シャンソン・バーでハイセンスな室内。なるほど監督がおっしゃっておられた“新好き”を古都“京”でまず感じとった次第です。
そして室内撮影から外のロケーションとなり、黄昏前の祇園が現れました。まだ、閑散としている路に、通行人を作り、自転車で岡持を運ぶ丁稚、ガラガラと山のようなビールケースを台車で運ぶ業者、日傘を差す和洋服の婦人、老女などを歩かせると、現代もの作品でありながら、自然と以前観た “祇園”を舞台にした古い白黒映画の場面を追懐してしまいます。
それは溝口健二監督の映画『祇園囃子』(’53)です。
若尾文子さん演じる“舞妓志願”の少女が風呂敷を提げ、祇園の町家をさ迷う序乃場面で、家々に特徴がある紅殻格子(べんがらごうし)と二階窓に掛けられた簾。その路地には、京特有の一文字瓦がつくる軒下の影とキリギリス売りの大原女。そして衝立を洗っている浴衣婦人に行商人。何処から聞こえる御囃子笛の音が祇園の生活感を醸しだし、夜の祇園とは違う市井の祇園が映っていました。         そのドラマ森本組「おみやさん」

次の場面で、木暮実千代さん演じる芸妓美代春の居間で「芸者の嘘は嘘になれへん。お商売の駆引きや」と勘当された若旦那を罵倒し、花街としての祇園を象徴する場面になります。ここ迄の場面に戦後の新しい”祇園”全てを凝縮し表した名場面だと思います。
次にその少女も一年間の厳しい修行「仕込み」を受けます。
この稽古で師匠が「外国人はー (略) 芸者ガールの中に、一番美しく、代表的なものは、この京都の祇園の舞妓です。 (略) 生きた芸術作品です」といい、その各伎稽古場面は、戦後の新制教育で育った少女が祇園の厳しいしきたりと伝統を学ぶ姿に、今様な祇園の面白さが読み取れます。

この仕込み稽古で、近年の米映画『SAYURI』では、『祇園囃子』よろしく西洋好みでスピーディーに演出してあり、日米の芸者ガール意識の差異にも面白さを感じさせられました。
また晴れて舞子になり「見世出し」の日を迎える場面では、当時の祇園界隈の佇まいが見られます。戦前の溝口作品『祇園の姉妹』(’36)の様な封建的社会の犠牲から成り立った祇園ではなく、戦後の「新しさ」を採り入れた”自立した女性”の祇園舞妓の誕生が、古く伝統的な町屋の建物と熔け込んでいて、これも京風なものと感心しました。

―といっても、この作品に映っている祇園は幕末1863年三月の祇園の大火によって大半が焼け、その後新しく再建されました。古い建物でも百年ほどしか経っていないそうです。
時奇しくも、新しく変貌する時代において、新築されたお茶屋の祇園で、芸妓君尾など革新倒幕勤王の志士を保守新撰組から守り、明治維新を陰で支えた勤王芸者が活躍した歴史の裏舞台の町並みでもあるのだそうです。
そのように思いながら祇園を観てみるのも“新好き”の功名と甚く感心し、この勤王芸者の活躍場面を想像し、この町屋路地をワクワクしながら散策してしまいます。

しかし昨今、その町並みの面影は薄く、祇園町南側の花見小路、北の祇園新橋通の一部でこの町並を見ることができます。
特に祇園新橋では、祇園の全てが保存されているかの如く、均整な一文字瓦、趣のある紅殻格子、二階のアクセントな虫籠窓、一年中かかっている簾、邪気を払うお鍾馗さん、路地を彩る犬矢来、家の風格を出す駒寄せが揃い、私も当初、この祇園新橋の白川南通沿いがthis is 祇園だと思っていました。

幼年、映画を見始めた頃、「ゴーゴー!若大将」(‘67)を観て強く脳裏に焼きついていたのがこの場所のこの場面でした。
祇園京奴役のだらりの帯の浜木綿子さんとマドンナ役の星由里子さんが嫉妬勘違いし問うた新橋、その巽橋の脇で最新スポーツーカーに舞子さんを乗せはしゃぐのは青大将田中邦衛さんでした。

また、ドリフターズの10作目の喜劇『舞妓はんだよ 全員集合!!』(’72)では無理に女装させられた舞子姿の加藤茶さんが、同じ白川通と芸事の神様辰己大明神側を通る場面も出てきて、幼いながらこの場所に行きたいと思っていたものです・・・。

ついに『新・京都迷宮案内』の撮影で念願のこの祇園白川に行く事ができました。
行ってびっくり、幼い頃観た映画場面と何もかも同じなのでした。これには京町並み保存の効用に感動してしまいました。
そして撮影は短い場面にも関わらず、白川の清らかな流れの中に吉井勇歌人の“枕の下を水が流るる”が如く、カメラを設置するイントレの下を水が流るるかの如き置き、白川南通を歩く橋爪功さんと月亭八方さん二人が幕末創業のお茶屋「大柳」へ橋を渡り入るまでを撮影しました。何とも言い難い情緒が漂い、思い出深い場面になり、心底好きな場所にもなってしまいました。

またこの白川沿いに植えてある枝垂れ桜が円山の枝垂れ桜と同じく、今日桜名所として名乗りを挙げている事も知り、是非とも機会があればこの白川の料亭で春を満喫したいものだと心中思うのでありますが・・・。

実はこの撮影前に、京の人は碁盤の目で分かり易いという洛中にも、わたくし東男にしてみれば新撰組がただただ祇園を走り回っているかのように、私もただただ一人、古美術商が集まる縄手通周辺を調べにプレロケハンしていました。
まだ趣のある町屋が点在する界隈を逍遥し、気づいてみたら夕暮れ時になっていました。周りが段々と暗くなるにつれて既に道に迷い、行き着いた処がこの朱色艶やかな辰己大明神さんであり、その白川の向こうに見える温かな光につつまれたガラス越しに見えるは、舞子はんでした。
そこが思い出映画の場面の場所とはまだ知らず、何とも言えない異空間を体感した記憶が鮮明に焼きつき、祇園の知られざる新たな磁場の”生”を感じた次第です。

その後、夜の南座を見たくなり、四条通りを渡り川端を歩いてみました。
そうしたら一軒のおでん屋の灯を見つけました。この佇まいに心魅かれ、何時かはこの店で一杯と思いながら太秦へと帰ったのですが、そこがあの吉村公三郎監督映画『偽れる盛装』の舞台祇園宮川町であったとは、後で知った次第です。               その京おでん屋 「道 楽」
また鴨川向こうに松華楼という宿があり、当時吉村公三郎監督と脚本家新藤兼人さんが宿泊し、川向こうで石炭景気でどんちゃん騒ぎの音が聞こえる事から、この宮川町を舞台にした名作が生まれたそうです。芸者ベラミ役の京マチ子さんが追いかけられ切られる名場面の京阪路面電車の踏切はすでにないのが残念ですー。    

またこの宿は、ベネチア映画祭で賞をとり敗戦日本に勇気を与えた映画『羅生門』の黒澤組の宿でもあったそうです。
奇しくも先の若杉監督は、この『羅生門』助監督を務めていました。

京の祇園は、「新好き」が、善き伝統を受け継ぎながら、新しい時代を取り込み築く女性のしたたかな町なのかもしれません・・・。


注)
上記文は、昨年、「祇園」をテーマにしたエッセイをと言われていたものですが、
そのままになっていましたのでこの京都迷鳩案内の中でUPしておきます。
「京都迷鳩案内」も一年以上もさぼっていましたので気になっていました・・・。
写真は、時をみて貼っていきたいと思います。 
あんまり、写真撮っていないのですが ・・・・・。    取り急ぎ。


   エッセイ「京都迷鳩案内」やぶにらみ私観京案内
       VOL.1からVOL.17までは左記クリックして下さい。
       なお、VOL17はこの文章とWっていますが・・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 十六夜 夏の月 ANRIがにあう | トップ | 7月のモンフルール その1 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

記憶の断片」カテゴリの最新記事