ただでさえ、ひさびさの純文学、しかも三島由紀夫。
活字を追っても、なかなか頭に入らない。
視線は進んでいるのだが、気がつくと、頭が空洞になっている。
うっかりすると、自分は寝ていたのではないかと思うくらいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ed/b38a5837b3d1e3e26dadcd0f25e564f0.jpg)
バンコクの三大寺院のひとつである「ワット・アルン」について
書かれたガイドブックには必ずといっていいほど、
「あの三島由紀夫の小説『暁の寺』で
有名な・・・」という記述が出てくる。
これはぜひ読まねばと思った。
この小説を読んでいて勘違いをしていたことがある。
「暁」を夕陽と思い違いしていたのだ。
あれっと思い辞書を引きなおし「朝日」のことだと確認する。
それほど、小説の中では、夕陽の中の「暁の寺」が美しい。
小説の前半はバンコクの寺院の描写がよく出てくる。
それもくらくらするほどの緻密な描写だ。
宗教建築やら、ヨーロッパ建築の用語もふんだんに使用されており、
自分の語彙力のなさを痛感しながら読み続ける。
それでも、あっこれ、あとで実際の風景と比較してみたい、と思ったところが
何カ所かあった。
特に「暁の寺」における主人公ジン・ジャンが登場する「薔薇宮」は
実際にみたら、どんなところなのだろうと、興味をそそられた。
ネットで、いろいろ検索ワードを変え調べてみたが、はっきりした
ものは得られなかった。
唯一ひっかかったのが、宮崎正弘著の「三島由紀夫の現場」という本だった。
さっそく、図書館の蔵書検索をしたら見つかったので、借りることにした。
しかし残念ながら彼はその中で「薔薇宮は実際に見たらがっかりするだろう」
と書いている。
しかも、その著作の中には写真がなかった。場所の記述もない。
それこそがっかりした。
しかたがないので、文章から、私が理解したことを描いてみた。
たぶん、三島がこれをみたら、怒るか、あきれるかするだろう。
どなたか、写真でも絵でも見せてくれないだろうか、と本当に思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/7e/e60261b3a7445f1928d77804d21dae29.jpg)
しかし、同じもの(建築など)をみても、これほど、見る人によって
違うものなのかと思う。語彙が豊富であれば、これ緻密にものを
見ることができるのだ。
三島の文章を読んで、大理石寺院(ワット・ベンチャマボピット)
などを見てみたいと思う。
あたりまえだが、これほど、レベルの高いガイドブックはないと思う。
中盤はインドへ行った時の精神的衝撃について語られている。
ただ今度は宗教用語が多くなり、「唯心論」だとかに「末那識(まなしき)」
だとか「阿頼耶識(あらやしき)」だとか出てきて、お手上げ状態になった。
しかし、「あらゆるものは自分が見たり、聞いたりするから存在
するのであって、実際にはないのかもしれない」ということや、
「色即是空、空即是色」とか「玄奘三蔵」と関係ある、と聞くと
多少、親しみが持てるような気がする。
後半は、凡人の私には官能小説のようにしか感じられなかった。
この裏に哲学的な、あるいは芸術的な表現を感ずればいいのだろうが、
凡人の私には無理である。
それとも、三島は詩のような情景描写から、哲学的な文章をとおして
官能小説まで書けるということなのだろうか。
それにしても、バンコクは、この錆付いた頭を
純文学まで連れて行ってくれたのだ感謝せねば。
活字を追っても、なかなか頭に入らない。
視線は進んでいるのだが、気がつくと、頭が空洞になっている。
うっかりすると、自分は寝ていたのではないかと思うくらいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ed/b38a5837b3d1e3e26dadcd0f25e564f0.jpg)
バンコクの三大寺院のひとつである「ワット・アルン」について
書かれたガイドブックには必ずといっていいほど、
「あの三島由紀夫の小説『暁の寺』で
有名な・・・」という記述が出てくる。
これはぜひ読まねばと思った。
この小説を読んでいて勘違いをしていたことがある。
「暁」を夕陽と思い違いしていたのだ。
あれっと思い辞書を引きなおし「朝日」のことだと確認する。
それほど、小説の中では、夕陽の中の「暁の寺」が美しい。
小説の前半はバンコクの寺院の描写がよく出てくる。
それもくらくらするほどの緻密な描写だ。
宗教建築やら、ヨーロッパ建築の用語もふんだんに使用されており、
自分の語彙力のなさを痛感しながら読み続ける。
それでも、あっこれ、あとで実際の風景と比較してみたい、と思ったところが
何カ所かあった。
特に「暁の寺」における主人公ジン・ジャンが登場する「薔薇宮」は
実際にみたら、どんなところなのだろうと、興味をそそられた。
ネットで、いろいろ検索ワードを変え調べてみたが、はっきりした
ものは得られなかった。
唯一ひっかかったのが、宮崎正弘著の「三島由紀夫の現場」という本だった。
さっそく、図書館の蔵書検索をしたら見つかったので、借りることにした。
しかし残念ながら彼はその中で「薔薇宮は実際に見たらがっかりするだろう」
と書いている。
しかも、その著作の中には写真がなかった。場所の記述もない。
それこそがっかりした。
しかたがないので、文章から、私が理解したことを描いてみた。
たぶん、三島がこれをみたら、怒るか、あきれるかするだろう。
どなたか、写真でも絵でも見せてくれないだろうか、と本当に思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/7e/e60261b3a7445f1928d77804d21dae29.jpg)
しかし、同じもの(建築など)をみても、これほど、見る人によって
違うものなのかと思う。語彙が豊富であれば、これ緻密にものを
見ることができるのだ。
三島の文章を読んで、大理石寺院(ワット・ベンチャマボピット)
などを見てみたいと思う。
あたりまえだが、これほど、レベルの高いガイドブックはないと思う。
中盤はインドへ行った時の精神的衝撃について語られている。
ただ今度は宗教用語が多くなり、「唯心論」だとかに「末那識(まなしき)」
だとか「阿頼耶識(あらやしき)」だとか出てきて、お手上げ状態になった。
しかし、「あらゆるものは自分が見たり、聞いたりするから存在
するのであって、実際にはないのかもしれない」ということや、
「色即是空、空即是色」とか「玄奘三蔵」と関係ある、と聞くと
多少、親しみが持てるような気がする。
後半は、凡人の私には官能小説のようにしか感じられなかった。
この裏に哲学的な、あるいは芸術的な表現を感ずればいいのだろうが、
凡人の私には無理である。
それとも、三島は詩のような情景描写から、哲学的な文章をとおして
官能小説まで書けるということなのだろうか。
それにしても、バンコクは、この錆付いた頭を
純文学まで連れて行ってくれたのだ感謝せねば。