台風11号の前触れで朝から雨でした。長崎平和祈念式典をテレビで見ながら午前11時2分から1分間の黙とうをしました。市長挨拶では7万4千人が犠牲になり、7万5千人が負傷され、今なお苦しんでいるとのことです。
尾張・最古刹、もみじ寺、継鹿尾山(つがお)寂光院の観音さまの縁日へ、散々迷って思い切って行ってきました。
12時少し前家を車で出て30分くらいで着きますが、社前の駐車場が少ないので山の中腹まで歩かねばならないから。いつもの木曽川沿いの公衆トイレ前駐車場に車を置き、5,6分傘を差し歩いて門前に着き、そこから3,4分また急坂を上りようやく到着です。
受付で短冊にハンコを押してもらい300円のお志納、入山料を払います。短冊3冊目が「満願ですね」と言われ、護符を貰いますか聞かれました。当然無料と思ったら逆に千円必要で護符5枚で何かまたくれると言いました。
千円を惜しんだというより護符が仏間に邪魔になるので辞退し、受付だけに、護摩木に「病気平癒」と名前を書いてもらいました。300段の階段を上って、本堂へ行く元気がなく護摩木を受付けへ預けました。
聖徳殿へ行き「ひろさちや講演会」受付、800円の入場料になっていて昨年より300円も値上げです。お寺は無税のはずだが値上げでした。
和室の大広間が講演会場でほどなく山主挨拶で開会となりました。京都知恩院を本山とする真言宗です。
南無聖徳太子 南無遍照金剛 南無釈迦牟尼仏 を導士に従い2回ずつ唱和し、最後に千手観音菩薩のご真言「おん ばざら たらまきりく」を2回称えます。(これは釈迦は翻訳を禁じた)
山主挨拶は「今日は開催を心配したが、今日で30回目の記念大会となった。昭和60年から雨で中止になったのは1回だけ」とかでした。
聴衆は2百人くらい、やはり少ないがひろさちやファンは多い。さすがです。
先生は少し老化されたが元気で1時間45分の講演をされました。いつものひろ節で漫談調です。テーマはあってなきようなお話。「何だっていい」仏教講座は「分からないことは、分からないとだと、分かることが、分かる」と、いつもの話でした。
インドの昔話、王様が三人の泥棒を死刑にすることになった。女に言った。誰でもいい一人だけ助けてやる。誰を助けるかと聞いた。泥棒3人のうち1人は主人、1人は息子、1人は弟で、女は妻だった。泥棒は一家だった。さて女は誰の助命を頼むかとの寓話から始まった。
正解は誰を指名してもいけない<仏様にまかせる>。サイコロの賽の目で決めること。
仏教は分別(ふんべつ)するなと教える。無分別が良いと。無分別が仏様の知恵。偶然はほとけのみ心。
そう思うこと。
曼荼羅とは何か、マンダは本質ということ、ラはもっている。という意味。本質を持っている、これが本当の人間の姿、仏様のこころを誰でも多い少ないはあっても誰でも持っている。
曼荼羅の世界だ。出鱈目は仏の知恵というようなお話だった。
聴衆はきみまろが相手にするような、アハハの善男善女でした。
終わりに30回記念に著書を希望者に上げると、挙手とジャンケンで30人ほど選ばれた。その途中で退出し、受付、休憩所前でアンパン1個をみやげにいただいた。
帰りは土砂降りでズボンの下の方は濡れました。すごい修行でした。