今年は明治150年で記念する年です。口粟野村で明治時代に大麻播種器を発明して活躍した中枝武雄氏を紹介します。
粟野町誌「粟野の歴史」によれば、中枝(なかつえ)武雄氏の生まれは嘉永6年で、大正12年4月22日没、70歳の生涯でした。嘉永6年は、歴史の年表によればペリー提督が浦賀に来た年です。口粟野村中条兵庫知行所の名主武助の長男として生まれる。
父の代まで大貫姓であったが徳川氏が政権を奉還するときに主君の中条氏から中枝(なかつえ)の姓を貰う。
なぜ「なかつえ」と読むのか調べました。日本姓氏語源辞典によれば「日本神話で天岩戸に天照大神が隠れる際に榊の中ツ枝(なかつえ)に鏡をつけて導いたことから『榊の木で中間の高さにある枝』の意味とのこと。君主に信頼があったのだと思われる。
慶応3年、14歳のとき父に代わって名主を任命されたとのこと。今ですと14歳は中学2年生、元服していたとしても相当苦労したとは思われる。
大麻播種器は明治15年1月に着手し数回失敗後、明治18年3月に完成、仕事をしながらの研究であったと思われるので約3年で完成したことはある種すごいことと思われる。翌年主要部を金属製にするために東京三田四国町農務局農具製作所に依頼し完成。1時間で八反五畝の播種に成功、種子量均等、深浅自在、1台で従来の手蒔き15人ないし20人分に匹敵する。大麻栽培全地域に普及する。
9月22日(土)、23日(日)、旧粟野中学校で第7回日本麻ファステバルがおこなわれました。泉田式播種器が展示されていたので写真を載せました。
播種器の柄側から撮影
播種器の前から撮影
その他の業績は次のようなものがあります。
・筌場の渡船を改めて橋を架ける
・半田、深程の新田開発
・下粕尾松崎の耕地整理事業
生涯を農業発展に注いだ人でした。
最後に日本麻フェステバルに麻引き後の精麻がほされていましたので写真を撮影しました。精麻は新聞紙の上にひろげて新聞が読める程度のものを上品とするとのことです。