新農街から赤崁楼(セキカンロウ)へはgoogle mapで確認すると、
歩いて10分くらいだったので、バスを待たずに、歩くことにした。
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赤崁楼(セキカンロウ)については、他のサイトでもいろいろ書いてあったが、
やはりここも最初オランダの行政拠点であり、その後鄭成功が奪回し、
日本の統治時代にも使用された、建物だという。
へぇーと思いつつ、この建物に、どんな由来があるのかあまり調べずに行ったので、
いまいち歴史を感ずることができなかったが、パンフレットを見返すと、
調べておけばよかったなというのが、二つあった。
ひとつは、御贔屓碑だ。赤崁楼には石碑を背に乗せた9匹の亀の石像がある。
ここに持ち込まれた由来はパンフレットにお任せするが、
御贔屓とは亀に似た龍が生んだ神獣だそうだ。
日本語のご贔屓との関係はまた、wikipediaにお任せする。
それともうひとつは「石造りの馬」がいたそうだ。
「もとは鄭成功の墓前を守っていたのですが、鄭成功の墓が福建省に移された後、
この場所は荒廃し、民兵の首長が鄭成功の墓穴だった場所に埋葬されました。
石馬は、その墓を守ることを拒み、夜になると付近の田んぼを踏み潰すという災いを
起こすようになり、怒った農民に脚を鋸で切られてしまい今の姿になったのです。」
(旅々台北.comより)
これは、赤崁楼(セキカンロウ)でもらったパンフレットにも載って
いなかったので、どこにあるのか、探すのもひとつか。
ほかにも「技勇石」「井戸底の秘密の道」などがあるそうだ。
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歩いて10分くらいだったので、バスを待たずに、歩くことにした。
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赤崁楼(セキカンロウ)については、他のサイトでもいろいろ書いてあったが、
やはりここも最初オランダの行政拠点であり、その後鄭成功が奪回し、
日本の統治時代にも使用された、建物だという。
へぇーと思いつつ、この建物に、どんな由来があるのかあまり調べずに行ったので、
いまいち歴史を感ずることができなかったが、パンフレットを見返すと、
調べておけばよかったなというのが、二つあった。
ひとつは、御贔屓碑だ。赤崁楼には石碑を背に乗せた9匹の亀の石像がある。
ここに持ち込まれた由来はパンフレットにお任せするが、
御贔屓とは亀に似た龍が生んだ神獣だそうだ。
日本語のご贔屓との関係はまた、wikipediaにお任せする。
それともうひとつは「石造りの馬」がいたそうだ。
「もとは鄭成功の墓前を守っていたのですが、鄭成功の墓が福建省に移された後、
この場所は荒廃し、民兵の首長が鄭成功の墓穴だった場所に埋葬されました。
石馬は、その墓を守ることを拒み、夜になると付近の田んぼを踏み潰すという災いを
起こすようになり、怒った農民に脚を鋸で切られてしまい今の姿になったのです。」
(旅々台北.comより)
これは、赤崁楼(セキカンロウ)でもらったパンフレットにも載って
いなかったので、どこにあるのか、探すのもひとつか。
ほかにも「技勇石」「井戸底の秘密の道」などがあるそうだ。
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